【40歳過ぎてシンガーソングライターに その2】|創作大賞|オールカテゴリ部門|ノンフィクション
【第二章|母との距離】
母との関係には、長い間たくさん悩んできた
小さい頃から理不尽に責められたり、否定されてきたけれど
本当はとても優しい人だった
そう言うと「共依存してる」と言われることもあるけれど
女1人で私たち子供のために必死で働いて
毎日忙しいのに、いつも美味しいご飯を作ってくれたり
習い事をさせてくれたり、学校も不自由なく通わせてくれた
生活への心配
子供への心配
そんな心配が捩れて歪んで恐怖になり母を襲っていたのだと思う
私が毎朝ちゃんと1人で起きても、ご飯を食べていても
学校へ行く用意をしていても
何もやっていないわけじゃなくて、やっているのに
とにかくずっと
「早くやらないとダメだろうが‼︎」と叱られて
自分が一体何をどうしていたらいいのか?
許してもらえるのか?
分からなくなってしまった
ずっと何かに追い詰められている気持ちで
怯えるようにして生きてきてしまった
母はよく
「自分は不幸の星の元に生まれたから幸せにはなれない運命なの」
と口ぐせのように、自分に言い聞かせるように言っていた
大人になって、早くに結婚し、出産した私は
なんとか母に安心してもらいたくて、そして楽しんでもらおうと
娘を連れて母とあちこち車で出かけた
しかし、どこへ行っても母の口からは
「つまらない」という言葉しか出てこなかった
知人から感動するような、心温まる奇跡のような話を聞いて
母にも話してみると
「うわぁ、悲惨だね」と受け取られてしまったり
せっかく喜んでもらおうとしたのに出る杭打たれる気分で
母に会う度に、気持ちがすれ違い
だんだんボタンの掛け違いのような仲になってしまった
いつも他人と比べられてきたこともあって
大人になるに連れて、私自身も
他人の目が気になったり
誰かと比べてしまう癖がついてしまい
劣等感が強くなり、みんなと楽しく話しているようにみせては
内心、私もみんなと同じように
ただ、ここにいていいんだろうか?と
常に不安に怯えていた
小さい頃から
母に言われてきた言葉が脳内でフラッシュバックする
*****
それは私がまだ2歳の頃
おそらく私の人生でいちばん最初の記憶
父と母の間に川の字になって寝ていた私は
ある朝、バリバリガッシャーン‼︎という
ものすごい音と母の狂気めいた怒鳴り声で目が覚めた
目を開けると、母が何やら長い棒で
部屋の天井からぶら下がっているガラス製の照明をバリバリに割って
父に向かって怒り狂って怒鳴っていた
恐る恐る、となりで寝ていた父の方に目をやると
父の寝ていた敷布団の上には
粉々になったガラスの破片がビッシリ飛び散っていて
父はその破片で肘下あたりを小さく切って血が出ていた
私は、まだ小さいながらにも
起きたことが母にバレたら、殺されるかも知れない
そんな恐怖でいっぱいになり
薄目で、その様子を見て、必死に寝たふりをしていた
あの時の光景や自分が感じた思いを
今でも生々しく覚えていて、記憶から消せないでいた
両親が離婚して、名古屋に来てからも
母は度々、ヒステリックに怒ってはガラスを割った
「アンタはちっともお母さんを助けようとしない」
「ちょっとはお母さんを手伝ったらどうなんだ⁉︎」などと怒られて
母は言葉では発散し切れず
怒りが収まらなくなると
台所に行って、置いてあったガラスのグラスを
次々と流し台にぶつけて
バリバリに割り出した
私は、母がいつその割れたガラスの破片を持って
自分を刺し殺ろして来るかもしれない、と
あの日、腕から血が出ていた父のことを思い出して
恐怖でたまらなかった
また、私が小学校3年生の時には
友だちと遊ぶために
その友だちが住んでいた社宅になっているビルに行ったら
外階段を登っている途中で
スーツを着た中年男性に
「今日運動会だった?」と声をかけられて
振り向いたら、レイプに遭ってしまった
当時はレイプなんて言葉も、まだ知らなかった
近くで傍観していた大人もいて
小さい声だったけど
「助けて…」と言ったけれど
大人は助けてくれなかった
あまりのことに気が動転しながらも
友だちや、友だちのお母さんにも言えなくて
何もなかったふりをして、笑ってやり過ごして
なんとか友だちと普通に遊んで家に帰った
母にも何と言えばいいかも分からなくて
小さい頃から母に言われてきた
「アンタは我慢さえしていればいい」という言葉に
どこまでも逆らえず従ってしまい、結局母にも誰にも言えなかった
家に帰ってから、とにかく早くお風呂に入りたくて
お湯を出しながら、湯船に浸かって
さっき起きたことを思い返してボーっとしていたら
突然、母が
「いつまでお湯を出しっぱなしにしてるんだ⁉︎」
と怒鳴って、お風呂の入り口のガラス戸を蹴破ってきた
「ごめんなさい」としか言えなかった
*****
30歳を過ぎて、大人になってからやっと
「実は小さい頃あんなこと言われて傷ついたんだよ」
と直接、母に言えるようになったけれど
「私はそんな酷いこと言ったことは無い!
