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突然の来日。——外国人研修生が教えてくれたこと

採用するつもりは、なかったのです。

知人から「一緒に中国へ行かないか」と誘われました。
その知人というのが、外国人研修生の日本側受け入れ組合をやっている人物で、後に私を大連へ連れて行くことになる人です。
その時はまだ、そんなことは知りませんでした。

採用面接に、ただの見学として同行するだけのつもりでいました。
「採用しないよ?見学だからね。」と念を押して、飛行機に一緒に乗ったのです。

面接会場には、18歳から27歳くらいまでの若い女性たちが、30〜40人並んで待っていました。
別の会社の社長が面接するところを横で見ていたら、なぜか自分も面接官になっていました。

動機は分かっています。日本で働きたい理由は、お金なのです。
それは疑いようもない。
でも、そのために中国の研修施設で、しっかり準備してきた乙女たちの姿を目の前で見たら、いじらしくなってしまいました。

結局その中から、2人を選んでしまいました。
いい子だったもので。

帰国してから、はたと気づいてしまいました。
受け入れる寮の準備も、手続きも何もできていない。
仕方なく、しばらくは自宅のロフトに住んでもらうことになりました。
2階の上にある、こじんまりとした屋根裏的空間です。

その2か月が、3年間を決めることになりました。

食卓が、教室になった。

ロフトに住んでいた2か月ほどの間、毎日夕食を一緒に食べました。

最初のうちは、言葉よりも先にノートが出てきます。
漢字の国から来た彼女たちには、漢字を書いて見せると意味が伝わることがあるのです。
日本語の漢字でも、なんとなく分かる、という感じで。

それでも話すとなれば、日本語でやりとりするしかない。
食卓の時間が、毎日の日本語の練習になっていました。

あるとき、こちらがふと「はい、今日の仕事はこれで終わりだよ」と言うと、一人がすかさず返してきました。
「社長、それは結束了(ズィェスーロァ)というんですよ。」
は?そうなの?大学で少しかじった中国語には、そんな言葉は見たことがありません。

教えているつもりが、教わっていました。

同じ日だったか、別の日だったか。
仕事の終わりに、もう一つ教わったことがあります。

「吃饭了没有?(ツーファンロァメイヨウ)」——直訳すれば「ご飯を食べましたか?」だが、これが挨拶代わりになるのだといいます。
「元気?」「元気だよ」くらいのニュアンスで、日常的に使われる言葉だと。

後に大連の農場で働くことになったとき、農民たちとすれ違うたびにその言葉が飛んできました。
大連では朝の挨拶として使われていました。
通訳に聞くと、「ザーファンロァメイヨウ」と聞こえるけど、方言の言い方だという。

研修生から教わっていたから、すぐに分かりました。
なりゆきで始まった食卓の時間が、後になってつながっている気がしました。

ちなみに、その2か月で一番の収穫は、妻が小麦粉から餃子と肉まんの皮を作れるようになったことらしいです。
本人談。

2人のタイプは、まるで違った。

最初に来た2人は、タイプがまるで違う子たちでした。

一人は、とにかく積極的です。
何でもやりたがるのです。
危なっかしいことも「いいんだが、いいんだが」と言いながら、こちらのハラハラをよそに突き進む。

トラクターを運転したがったときは、畑の中だからまあいいか、と思いました。
軽トラを運転しようとしたときは、さすがに止めたものです。
公道は違反になる。
もっとも、18歳の子には強く言えないもので、内心ひやひやしながらの制止だったのですが。

もう一人は、まじめで頭がいい子でした。
ノートにびっしりと練習の跡を残しながら、着実に日本語を積み上げていきました。

面白かったのは、ある程度話せるようになってから、2人がお互いに日本語で話し始めたことです。
中国語で話せばいいのに、わざわざ日本語を選ぶ。
練習のためでもあると思いますが、それだけではない気もしました。
日本語が、2人の間の共通語になっていたのでしょう。

3年間で、まじめな子は日本語検定1級を取得して帰りました。
もう一人も2級を取っていきました。

正直に言えば、自分が同じ環境に置かれても、逆に3年で中国語をあそこまで話せるようになる気はしない。
それくらい、たいしたものだと思っています。

特別だったのだと、思っている。

研修生を受け入れたのは、2回です。

他の会社へ行った同期の研修生たちの中で、検定を受けた子はいなかったと聞いています。
それが普通なのだろう。
最初に来た2人が特別だったのだと、今も思っています。

帰国の日、空港へ見送りに行ったときです。
同期の何十人かが一緒に帰る便でした。
見送りに来たのは、私たち家族くらいのものでした。
他はみんな、組合任せ。

最初は賑やかでした。
3年ぶりに故郷へ帰れる。
そのうれしさで、みんな和気あいあいとしていました。

保安検査のゲートを通過したあたりで、様子が変わりました。
こちらの姿が見えにくくなったのか、2人が辺りを探し回っているのです。
顔がぐしゃぐしゃになっていました。

いじらしかった。離れがたかった。そんな気持ちでいっぱいでした。
最後は何度も手を振りながら、ゲートの向こうへ消えていきました。

空港のロビーが、急に静かになりました。

その後も、WeChatでテレビ電話を続けました。
何年かは。
今は、みんな結婚して子どもも生まれている。
WeChatのモーメンツという投稿機能で、そういう情報が届いてきます。
あの面接会場に並んでいた18歳の子たちが、誰かの母親になっている。

もう15年以上が経ったのですね。

整えた環境より、なりゆきの時間が育てた。

言葉は、話しかけられる中で育つと聞いたことがあります。
声をかけ続ける親のそばで、子どもの言葉は少しずつ増えていく。
教室でも、テキストでもなく、毎日の生活の流れの中で。

最初に来た2人が育てた日本語も、そうだったと思います。
食卓のやりとりの中で、「結束了」を教えてくれた夜の中で、2人でわざわざ日本語で話し合っていた時間の中で。

保育の現場で子どもを見るとき、同じことを思います。

設計された活動の時間よりも、なんでもない廊下の会話、なんでもない給食の時間、そういう場所で言葉も関係も育っていく気がするのです。

整えた環境が、いつも一番とは限らない。

準備が間に合わなかっただけの2か月が、3年間の土台になっていました。
そういうことが、子育ての中にも、保育の現場にも、きっとある。

急かしても、育たない。
でも、なりゆきの時間は、思いがけないものを育てることがある。


この連載では、実体験や現場での観察をもとに、AIも活用しながら文章化しています。 記事内画像にはAI生成イメージを含みます。

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「いくつもの道を、歩いてきました。」

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