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犠牲の深淵その弐 〜僕らの足場は犠牲と屍〜


犠牲の屍の上に
私たちは生きている

それは望まざるとも
あなたの下にも



こんにちは
こんばんわ

ともひろです。

今回は前回の続き
前回はこちらから

労働が命の犠牲の産物だよって
そんな話をしています。

今回は具体的にどんなところが
今の社会で犠牲まみれなのか

それを残そうと思います。

それではどうぞ。


命の上に

この社会そのものが
労働の積み重ねでできているわけだから

社会という環境にいる限りは
犠牲というのつきまとう。

どんなものにだってそうだ。

そこから逃げれるとしたら
樹海の奥地か無人島での
たった一人の暮らしが
その答えになるだろう。

社会と関わる限り
犠牲とも付き合わなければならない。

そしてそれは

私にとっては
他者の命に上にこの社会が成り立っている

そう見えてしまうのだ。

そしての上でこの社会で生きるなら
他者の命を犠牲して私は生きている。

その自覚があまりにも辛い。

私は願うなら
何も誰も犠牲のない世界で
そして私自身がそれを生み出さない
そんな世界で生きたかった。

綺麗ごとだとはわかっている。
綺麗ごとで良かったんだ。

私は聖人君子になりたかったのだから。

犠牲の上で生きたくないのは
私が穢れたくないからだ。

綺麗に生きたかった。

それが私の本音だった。

その根っこには
子供の頃に言われた
他人に迷惑をかけるな。

その言葉が大きく影響している。

迷惑かけない=他人の犠牲を出さない。

そうなっていたのだと思う。

それが綺麗こどを超えて
絵空事だったことは
もはや言うまでもないだろう。

その時に絶望した。

この世界が生き地獄になった瞬間である。

犠牲だらけ

私の目には
この世界のありとあらゆるものが人の命でできている。

そんなふうに見えるのだ。

例えば建物
自然にできたわけじゃない。

誰かが労働によって作った。
そしてその建物の材料の鉄やコンクリートだって
誰かが労働によって生産されたものだ。

それだけじゃない。
建物を安全に作るためのマニュアル。
あれはなんでできたのだろうか?

簡単だ。

建設中に怪我をしたか
命を落とした人がいるからだ。

その人たちの犠牲があったから
同じことを出さないために
その安全マニュアルが作成されたのだ。

そしてそれは建物の材料の生産過程にある
マニュアルでも同じことが言える。

建物が犠牲なく作成できたとしても
その裏側には紛れもなく犠牲がある。

これを建物が大きくなればなるほど
たくさんの犠牲がつきものだ。

道路も同じだ。

この国に血管ように張り巡らされているが
それだけの労働の犠牲があった。

我々が毎日、安全に歩けているのは
その人たちの犠牲があるからだ。

道は歩くのが正しい姿ではあるが
それは他者の犠牲を踏みにじる。

そういうふうにも見えることができる。

我々は毎日
命の犠牲のもとにできた道の上を
踏みにじりながら歩いている。

一歩一歩、歩くということは
なんと罪深いことなのだろうか。

例えばインフラ関係
電気、水道、ガス

これらは地下を掘って
それぞれの管を通している。

掘り返すだけでも一苦労なのに
さらにそれを埋めるのだ。

さらに地中は1度配置したら修正が難しい。
それだけ緻密に計算された作業が求められる。
それだけの労働が求められる。

さらにだ。

私は都内で穴を掘るという行為は
かなり罪深いものなのではないかと思う。

何故かというと
都内の土には高確率で戦時中の死者が眠っている。
それを掘り起こす行為だ。

あれだけひどい戦争だったんだ。
まともに埋葬されななくて
死んでそのまま放置された人が多いだろう。

地面を掘り起こすのは死者の眠りを妨げる
とてつもない背徳行為だ。
そしてその上で歩くのもまた
過去の犠牲を踏みにじる行為だ。

インフラ関係を整備してくれた人たちは
その罪を私たちの代わり背負っている。
これもまた犠牲だ。

そして私が最も犠牲があると思うのは
医療関係のことだ。

それについてはこの記事を読んで欲しい。

タイトルかも見れる通り
医療は犠牲の積み重ねだ。

そしてそれを受けられるのに
犠牲に感謝しないのは
とてつもなく背徳行為だ。

医療が安全に使える
このことを感謝するとともに
犠牲の歴史も忘れてはならない。

むしろここまで犠牲だらけだと
犠牲がないものを探す方が難しい。

皆さんの身近にあるものだって
必ず犠牲のもとに存在をしている。

それを忘れずに
そしてその犠牲に気づいて欲しい。

その先に何があるか
何を感じるかどうかは
あなた次第である。

地獄を生き続け

私の頭の中では
犠牲探しのオンパレードだ。

そして犠牲に気づくたびに落ち込む

自らの潔白さを穢されて
犠牲なく迷惑なく生きることが無理と
この世界がことごとく証明をする。

そんな犠牲だらけの世界を見続けた私は
心が荒み、傷ついていったのは
説明するまでもないだろう。

やがて私は目を潰した。

世界を見て傷つくくらいなら
私は自らの目を潰し
世界との繋がりを断つ。

こんな世界なら私は見たくなかった。
だから目を潰した。

私は世界との繋がり断った。
目を閉ざした。

そしていつしか
心も閉ざしていった。

私の心に残ったのは
世界が犠牲だらけで残酷な地獄と
それに打ちのめされて傷ついた心

閉ざした心に光が差し込むことはなく
永遠の鎖に囚われた。

犠牲だらけの世界

そこに囚われた私はこれが一生続くのかと絶望だった

心を閉ざしたということは
現状維持というのも楽観的。

実際には良くはならないけど
悪化する可能性はある。

そんな不安定かつ危うい状態だった。

私はそれにすら目を瞑った。

犠牲の世界を生きた私は
これからどうなりどこへ行くのか。

犠牲の先にあった自分は
どうしようもない世界だった。

犠牲の深淵

その名がふさわしい世界に私はいた。

蜘蛛の糸にすがって

蜘蛛の糸という話を知っているだろうか?

地獄に落ちた罪人が
天国から伸びる蜘蛛の糸を掴み
上に向かって登っていく話だ。

もし私がいる地獄を例えるなら
光がすら届かない犠牲の深淵だろう。

けれども光がなくとも糸は掴める

私が掴んだものは

さらなる地獄へ引きずり込む番犬の尻尾か?

はたまた天国へと通じる儚い蜘蛛の糸か?


それはまた次回のお話。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回犠牲編最終章は2025/03/21金曜日公開です。

ぜひフォローしてお待ちください。

それではまた。


3部はこちらから


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