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たまたまが三つ重なった。——ハワイで結婚式を挙げた話

農業を始めて1年ほどで、結婚しました。

大学時代の友人から連絡が来たのは、畑に入ってまだ間もない頃のことです。
彼は化粧品の販売代理店を営んでいました。
その化粧品を使っていた女性が、ピアノ教室を開いていました。
私がクラシック音楽に興味があることを知っていた友人が、「合うんじゃないか」と思ったらしいのです。

「いい人がいる。会ってみないか。」
断る理由は、どこにもありませんでした。

ただ、会う前から決めていました。

長い療養を経て、ようやく外の世界に戻ってきたばかりでした。
塾の講師をしていたのが、つい昨日のことのように思えるのに、気づけばもう30代後半になろうとしていました。
世の中と切り離されていたような時間が、長く続いていました。
そこから戻ってきて、信頼できる友人が「いい人だ」と言う。

それだけで、充分でした。

細かいことは、後から考えればいい。
そう思えるくらいには、吹っ切れていました。

白いバラを一輪、持っていった。

初対面は、ホテルのレストランでした。

何か印象を残したくて、一生懸命考えました。
無垢な気持ちから始まる表現を、白いバラ一輪に託しました。
何かきざな言葉も添えたはずです。
何と言ったかは、もう覚えていません。

ところが、強い印象を持って帰ってきたのは、こちらの方でした。

私が話す内容に、彼女は言うのです。
「まぁ、すばらしい!」と。
それも一度ではありません。
「まぁ、すばらしい! まぁ、すばらしい!」と、自然に続く。

相手を肯定することが、この人には当たり前に備わっているのだな、と思いました。
それがとても良い印象として残っています。

1週間後にデートをしました。
2か月後に結納を済ませました。
3か月後に結婚式を挙げました。ハワイで。
5か月後に入籍しました。
8か月後に披露宴をしました。

順番が、世間とは少しずれています。
私たちも、後から笑いながら確認したくらいです。

なぜハワイで式を挙げることになったのか。
そこには、少し長い経緯があります。

父が、新しい事業を考えていた。

父はいくつかの事業を手がけていました。
その父が、新たに漁業関係の事業を始めようとしていました。

そのための視察旅行が組まれました。
行き先はアメリカです。
ハワイ島と、フロリダ。
どちらにも漁業関係の養殖場があり、現地を見て回るという計画でした。

父は1回目の視察にすでに参加していました。
帰ってきた父の話を聞きながら、私はその旅のことを、どこか遠い出来事として聞いていたと思います。
まだ畑に入って間もない頃のことです。
自分がそこへ行くことになるとは、思っていませんでした。

翌年、2回目の視察が組まれ、今度は私が参加することになりました。
婚約していた彼女も、一緒に行くことになりました。
漁業事業の方は、その後、結局始まりませんでした。

2人で、視察団に加わった。

父は1回目に参加していましたから、2回目には来ていません。
視察団の中に、私たちの身内はいませんでした。

ハワイ島に着いて、視察と観光を兼ねた数日が始まりました。

婚約中の2人が一緒に旅に来ている。
その状況を、視察団の皆さんは当然ご存じでした。
旅行初日の夜に、こう言われました。

「未婚の男女が同じ部屋に泊まるのは、よろしくない。
せっかく近くに教会もあることだし、式を挙げなさい。」

そういう時代でした。
半ば冗談のつもりだったのかもしれません。
でも私たちが本気で動き始めると、皆さんも面白がってくれました。
あれよあれよと話が進んで、本当に式が実現してしまったことを、むしろ喜んでくれていました。

初対面ばかりでしたが、気のいい方たちでした。

私たちの、独断独行。

問題がありました。
父は知らないのです。

連絡するにも、父は日本にいます。
しかも、旅行中に急に「ハワイで式を挙げることにした」などと伝えたところで、どう受け取られるか分かりません。

修行させてもらった農園の社長に、二人でお願いに上がり、仲人を引き受けていただいていました。
その社長にハワイから電話して、私たちの家族に伝えてほしいとお願いしました。

