PLAYLIST STORIES SONG01. 「土曜日の灯り」浜田省吾『丘の上の愛』より
※この作品は楽曲の歌詞を小説化したものではありません。作者が楽曲から受け取った風景や感情をもとに構成しています。
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土曜日の午後九時。
郊外のショッピングモールには、閉店を知らせる音楽が流れていた。
アオキ・シンジは、家電量販店の売り場の入口にパーテーションロープを張り、レジの売上データを確認してからバックヤードへ向かった。
五十三歳。
店長になって十年になる。
若い店員たちは「お疲れさまです」と頭を下げ、帰り支度を急いでいた。
シンジは従業員用の階段を上り、搬入口へ続く薄暗い通路を歩く。
清掃スタッフが床を磨き、警備員が無線機を片手に巡回している。
モールの外へ出ると、夜風が吹いていた。
駐車場の一角にあるタリーズコーヒーには、まだ灯りが残っている。
東京で暮らす娘が、数日前に送ってきたメッセージを思い出した。
――これ、お父さん好きそう。
その本を探しに、休憩時間に二階の書店へ立ち寄ったのが、すべての始まりだった。
雑誌を棚へ戻していた女性が、ふと顔を上げた。
一瞬、誰かわからなかった。
相手も同じだった。
「……シンジ?」
二十八年ぶりだった。
ナカムラ・マユミ。
高校時代の恋人だった。
以来、ときどき土曜の夜に会うようになった。
約束をしたわけではない。
シンジが店を閉める頃、マユミも仕事を終える。
二人はタリーズの窓際に座り、紙カップのコーヒーを飲みながら、とりとめのない話をした。
高校時代の話。
好きだった映画や音楽の話。
行きたかった街の話。
叶わなかった夢の話。
そして、二人がよく通った丘の上の公園の話。
海の見えるベンチ。
港を照らす工場の灯り。
自転車を押して登った坂道。
土曜日と決めていたわけではない。
待ち合わせをしていたわけでもない。
それでも振り返れば、あの丘へ向かったのは、なぜかいつも土曜日だった。
マユミは離婚していた。
数年前、母親の介護のため故郷へ戻ってきたという。
シンジは、店長として働いていることと、東京で一人暮らしをする娘の話をした。
「もう社会人なんだ」
「ああ。たまに連絡が来るくらいだけどな」
マユミは紙カップを両手で包み込みながら、少し笑った。
「……幸せそうだね」
シンジは曖昧に笑った。
「そう見える?」
「うん」
「そっか」
それ以上、何も言わなかった。
高校を卒業する春、シンジの父が倒れた。
東京へ行く話はなくなった。
地元に残り、働き始めた。
マユミは福岡の出版社へ就職した。
最初のうちは手紙が届いた。
電話もした。
だが、少しずつ回数は減り、やがて二人は別々の人生を歩いていった。
深夜、自宅へ戻る。
玄関の灯りだけが点いていた。
妻はもう寝ている。
数年前から地域の山岳サークルに熱中していて、日曜日はまだ暗いうちに家を出る。
いつからだろう。
二人が同じ食卓を囲まなくなったのは。
いつからだろう。
寝室ではなく、リビングのソファで眠るようになったのは。
翌朝、五時前。
玄関の閉まる音で目が覚めた。
カーテンの隙間から、妻の車のテールランプが遠ざかっていく。
シンジは時計を見て、もう一度、目を閉じた。
ある土曜日の夜。
帰宅すると、妻のスマートフォンがリビングに置き忘れられていた。
明日の登山の支度で慌てていたのだろう。
充電器につなごうとしたとき、画面が点いた。
山岳サークルの男の名前だった。
シンジは、本文を読まなかった。
いや、読む必要がなかった。
スマートフォンを裏返し、静かにソファへ腰を下ろした。
テレビはつけない。
部屋には、冷蔵庫の低い音だけが響いていた。
冬の終わり。
マユミの母が亡くなった。
通夜から数日が過ぎた、土曜日の夜。
仕事を終えたシンジは、車を丘の上の公園へ向けていた。
駐車場には、見覚えのある白い軽自動車が停まっていた。
ベンチには、マユミが座っていた。
「考えること、一緒だね」
シンジは隣に腰を下ろした。
眼下には、港町の灯りが広がっている。
風が吹き、木々が静かに揺れた。
しばらく、二人は何も話さなかった。
やがて、マユミが口を開いた。
「ねえ。もし、もう一度人生をやり直せるなら、どうする?」
シンジは、すぐには答えなかった。
遠くで船の汽笛が聞こえた。
「たぶん、同じ人生を選ぶと思う」
ようやく、そう言った。
「後悔は山ほどある。でも、娘に会えなくなるのは嫌だからな」
マユミは、小さく頷いた。
「大人になったんやね」
シンジは苦笑した。
「遅すぎるよ」
マユミも笑った。
だが、その笑顔は、高校生の頃より少しだけ静かだった。
帰り際。
マユミは軽自動車の窓を少しだけ開けた。
「シンジ」
「ん?」
少し迷うようにしてから、マユミは聞いた。
「幸せ?」
シンジは答えられなかった。
マユミの軽自動車の赤いテールランプが、闇の中をゆっくりとカーブの向こう側へ消えていった。
夜更け、自宅へ戻る。
リビングには、蛍の光ほどの常夜灯だけが残されていた。
調光を上げれば、部屋を明るくすることもできる。
だが、シンジはもう何年も、帰宅してから照明をつけたことがなかった。
テーブルの上には、メモが置かれている。
――明日は五時に出ます。
――冷蔵庫にカレーがあります。
ソファには、今日も妻のスマートフォンが置かれていた。
シンジはそれを裏返したまま、胸ポケットの携帯を取り出した。
短い振動。
マユミからのショートメールだった。
今日はありがとう。
また、土曜日に。
シンジは返信を書きかけて、やめた。
ソファに携帯を置き、窓辺へ歩いていく。
そして、リビングのカーテンを、音を立てないよう静かに開けた。
窓の向こうには、眠りかけた街の灯りが広がっている。
遠く、暗闇の中に、昼間には見えない丘の稜線が、かすかに浮かんでいた。
シンジは、しばらくその景色を眺めていた。
End