アンタが嘘ついてるんじゃないか?」と
自分が言ったことを忘れてしまうのか
無かったことにされてしまい
「私はアンタたち兄妹を平等に優しく育ててやっただろう」
と、あれもしてやった、これもしてやったと
母の中には、良い思い出しか残っていないかのように
思い出は美化されていた
「一生懸命働いて、せっかく育ててやったのに…」と
私を悪者にして自分が被害者のようになり
『言った、言ってない』論争で揉めたり
衝突してしまうことが増えていった
素直に母を思いやれない自分に
罪悪感を感じたり自己嫌悪したりを繰り返す
それでもやっぱり本当は優しい母のことが大好きで
親孝行したい気持ちがある…けれど
その後も何度もぶつかり合ってしまいました
*****
40歳を過ぎて離婚した私は
なんとか働きながら
音楽活動を続けられるようにと
週6で働きながら
仕事が終わったら
スタジオに入って練習したり
ライブに出たりしてきたけれど
運転免許証以外に
何の資格も持っていない
40歳を過ぎた私には
どれだけ仕事を頑張っても
月に十数万円くらいしか稼げず
パッと見は健康そうでも
色々と持病があったり
左手を少し使うと痛みが出たりして
働いては体を壊して
色々と職を転々とするも
なかなか長く続けられる仕事に
辿り着けなかった
自分1人が生きていくだけの経済的な力もないまま
離婚してしまった私は
母を頼って実家で生活させてもらっていた
幼少期からの母との問題もあったけれど
母も後期高齢者になって
昔とは違って考え方なども丸くなってきただろうし、と
きっともう大丈夫だと安直に考えていた
ところが、私が小さい頃は
毎日仕事して私たち子供を育てながら
生活することに必死で
ゆっくり私の話を聞いてもらうことも
できなかった母が
大人になってから一緒に暮らしてみると
今度は一変して
過干渉になってしまっていた
私の洗濯物も一緒に洗濯してくれたり
夕ご飯を作ってくれたり
母のしてくれていることは
本当にありがたいことだったけれど
私は毎日仕事で忙しくて
仕事中に入って来ていた
音楽関係などの連絡メールもたくさんあって
仕事中はなかなか
自分の携帯電話をさわれなかったので
家に帰ったら、まずそのメールなどを
確認して急ぎの要件には
すぐに返信したかったし
何より、外でずっと気を張って
あちこち走り回って働いてきて
疲れていたので
まずはほんの少しでも
ひと息つきたかった
でも母は、私が帰ると同時に
15時過ぎ頃から用意してくれていた
夕ご飯を温めて
ご飯を茶碗によそって
「冷めないうちに早く食べなさい」
と言った
仕事で疲れてるだろうと
母の心配と優しさでもあるのは分かるけれど
「ちょっと待って」と言って
私が携帯電話を確認したり
少し、フゥ〜と、ひと息つこうとしていると
「なんで食べないんだ?」
「冷めちゃうから早く食べなさい」
と急かされた
事情を説明して
「私のペースで食べるから」と言ったり
「晩御飯も、いつも用意してくれなくても
大丈夫だよ、遅くなる時もあるし
付き合いとかで外で食べて来る時も
あるから、自分で作って食べるから」
と言うと
「私のことを避けてるんだろう?」
「私を嫌ってるんだろう?」
と言われてしまうのだった
また毎日、仕事で汗かいて来ても
「服は1回着たくらいで
洗濯なんかしなくてもいい」
「お風呂も毎日入らなくてもいい」
「水がもったいない、お湯沸かすのがもったいない」
と言われてしまい
私も微々たる金額だったが
生活費の足しにと家にお金も母に渡していたが
当時、年金と週に2回ほど
午前中にパートに行っていた母の収入にも
かなり不安は強かっただろうと思う
後期高齢者の母なら
毎回洗濯しなくても
お風呂も2〜3日に1度でも
良いかもしれないけど
働き盛りで、毎日、他人と関わって
汗をかいている私にとって
そこも咎められると
なかなか厳しい思いがあった
まぁ、私が早く経済的にも自立して
自活出来れば良かったのだけれど
実家にいても
なかなか安らぐことができなかった
母には、いつもやってみる前から
「どうせダメだろう」
「絶対上手くいかない」
と否定されてきたので
「きっと大丈夫だよ」と
私の良い未来を信じて欲しかった
でも、そういうことも母に伝えると
「結局、私が全部悪いんだ」と言って
一見、反省しているようでいながらも
私は私で、どこか母を悪者にしてしまったような罪悪感が宿り
なんとも言えない苦しさが残る
そして母はまた「どうせ私は…」と
心のシャッターを閉じてしまうのでした
そんな実家を出て、母と離れて
私が40代にして生まれて初めての1人暮らしを始めることにした時に
母は「これ少しでも足しにして」と
これまで私が、母に渡してきたお金を
使わずに通帳に預金しておいてくれたのを渡してくれました
生活のために使ってくれれば良かったのに…
母の優しさは、こういうところ
本当は優しいと知っているから
本気で嫌いになったり、母を見捨てるようなことが出来なかった
お互いに心配し合いながらも
最近になって、ようやく少しずつだけど
良い距離感でいられるようになってきた…
と感じています
小さな溝みたいな心の傷に、固執して
『過去に言われた言葉を取り消したい』
という、不可抗力なことに
随分と長い年月を費やしてきてしまいました
今思えば、幼少期に父と離婚した母は
他人に甘えるわけにはいかない、と
辛い思いを抱え込んでいたのだと思います
満たされない心を
誰かに分かってもらいたい!
本当は誰かに助けて欲しい!という思いがありながらも
誰かに頼ってはいけない
迷惑かけちゃいけないと
人一倍頑張り屋さんで
本当に苦しくて大変だったと思うので
そんな母の心が、もし誰かを頼ってでも
少しでも救われていたら…
私との問題や距離もなかったのではないかなと思います
第三章へつづく
