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先生と呼ばれて。——夜ごと先生になっていった。

「先生」と呼ばれるようになりました。

大連の農村地帯で、私はそう呼ばれていました。
農業指導のために来た日本人、という立場でした。

農業は、この時までに20年近くやってきました。
農園を経営し、コンサルタントを入れて指導を受け、自分でも試行錯誤を重ねてきたのです。
農業そのものは、もちろん専門家です。

ただ、中国では伝えなかった事実がありました。

その農園で栽培していた野菜を、私は一度も育てたことがなかったのです。

「らしく」しなければならなかった。

普通の農家なら、育てたことのない野菜でも栽培できます。 基本は同じだし、作りながら学んでいけばいいのです。
土の管理、水の管理、光の管理——根っこにある考え方は変わりません。

でも、人に教えるとなると、話は違ってきます。

その野菜特有の生育のクセも、作物ごとの病気や害虫も、自分の体に染みついていないと教えることなどできません。

「先生」と呼んでくれる人たちの前で、知らないことを知らないままにはしておけない。
そう思いました。

らしくしなければ、と思いました。
夜ごとに、先生になっていくしかなかったのです。

寮の自室で、日本へ手を伸ばした。

夜ご飯を食べ終わると、自室にこもりました。

寮といっても、普通のマンションです。
通訳とそれぞれ個室を持ちながら、一緒に暮らしていました。
壁一枚向こうに、誰かがいる。
そういう環境でした。

中国のインターネットには、規制がありました。
当時はまだ今ほど厳しくはなかったのですが、グーグルにはアクセスしにくい状態でした。
日本語の農業情報を検索するには、別の方法が必要でした。

私は、日本の自宅に置いてきたパソコンに、リモートアクセスする方法を使いました。

大連のマンションから、鹿児島の自宅のパソコンを動かす。
そこからグーグルで検索をかける。
見つけた情報を、手元のノートにびっしりと書き写していく。

遠くへ手を伸ばして、情報を手繰り寄せる。
そういう感覚の作業でした。

夜中を過ぎても、ノートを書き続けました。
翌朝は3時か4時に目が覚めて、また書く。
農場に出る前に、その日伝えることを頭に入れておく。

電気をつけて夜遅くまで起きていることは、同居している彼には知られていたと思います。
何をしているのかは分からなかったでしょうが。

毎朝、昨夜より少しだけ先生に近づいていました。

方言で、かわした。

情報だけではありません。
家族との連絡も、簡単ではありませんでした。

LINEもメッセンジャーも、中国からは使えませんでした。
仕方なく、中国のアプリ「WeChat」を家族のスマホにもインストールして、通話をしていました。

ところが、ときどき盗聴されている気配がしました。
何となく、そう感じる瞬間があるのです。

そこで、方言を使うことにしました。
鹿児島弁です。
聞かれても、分からなければいい。
標準語では話さず、わざと濃い方言を出す。

少し可笑しな話です。
聴覚障害を持つ自分が、聞かれないために言葉を使う。

補う、ということを長くやってきました。
でも大連では、補い方が少しずつ違いました。
情報を補う。
声を補う。
そして、言葉そのものを盾にする。

環境が変わると、補い方も変わる。
それでも、補おうとすること自体は、変わりませんでした。

二人の通訳のこと

通訳は、滞在中に一度交代しました。

最初の通訳は、私を大連に呼んでくれた知人の友人でした。
中国の方です。
農業の専門用語には詳しくなかったけれど、何でも話せる気安さがありました。
どちらかといえば、友人として接してくれていたように思います。

二人目は、オーナーが用意した通訳でした。
日本の大学で学んだ方で、農業用語で分からない時には私にきちんと確認してくれました。
そして、指導者として扱ってくれました。

どちらがよかったか、は言えません。

気安く話せたのは、最初の通訳でした。
先生として立てたのは、二人目の通訳がいてくれてからでした。

人との関係が、自分の立場をつくることがある。
通訳が変わるだけで、同じ自分が違って見えてくる。
そのことを、あの半年の中で静かに感じていました。

知らないことは、弱さではない。

後から振り返って思うことがあります。
「知らなかった」という事実は、当時の自分を弱くしていたか。

そうは思いません。

知らなかったから、調べた。
調べたから、見る目が変わった。
見る目が変わったから、農場長に伝えられることが増えた。

聴覚障害を持って生きてきた中で、似たことを何度も経験しました。
聞こえない部分を、別の何かで補う。
補おうとするとき、人は普段使わない感覚を研ぎ澄ます。

知らないことを、知ろうとすること。
それは補うことの、別の形だったのかもしれません。

大連の窓から見える月は、きれいでした。
鹿児島で見る月とは、違う美しさがありました。

遠くへ手を伸ばしながら、その場所で立ち続ける。
夜ごとに、少しずつ先生になっていく。

そんな夜でした。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

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「いくつもの道を、歩いてきました。」

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