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水のさじ加減。——答えは、作物が持っていた。

長い療養が明けて、畑に入りました。

父が立ち上げた農業法人です。
私が入るまでは父の知人である高齢の方2人が、準備作業を担ってくれていました。
本格的な農作業が始まる5月1日から、私が参入することになりました。

直接「やれ」と言われたわけではありません。
でも、たぶん私のために父が立ち上げた法人だと思っています。
だから、やらなければ、という気持ちで畑に入りました。

5月というと、日差しが強くなる頃です。

療養中、髪の毛を長く伸ばしていました。
耳が隠れて首まで届くくらいに。
髪を短く切った時、鏡を見て笑いました。

耳から顔の前面が日焼けで真っ黒に、耳から後ろの首まで真っ白のツートンカラーになっていたのです。

重い決意で入った畑の、最初の記憶がそれです。

知識と、畑は別だった

農学部を出ています。
生物の基本は大学で学んでいました。
知識としては、充分なつもりでいました。

でも、農作業は全くの素人でした。

ベテランの2人に農業の何たるかを指導してもらいながら、作業を覚えていきました。
ただ、2人は農作業の経験は豊富でも、商業レベルで野菜を育てることには詳しくなかった。
家庭菜園と商業農業は、別物です。
規模が違えば、管理の仕方も、判断の基準も変わってくる。

半年ほどで、2人とも高齢を理由に身を引きました。

その後は、母と叔母と畑に立ちました。

2人は姉妹で、元が農家の出でした。
それはもう、よく働く。
草取りや細かな作業はほとんどこの2人がやってくれていて、いなければとても回らなかったくらいでした。

ただ、口やかましかった。
特に母が。

畑では、理屈より先に体が動く人たちでした。
私の理屈っぽさと、よくぶつかりました。

頭が上がらない、とはこういうことを言うのだと思います。
畑では、知識より先に、そういうことを学びました。

知識はある。
でも、商業農業の現場で何をどう判断するか。
手探りの状態でした。

修行に出た

実は、父に農業をやってみてはどうかと最初に声をかけてくれたのも、半島の向こうの農園の社長でした。
いわば、この農業の起点になった方です。
その農園に、1週間の修行をさせてもらいました。

そこで学んだことの中で、一番体に刻まれたのは、水のことでした。

作物にとって、水は命です。
養分も重要ですが、水のさじ加減一つで、健康にも病気にもなる。
多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ。

では、どのくらいが適切か。

それは、作物の成長ステージによって変わってくると教わりました。
一律の答えがない。
今なのか、あとなのか、遅すぎたのか。
その判断は、作物をよく観察しなければ分からない。

教科書で学んだことと、目の前の作物を見て判断することは、別のことでした。
知識が土の上に降りてくるまでに、時間がかかるのだと知りました。

観察することが、最初の仕事だった

それから長い農業の時間が始まりました。

水を見る。
葉の色を見る。
茎の張り具合を見る。
天気を見る。
土を触る。

急かしても、作物は教えてくれません。
じっと見ていると、少しずつ分かってくることがある。

答えは作物が持っていました。
こちらはそれを読もうとするだけです。

観察することが、最初の仕事でした。

子どもを見るときも、同じだと思っています。
言葉にならない困り感を持つ子の前で、まず観察する。
今なのか、あとなのか。
急かすことが、サインを見えなくする。

答えは、子どもが持っている。

畑で体に刻んだことが、別の場所でつながっていました。

縁は、思いがけない場所にあった

修行先の農園の社長が、私どもの仲人になりました。
農業が、人生をつないだのです。

療養明けに畑へ入り、修行に出て、気づけば人生が動いていました。
自分で切り開いたというより、動いていたら運ばれていた、という感覚の方が近い。

その後、農業を始めて1年ほど経った頃、結婚することになりました。
紹介から始まり、たった1年の間に、順番も何もかもバラバラな出来事が重なっていきます。

その話は、またの機会に。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

はじめてお読みになる方へ
この連載の自己紹介はこちらです。
「いくつもの道を、歩いてきました。」

連載を第1回から順番に読む方はこちらです。
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