俗物って、塩じゃなくてタレじゃないの?──焼き鳥屋で、水を頼んだ理由
(蹴道・別世界線ノート 32)
──「いや、むしろ、あれだよ」
「濃いめのタレが好きな人って、だいたい“自分は薄味派”って言うじゃん」
その日も、焼き鳥屋のカウンターだった。
俺はちょっと語りすぎていた。
社会のこととか、構造とか、SNSの空気とか。
だいたい、そういうときに限って、
あいつは斜めから入ってくる。
「焼き鳥ってさ、"塩で食う方が通"みたいな空気、あるじゃん」
「ああ、まあな」
「でもさ──」
あいつは串を一本、指で挟んで見せた。
「その"通ぶってる奴"の方が、よっぽど俗物じゃね?」
「……どういうことや」
「いや、だから ── “俗物”ってさ、誰が決めた味つけなんだろうな」
「お前、それ、急に言うなや」
「だってさ、自分で“俗じゃない側”って思った瞬間から、もうアウトじゃね?」
ぐぅの音も出なかった。
が ──
内心、「そんな言い方が一番“上から”だろうが」とも思った。
「昔、俺のばあちゃんが言ってた」
「“濃い味に慣れると、出汁の味がわからんようになるで”って」
「で、お前は、出汁がわかる舌なんか?」
「たまにな」
そう言って、あいつは水を頼んだ。
酒じゃなくて、普通の、氷の入った水。
カウンターに出された瞬間、
それを両手で持って ──
ひと口だけ、飲んだ。
あの所作だけは、ちょっと好きだ。
「それだけでいいんだよ」
「何が」
「濃い味に流されすぎたなって思ったら、
一回、水を飲む。
それだけで、また“うまい”がわかるようになる。少しだけな」
俺は黙って、串を見つめた。
気づけば、さっきまで何の気なしに食べてた“せせり”の旨みに、ちょっと驚いていた。
まあ、認めるよ。
そういう瞬間は、たしかにある。
「で、その感覚が戻ってもやな ──」
「明日には、またタレ味に戻るんやんな」
「うん、戻る。でも、それでいいんだよ。
戻って、また気づいて、また水を飲む。繰り返し。」
「救われへんな」
「いや、救われるんじゃなくて、“鈍らない”ってことさ」
「毎回、ちょっとだけ」
そういうふうに、あいつは言う。
わかる。悪くない。
でも俺は ──
そもそも、そんな味つけに慣れた覚えがないんだよ。
「なあ」
ふいに、あいつが言った。
「“俗物”ってさ、けっこう旨いよな」
「お前、さっきまでの話、ぜんぶ台無しやんか」
「でも、本音ってそういうもんじゃん?」
……確かにな。
惹かれる奴もいる。
慣れる舌もある。
そこまで否定はしない。
ただ俺は ──
“本音”という言葉の下に、
すべてを許す気には、なれないだけだ。
カウンターの向こうで、焼かれている“皮”が、いい音を立てていた。
焦げ目は香ばしいが、油はすぐ跳ねる。
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