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60代のリアル|第2幕、第8話【実録・事務職の限界】「手が空いているのに頼めない」──縦割りの壁と組織のルール


前回までのあらすじ

母の発熱により、7月7日(火)に予定していた介護医療院への転院が白紙となりました。

途方に暮れる間もなく日常の業務に追われる中、婦人科受診への紹介状を手配するため自ら病院へ連絡を取り、停滞していた状況を一手進めます。

一方で、職場の朝のデスクでは、母の厳しい状況を知った上司が思わず涙を流すという出来事もありました。

仕事と介護が交錯する中で、時間は止まることなく過ぎていきます。


▼ 前回はこちらです。



手隙の申し出と、課内の境界線

7月10日(金)

総務課で日常業務を進めていたところへ、他課のパートである高橋さん(仮名)がやってきて、同じ総務課のパート・田中さん(仮名)に声をかけていました。

「何か手が空いちゃって……何かお手伝いできる仕事、ありませんか?」

高橋さんはその日の午後、手元の作業がすっぽり空いてしまっていたようでした。

ただ、高橋さんからそうやって尋ねられるのは今回が初めてではなく、田中さんが渡せるような「簡単で隙間時間に頼めるちょっとした作業」は、すでにやり尽くして残っていませんでした。

そこで田中さんは、デスクで大量の書類整理を行っていた私のところへ相談にやってきました。

「しずるさん、高橋さんの手が空いてるみたいなんだけど、何か頼める仕事あるかしら?」

私の手元には、ちょうど手をつけていた大量のファイリング作業がありました。人手があれば助かる作業ではあります。

私と田中さんは同じ総務課同士なので、課の中での業務の融通であればその場で柔軟に判断できます。

しかし、高橋さんは「別の課」の所属です。

いくら現場で手が空いていて、こちらに頼みたい作業があったとしても、課を跨いで勝手に仕事を頼むわけにはいきません。

組織の中で動く以上、そこには越えてはならないラインがありました。



主任から課長へ──立ちはだかる「縦割り」のルール

高橋さんの手隙の状況と、私の手元にある大量のファイリング作業。条件だけを見れば、お互いにとって願ってもないタイミングのように思えました。

しかし、課を跨ぐ業務の依頼を現場の判断だけで進めることはできません。私はまず、総務課の主任に相談することにしました。

「高橋さんの手が今日のお昼から空くそうなんです。私のファイリング作業をお願いできたら助かるのですが、どうでしょうか?」

事情を聞いた主任も、単に「じゃあ頼もうか」とは決められませんでした。

高橋さんは「今日(7月10日)の午後」の手空きを解消したいという状態でしたが、来週以降のスケジュールまでは分からない状況です。

突発的かつ他部署が絡む業務調整となると、主任の立場でも判断を越えてしまうため、話はさらに上の課長へと上がることになりました。


そして、課長は、いつものように丁寧な口調で、そして持ち前のかなりの早口で静かに判断を伝えてくれました。

「急なお話ですし、他部署との業務の調整となると、今日の今日ですぐにお願いするのは難しいですね」

早口すぎて聞き取りに集中して受け止めましたが、部下に対しても常に丁寧で、組織の管理をきちんと考えられている課長だからこその、筋の通った判断でした。


しかし、この相談の中でひとつ、予想外の波紋が広がってしまいました。 私が主任に経緯を説明する際、「田中さんから高橋さんの手隙の話を聞いた」と口にしてしまったのです。

結果として、これまでも高橋さんの手が空いた際に、田中さんが現場判断で細かな仕事を回していたことが課長に知れ渡ることになり、田中さんが注意を受けてしまいました。

良かれと思って取った自分の行動のせいで田中さんに迷惑をかけてしまい、申し訳なさでいっぱいになった私は、後で田中さんに深く謝罪しました。

すると田中さんは、どこかやり切れない表情でこう言いました。

「総務課はこんなに忙しいのに……手が空いている人に頼んで何が悪いのかしら? 何かおかしいわよね」

そして、少し苦笑いを浮かべながら、こう言葉を続けました。

「それに、どうせ私はもうすぐ定年だしねっ」

ルールを守る組織の論理と、目の前の現場を回そうとする現場の感覚。その間で生まれた小さな摩擦と田中さんの言葉が、胸に重く残りました。



噛み合わない歯車──介護と仕事に共通する「仕組み」のもどかしさ

高橋さんに悪気があったわけではありません。手が空いたから手伝いたいというごく自然な申し出であり、私にとっても助かる話でした。

手伝いたい高橋さんがいて、頼みたい仕事が目の前にある。それなのに、突発的な現場の判断だけでは組織のルールを越えられず、間に入った田中さんまで注意を受けてしまう──。

「誰も悪くないのに、なぜうまくいかないのだろう?」
というやるせなさと、申し訳なさが残る出来事でした。

しかし、組織のルールに則って筋を通すということは、単に「ダメ」と突っぱねて終わるわけではありませんでした。

その後、しかるべき手順を踏んで課長や部署間での調整が行われた結果、私の抱えていた大量のファイリング作業は、7月末までの計画的な業務として正式に高橋さんへお願いすることが決まりました。

そして7月23日(木)現在、その作業は無事にすべて完了しています。

当日の突発的な融通はきかなくても、仕組みを通して順番を追えば、ちゃんと仕事は回っていく。

行政の手続きや病院でのやり取りなど、介護の現場でも感じてきた「制度やルールの不融通さ」と、会社の「縦割り組織」のもどかしさ。

どちらも一見すると目の前の壁に思えますが、ルールがあるからこそ守られている部分や、時間をかけてプロセスを踏むことの意味を、改めて考えさせられる経験となりました。

自分ではコントロールできない仕組みに焦ったりため息をついたりしながらも、今できる手順をひとつずつ踏んでいくしかない──。

仕事でも、介護でも、その積み重ねの先にしか静かな着地点はないのだと感じながら、今日も目の前のタスクと向き合っています。



🌿次回予告

止まらない日常と介護の狭間で、時間は静かに過ぎていきます。

母の診察のため、紹介状を手に向かった婦人科への道のり。 その途中で待ち受けていたものとは?──。

次回、その真相が明らかになります。

つづく


▼ 次回はこちらです。



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