完全な独断独行でした。

後からどう言われるか、少し覚悟していました。
でも不思議と、迷いはありませんでした。
会う前から決めていた人間の、一貫した態度だったのかもしれません。

「たまたま」が三つ重なった。

ただ、その「たまたま」には、添乗員さんの奮闘がありました。

ハワイは結婚式が人気の土地です。
教会はいつも予約で埋まっていると、その時聞いていました。
添乗員さんは「ハワイだからね、期待しないでね」と言いながら、現地のコーディネーターに電話で交渉してくれました。
旅の日程から余裕があるのは翌日だけ、という条件で。

蓋を開けてみると——

教会が、たまたま空いていました。
牧師も、たまたま空いていました。
メイクをしてくださる方が、オアフ島からたまたまハワイ本島へその日だけ来られることになっていました。

翌日だけが、空いていました。
後から聞いた話では、その日は教会が式の受け付けをお休みにしている日だったらしいのです。
それでも受けてもらえたのは、コーディネーターの腕の見せどころだったのかもしれません。

結婚式ができることになりました。
式の前に、現地のコーディネーターの女性——日本の方でした——から念を押されました。

「式の途中でキスをする場面がありますが、する振りだけにしてくださいね。」

本番になると、すっかり忘れていました。
チュッとやったら、紅が私の唇にベッタリついてしまいました。

後から
「だから振りにしときなさい、と言ったじゃないですか。」と笑われました。

式自体は、本格的なものでした。
合唱隊の方も数人いて、参列者は視察団の10数人だけでしたが、こぢんまりとした温かい式になりました。

彼女の親御さんには見せてあげられなかった。
それだけが、少し気になりました。
もっとも、彼女自身はそういうことをあまり気にしない人ですし、式は満足のいくものでした。

他の視察団の皆さんは、当日も朝から予定通りの旅程を続けられました。
そして式の時間だけ、足を運んでくださいました。
結婚式の証人として、サインもしてくださいました。

そのサインを、後の披露宴でプロジェクターに映しました。

ハワイ島の教会で、初対面ばかりの皆さんに囲まれて挙げた式が、日本の披露宴の場にもつながっていました。
良い思い出です、と今でも思います。

帰国してから。

帰国してから、家族がどんな反応をしたのか。
正直に言えば、覚えていないのです。

怒られたのか、笑われたのか、呆れられたのか。
仲人の社長経由で連絡は入れていましたから、寝耳に水ではなかったはずです。
でも、その後の場面が、記憶にない。

あの頃は毎日突っ走っていました。
療養中の長い静止の反動だったのかもしれません。
気づいたら動いていて、気づいたら次の場面にいる。
周りの顔をゆっくり見る余裕が、どこかに飛んでいたのだと思います。

そういう時期でした。

農業が、人生をつないだ。

白いバラを持って初対面に臨んだあの日から、結婚式まで3か月でした。

その間に何があったかといえば、畑に出て、水をやり、葉の色を見て、土を触っていました。
変わらない毎日の中で、人生が動いていました。

療養が明けて5月1日に畑へ入り、ツートンカラーの頭で鏡の前に立ったあの朝が、起点でした。

農学部を出ても農業は素人で、水のさじ加減ひとつ分からなかったところから始まりました。
修行させてもらった農園の社長に、二人でお願いに上がり、仲人を引き受けていただきました。
その社長が縁をつないでくれて、ハワイで式を挙げるときには電話口で話を聞いてくれた。

農業が、人生をつないでいました。

どこでつながるか分からないものが、後になってつながる。

作物の水のさじ加減と同じで、「今がそのときだ」と分かるのは、後になってからです。
答えは先にあるのではなく、動いた後についてくる。

こんなとこまで来ていました。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

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「いくつもの道を、歩いてきました。」

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