AIを先生にした話。——「なぜ」を聞き続けた、独学の記録
前回、試験会場で補聴器を外したことを書きました。
あの記事では書き切れなかったことが、一つあります。
勉強の話です。
テキストを一冊も買いませんでした。
使ったのは、PCとスマホだけです。
その話を、もう少し続けたいと思います。
答えを教えてもらおうとは、思わなかった
過去問を解いていると、どうしても分からない問題に当たります。
そういうとき、私はAIに聞きました。
ただ、「答えを教えてほしい」とは聞きませんでした。
聞いたのは、こういうことです。
「なぜこの選択肢が正解なのか」
「この法律は、何を守るために作られたのか」
「この考え方は、どこから来ているのか」
答えの番号を知っても、根っこが分からなければ、少し形を変えた問題に対応できません。
「なぜ」を聞くことは、遠回りに見えて、実は近道でした。
問答を重ねるうちに、知識が自分の言葉になる
AIとのやりとりは、一問一答では終わりませんでした。
「もう少し具体的に説明してほしい」
「別の言い方をするとどうなるか」
「子どもの現場では、これはどう見えるのか」
重ねていくうちに、最初は他人の言葉だった知識が、少しずつ自分の言葉になっていく感覚がありました。
人に説明できるくらいになって、はじめて「分かった」と言えると思っています。
AIへの問いかけは、その確認作業でもありました。
AIは、間違えることがある
ただ、AIは間違えることがあります。
気づいたとき、少し違和感がありました。
でも、その違和感こそが大事だと、だんだん思うようになりました。
答えをそのまま受け取らず、自分でも確かめる。
その姿勢が、ただ正解を写すだけの勉強とは、決定的に違いました。
「本当に?」
「そうかな?」
・・・と疑いながら聞く。
それは受け身ではいられない、ということでもあります。
自分でも考えながら聞かないと、間違いに気づけない。
暗記と理解は、似ているようで違います。
その違いを、AIとの問答の中で何度も確かめました。

夜、児童福祉法の問題を見ていた
夜、パソコンの前で児童福祉法の問題を見ていました。
「児童の最善の利益」という言葉が出てきます。
でも、その言葉の意味が、どうしてもわからなかったのです。
最善の利益とは、誰にとっての利益なのか。
大人の都合ではないのか。
「保護する」という言葉は、時々、強すぎる意味を持たないか。
そんなことを、AIに何度も聞き返していました。
すると、条文の説明だけではなく、
「子どもを一人の存在として扱う」という考え方が、少しずつ見えてきました。
問題を解いていたはずなのに、
いつの間にか、「子どもを見るとはどういうことか」を考えていました。
試験のための勉強が、いつの間にか、別のものになっていた夜でした。
見え方が変わると、覚え方が変わる

マインドマップも使いました。
言葉と言葉を線でつなぎながら、関係性を画面の上に広げていく方法です。
テキストを読むより、自分の手で構造を描く方が、私には合っていました。
マップを使って、一番長く考えていたのは「社会的養護」の科目でした。
最初は、正直に言うと、混乱していました。
乳児院、児童養護施設、児童心理治療施設、母子生活支援施設……。
名前がたくさん出てきます。
最初の頃は、「全部別々に暗記しないといけないのかな・・・」と思っていました。
問題集を解いても、頭の中で施設の役割が混ざってしまう。
年齢の区分も、支援の目的も、うまく整理できませんでした。
そこで、マップの画面に、施設名を一つずつ並べてみました。
すると、少しずつ見えてきたものがあります。
施設養護と家庭的養護という大きな流れがあって、その中に、それぞれの役割がある。
「親と暮らせない子ども」という一言ではまとめられない事情があり、年齢や背景によって、必要な支援が違う。
乳児院は、小さな子どもの命を守る場所。
母子生活支援施設は、子どもだけでなく、母親ごと支える場所。
児童心理治療施設は、心に傷を負った子どもが、生活しながら回復していく場所。
児童養護施設も、「生活の場」であるだけではなく、その子がもう一度育っていく時間を支える場所のように、自分には見えてきました。
そうやってつながりを見ていくと、バラバラだった施設名が、「子どもを支える仕組み」として少しずつ立ち上がってきました。
覚える量が減ったわけではありません。
でも、「何のために存在しているのか」が見えると、記憶の残り方が変わる。
それは、ただ暗記するのとは、少し違う感覚でした。

農業の現場でも、似たことがありました。
転作田といって、田んぼを畑地化して小麦を植えることがあります。
もともと水を貯える田んぼですから、排水の仕組みを整えないと、小麦の根が酸欠状態になる。
圃場によっては、成長にばらつきが出てきます。
元気のない株を見つけたとき、土から上の茎や葉だけを見ていても、原因は分かりません。
根の状態を想像して、土を掘ってみる。
そうして初めて、何が起きているのかが見えてくる。
見えているものの裏に、見えていない原因がある。
それを想像して、確かめる。
その感覚は、勉強でも同じでした。
今も、続けています
今は、別の資格の勉強をしています。
夜、農作業を終えてから画面を開く。
分からない言葉にぶつかる。
またAIに、「なぜそうなるのか」と聞く。
やっていることは、保育士試験の頃と、ほとんど変わっていません。
再現性がある、と思っています。少なくとも、自分には。
ただ、この方法にも向き不向きはあると思います。
「答えを早く知りたい」という人には、遠回りに感じるかもしれません。
「なぜそうなのかが気になって仕方ない」という人には、はまると思います。
私は後者でした。
「なぜ」は、保育でも同じだと気づいた
勉強しながら、ふと思うことがありました。
AIに「なぜ」を聞き続ける感覚は、子どもを観察するときの感覚と似ている、と。
この子は今、何を見ているのか。
なぜこの場面で、表情が変わるのか。
答えを急がず、問いを持ち続ける。
それが、学びでも保育でも、自分には合っているようです。
見え方が変わると、覚え方が変わる。
そしてきっと、見え方が変わると、子どもの見え方も変わる。
そう信じながら、今日も画面を開いています。
この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。
記事内画像にはAI生成イメージを含みます。
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