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夢中になる力が人を育てる――教育を損得で考えないために

1.「役に立つ教育」が求められる時代

保護者面談をしていると、「将来役に立つことをさせたい」という言葉を聞く機会が増えた。英語は必要だろうし、プログラミングも重要だろう。論理的思考力や情報活用能力も、これからの社会を生きていく上では欠かせない力だと考えられている。AIの発展によって社会の変化が加速する中、子どもたちが将来困らないようにしたいという保護者の願いは、ごく自然なものだと思う。

私自身も、英語や読解力、論理的思考力といった基礎的な能力は非常に重要だと考えている。それらは人生の選択肢を広げる力になるし、身につけておいて損になることはほとんどない。しかし教育現場で子どもたちと接していると、ときどき違和感を覚えることがある。それは、「将来役立つ能力」を追い求めるあまり、その能力を身につける本人の姿が見えなくなってしまう場面に出会うからである。

現代社会では、教育が能力開発やキャリア形成の文脈で語られることが増えた。どの資格が有利なのか、どの学校が就職に強いのか、どの経験が市場価値を高めるのか。そうした情報は日々流れ続けている。そして私たちは知らず知らずのうちに、「何を学ぶか」よりも「何が得か」を基準に教育を考えるようになっているのかもしれない。

もちろん現実を考えることは大切である。しかし教育が将来への投資という側面だけで語られるようになると、そこで育つはずの子ども自身の姿が見えにくくなってしまう。教育とは本来、人を育てる営みであるはずだ。その原点を、私たちはもう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

2.子育ては人材育成ではない

現代は情報の時代である。SNSや動画サイトを開けば、成功者の経験談やキャリア論が次々と流れてくる。どの能力が将来有利なのか、どの進路が安定しているのか、どの経験が市場価値を高めるのか。そうした情報は大人にとって有益な面もあるが、その発想がそのまま子育てへ持ち込まれると、少し別の問題が生まれてくる。

英語は役に立つから習わせる。プログラミングは必要だから学ばせる。留学経験は価値が高いから積ませる。その選択自体は決して悪いことではない。しかし、その選択の中心にいるのが子ども自身なのか、それとも親の不安なのかは、常に問い直す必要がある。

親は子どもの将来を心配する。できるだけ失敗してほしくないし、苦労も少なくあってほしい。だから少しでも有利な道を探そうとする。それは親として自然な愛情であり、責められるものではない。

しかし、その愛情が強くなりすぎると、子どもは人生の主人公ではなく「育成プロジェクト」のようになってしまうことがある。どの学校へ進ませるか、どの資格を取らせるか、どの習い事をさせるか。その話ばかりが先行すると、その子が何に興味を持ち、何に心を動かし、どのような世界を見たいと思っているのかが後回しになってしまう。

教育とは、本来未来を管理するための技術ではない。子どもという一人の人間が、自分自身の人生を歩いていくための土台を育てる営みである。その視点を失ったとき、教育は人を育てるものではなく、人を設計するものへと変わってしまう。

3.人を成長させるものは何か

長年塾で子どもたちを見ていると、大きく伸びる子にはある共通点があることに気づく。

それは必ずしも勉強が得意なことではない。むしろ、何かに夢中になった経験を持っている子の方が後になって大きく成長することが多い。

昆虫でもいい。歴史でもいい。音楽でもスポーツでも構わない。共通しているのは、「もっと知りたい」「もっとやってみたい」という気持ちを、自分の内側から生み出した経験があるということだ。

教育心理学では、こうした状態を「内発的動機づけ」と呼ぶ。人は誰かにやらされているときよりも、自らの好奇心によって動いているときの方が深く学ぶことができる。なぜなら、その学びは評価や報酬のためではなく、知ることそのものの喜びによって支えられているからである。

実際、一度でも夢中になる経験をした子は強い。その対象が勉強でなくても構わない。大切なのは、「知りたいから学ぶ」という感覚を知っていることだ。その感覚を持つ子は、新しいことに出会ったときにも自分から学び始めることができる。

大人はつい、「それは何の役に立つのか」と考えてしまう。しかし、人間の成長は必ずしも効率だけで説明できるものではない。子どもの頃に虫を追いかけていた時間、本を読みふけった時間、友達と夢中で遊んだ記憶。その瞬間には意味がわからなくても、振り返ればそれらがその人らしさの土台になっていることは少なくない。

人を成長させるのは能力そのものではない。何かを好きになり、もっと知りたいと思い、自分から世界へ手を伸ばそうとする力である。そして、その力は効率や成果を追い求めるだけでは育たない。

4.教育は未来のためだけにあるのか

教育哲学者ジョン・デューイは、「教育は未来のための準備ではなく、それ自体が人生である」と述べた。

私はこの言葉を読むたびに、教育について見落とされがちな視点を思い出す。それは、子どもは未来の大人ではなく、今を生きる一人の人間だということである。

私たちはつい、「受験のため」「就職のため」「将来のため」という言葉を使う。もちろんそれらは大切だ。受験も進路選択も人生に大きな影響を与える。しかし、その言葉を繰り返しているうちに、子どもの「今」が見えなくなってしまうことがある。

子ども時代は、将来のためだけに存在しているわけではない。その時間そのものが、その子にとってかけがえのない人生である。だから学びもまた、本来は未来への投資である前に、現在を豊かに生きるための営みでなければならない。

学ぶことの本質は、世界を知ることの喜びにある。知らなかったことがわかる。できなかったことができるようになる。その感動こそが学びの原動力であるはずだ。ところが目的を見失い、手段だけが残ると、学びは喜びではなく義務へと変わってしまう。

教育を考えるとき、私たちは未来だけではなく、子どもたちが生きている「今」にも目を向ける必要があるのではないだろうか。

5.本当に広げるべきもの

保護者の方々はよく、「子どもの可能性を広げたい」とおっしゃる。その願いはとても尊いものだと思う。

しかし、本当に広げるべきものは何だろうか。

習い事を増やすことだろうか。資格を取らせることだろうか。先取り学習を進めることだろうか。もちろんそれらが役立つ場合もある。しかし私は、それ以上に大切なものがあると思っている。

それは、「この世界は面白い」と感じられる心である。

人は何かに興味を持った瞬間から変わり始める。誰かに憧れれば自然と努力を始めるし、知らないことに出会えばもっと知りたいと思う。その内側から湧き上がるエネルギーこそが、人を成長させる本当の原動力なのだと思う。

教育とは知識を詰め込むことではない。世界への好奇心に火を灯すことである。そして、その火が灯った人は必要な知識や技術を自ら学び取っていく。

私たち大人は、子どもの未来を設計することはできない。何を学び、どこへ進み、どのような人生を歩むのか。その答えを代わりに決めることもできない。

できるのは、その子が何に心を動かし、どの方向へ歩こうとしているのかを見つめ、ときに支え、ときに待つことだけである。

子どもの未来をつくるのは、大人が用意した完璧なレールではない。その子自身が「この世界は面白い」と感じた瞬間の積み重ねである。そして教育とは、その瞬間に出会う機会を奪わないことなのではないだろうか。

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