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DXでガンバル先生——見え方が変わるとき


妻が、保育士です。

ずっと書かずにいました。
身近すぎて、書きにくかったのかもしれません。
あるいは、書く準備ができていなかったのかもしれない。

妻の口から、現場の話を聞くことがあります。
愚痴ではありません。
ただ、疲れている、という気配が言葉の端々にあります。

名前を呼ばれる先生

たまに、妻を迎えに行くことがあります。

駐車場で待っていると、園の方から小さな声が聞こえてきました。

「はるかせんせい~、さよ~なら~」

妻が振り返って、答えています。
車に乗り込んでから、妻が言いました。

「受け持ったことない子なんだけどね」

笑っていました。
私も笑いました。

でも、その声のかわいさが、しばらく頭から離れませんでした。

子どもは、関わってくれる人を知っています。
名簿の上の担任など、関係なく。
自分に向き合ってくれる人の名前を、体で覚えている。

積み上げてきた時間が、名前になって返ってくる

なぜ妻が名前で呼ばれるのか。

保育士になる前、妻は補助員として現場にいました。
その頃から、おはなし会や音楽の時間を通じて、子どもたちと関わり続けてきました。

特定のクラスの担任ではない。
でも、音楽があれば、そこに妻がいた。
語りがあれば、そこに妻がいた。

子どもたちにとって、妻は「自分のクラスの先生」ではなく、「いつもいてくれる人」だったのかもしれません。

急かさずに積み上げてきた時間が、名前になって返ってくる。
第1回に書いた「作物も子どもも、急かしても育たない」という言葉が、あの小さな声の中にある気がしました。

知っていても、使えない

ただ、現場には余裕がない、ということも伝わってきます。

先進的な園では、連絡帳も登降園管理もアプリで動いています。
AIを使った保育記録の効率化も、すでに世の中に出ています。
現場の先生たちが知らない、という話ではないと思います。

問題は別のところにあります。

導入するかどうかは、園長や法人が決めることです。
現場の先生がいくら「使いたい」と思っても、自分では決められない。
「知っている」と「使える」の間に、大きな壁があります。

妻の園では、パソコンで管理しています。
ただ、キーボードに苦手意識のある先生がいて、入力を他の先生に頼むことがあるそうです。

頼まれた先生は、自分の仕事に加えて、他の人の記録も入力する。
頼む側も、頼まれる側も、それぞれの重さを抱えている。

そこに、小さな不公平感が生まれます。
悪意はない。

でも、余裕が少しずつ削られていく。

音声で話しかければ、AIが文章にしてくれる。
キーボードが苦手でも、自分の言葉で記録を残せる。
そういう技術は、すでにあります。

できるのに、と思います。
でも、現場の先生には、それを動かす権限がない。

見方が変わると、余裕が生まれることがある

では、先生自身にできることは何もないのか。

そうは思いません。

ひとつ、思うことがあります。
子どもへの見方を変えること。
自分の働きへの見方を変えること。
それだけで、余裕が生まれることがあるのではないか、と。

「困った子」と見るのか、「何かを補っている子」と見るのか。
同じ子どもを見ていても、見方が変わると、関わり方が変わります。
関わり方が変わると、その子の反応が変わります。

余裕は、時間から生まれるとは限りません。
見方が変わったとき、ふっと力が抜けることがある。

これは、紙上の空論かもしれません。
でも、そうではないと信じています。

時間が増えるだけでは、足りない

最初から、思っていたことがあります。

AIを保育に使うことへの関心がある。
でもそれは、子どもを効率的に管理するためではない。
書類や記録の時間を減らして、子どもを見る時間を守るためだ、と。

その気持ちは、今も変わっていません。

ただ、妻の現場を横から見ていて、思うことがあります。
時間が増えるだけでは、足りないのかもしれない。

子どもを見る時間が増えても、見方が変わらなければ、見えるものは変わらない。

AIが余裕を作る。 余裕が、見方を変えるきっかけになる。
見方が変わると、子どもが変わって見える。

そういう順番で、少しずつ変わっていけばいい。
急かさなくていい。
構造が変わる日を、静かに待ちながら。

今日も妻の話を聞いています。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。 登場する人物の名前は仮名を使用しています。

はじめてお読みになる方へ
この連載の自己紹介はこちらです。
「いくつもの道を、歩いてきました。」

連載を第1回から順番に読む方はこちらです。
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