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補聴器を外して、試験会場に座った。——独学で保育士資格を取るまで

保育士の資格を取ろうと決めたとき、まず「なぜ今さら」と言う声が頭の中で鳴り始めました。
それは他の誰かの声であり、気づけば自分の声でもありました。

でも、もう一つの声もありました。
現場で、気になっている子がいる。
その子に近づくための言葉を、自分はまだ持っていない。

もう一つ、正直に言えば、こんな思いもありました。
保育の現場をよりよくするために、できることがある気がしている。
でも、保育士が何を経験し、何に疲れ、何に喜んでいるのかを知らない人間が、外から何かを語ったり提案したりしていいのだろうか。

資格を取ることが、その問いへの答えになるとは限りません。
でも、同じ試験を受けて、同じテキストを読んだという事実は、何かを変えると思いました。

それが出発点でした。

独学を選んだこと

勉強の方法は、独学にしました。
だけど、テキストは一冊も買いませんでした。
勉強に使ったのは、PCとスマホだけです。

スクールや予備校に通う選択肢ははなからありませんでした。どうしても、自分のペースで進めたかったのです。
農業で働いてきた長い時間が、そう思わせたのかもしれません。
作物に合わせて動くのと同じように、学びも自分の体に合わせたかった。

勉強を本格的に始めたのは、試験の2か月ほど前からです。 農業の仕事をしながらでは、まとまった時間はなかなか取れません。
机に向かうのは、だいたい寝る前の2時間でした。
農作業で疲れた体で、画面を開く。
それでも続けられたのは、詰め込もうとしなかったからだと思っています。

過去問はウェブで探しました。
問題を解いて、分からなかったところはAIに聞く。
ただ、「答えを教えてほしい」とは聞きませんでした。
「なぜこの選択肢が正解なのか」「この法律は、何を守るために作られたのか」

——そういう問いかけ方をしていました。

暗記と理解は、似ているようで違います。
正解の番号を覚えることはできても、「なぜそうなのか」が分からなければ、少し形を変えた問題に対応できない。
保育士試験は、条文の知識だけでなく、子どもの発達や支援の考え方を問う問題が多いのです。
根っこにある考え方を理解していないと、応用が利かないのです。

AIと一緒にやる勉強は、その理解を掘り下げる作業に向いていました。

「もう少し具体的に説明してほしい」
「別の言い方をするとどうなるか」
と重ねていくうちに、知識が少しずつ自分の言葉になっていく感覚がありました。

教育原理の科目では、マインドマップも使いました。
ルソー、ペスタロッチ、フレーベル、デューイ……。
人物名と思想が次々と出てくる分野です。
ただ覚えるのではなく、「この人はこの人の影響を受けていて、ここが違う」という関係性の地図を、画面の上に広げていく。
そうしていくうちに、人物たちが少しずつ生きた顔を持ちはじめました。

農業のIT化に関わってきた経験が、こういうところで自然に出てくるのだと気づきました。
デジタルのツールを使うことへの抵抗がない。
むしろ、手書きのノートよりも自分に合っていた。

科目数は9科目。
試験は年に2回あり、一度合格した科目は3年間有効とされます。
焦って一気に詰め込む必要はない。
そう言い聞かせながら、画面を開く時間を続けました。

補聴器を外した、あの朝のこと

保育士試験は、筆記と実技に分かれています。
筆記試験の日、私は片方の補聴器を外して会場に入りました。

片耳には最新のスマート補聴器を使っていて、もう片耳には以前から使っている従来型のデジタル補聴器をつけています。

スマート補聴器は、Bluetooth接続ができます。
試験でその機能を使う気はまったくなかったのですが、「スマート機器の持ち込みは不可」という規定に引っかかる可能性がある。
そう判断して、外すことにしました。

残ったのは、長く使い続けた従来型の補聴器だけです。
年季が入って、性能は落ちていました。
静かな室内なら何とかなる。
そう思っていましたが、試験会場のアナウンスは思ったより聞き取りにくい声でした。

「問題用紙を配ります」 「始めてください」

そういった言葉は、目の前の受験者の動きを見て補いました。
周囲の気配を読んで、タイミングを合わせる。
長年、聞こえない環境で培ってきた習慣が、自然に動いていました。

実技試験では、スマート補聴器をつけたまま受験しました。 特に何も言われませんでした。
もしかしたら見た目では補聴器と分かりにくいのかもしれないし、会場によって対応が違うのかもしれない。
そのあたりの事情は、私自身もよく分かっていません。

試験会場で気づいたこと

受験者の多くは、若い人たちでした。
20代、30代が中心に見えました。
その中に混じって座っていると、「場違いかな」という感覚が、ふと浮かびます。

でも、それはすぐ消えました。
試験が始まれば、みんな同じ問題を見ています。
問題は年齢を選ばないのです。

問題用紙をめくっていくと、子どもの発達や支援に関する設問がいくつか出てきました。
専門用語として並んでいるその言葉が、ふと、子ども時代の自分の行動と重なりました。

あのとき自分がやっていたのは、こういうことだったのか。名前のなかった何かに、言葉が後からついてくる感覚でした。

手を止めて、少しの間、そのままでいました。

資格は、入り口にすぎない

1回目の試験は、9科目中2科目しか受かりませんでした。
正直、「そんなはずはない」と思いました。
手ごたえと結果が、あまりにも違いすぎた。
悔しいというより、腑に落ちない感覚でした。

気持ちを切り替えて、次の試験に申し込もうとしました。
ところが、忘れてしまっていて、気が付いたら申し込みの期限を過ぎていました。
試験は年2回ありますが、その次の回を逃してしまったのです。
結局、2回目の試験を受けたのは、1回目からちょうど1年後のことでした。

焦っても仕方がない、とは思いました。
その後、1年近く、勉強らしいことは何もしませんでした。 また画面を開き始めたのは、2回目の試験の2か月ほど前。
最初のときと、同じ始め方でした。

そして2回目、残り7科目を受けました。
自己採点をしながら、いくつかの科目はギリギリだと分かっていました。
保育士試験の合格ラインは6割。
そのラインをかろうじて超えているかどうか、という科目が何科目かある。
結果が出るまで、あまり期待しないようにしていました。

蓋を開けてみると、7科目すべて合格していました。
うち3科目は、点数がちょうど6割。
1問でも違っていたら、落ちていた科目です。

正直に言えば、まぐれだったと思っています。
劇的な話でも、努力の物語でもない。
ただ、続けていたら、ギリギリで揃っていた。

それが正直なところです。

保育士資格を取った、とは言えます。
でも、まだ現場には入っていません。

実際の保育の場がどんなものかは、これから知っていくことになります。
ネットで学んだことが現場でどう生きるのか、あるいは全然違うのか、それはまだ分かりません。

資格は、入り口を開けるための鍵です。
扉の向こうに何があるかは、入ってみなければ分からない。

急かさないこと。
作物を育てるときも、子どもを見るときも、そして自分が何かを学ぶときも、それだけは変わらない気がしています。

補聴器を外して試験会場に座ったあの朝のことを、時々思い出します。
聞こえない部分を、別の感覚で補いながら。
それでも、前を向いて問題用紙を開いた。

それでよかったのだと、今は思っています。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

はじめてお読みになる方へ
この連載の自己紹介はこちらです。
「いくつもの道を、歩いてきました。」

連載を第1回から順番に読む方はこちらです。
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