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灯油をめぐる母子の諍(いさか)い…《やって欲しい》と《してあげる》

 『これから出掛けるけど、午前中ならクルマ空いてるから、アンタ時間あるなら灯油2缶買ってきて。全く残って無いから。まぁ明日でも良いんだけど』

所用で東京へ出向く母親が、玄関先から靴を履きながら、まだ寝巻きから着替えもせずに、きな粉餅に喰らいつく僕に頼んだ。
 一台のクルマを家族で共用してるがゆえに、使用時間に限りがある。ちょうどホームセンターに行く用事があったので、午前の内にその任を果たし、2缶の灯油を買って戻った。

 その晩、帰宅した母親にその件を話すと、

『なんだ、買ってきたの?!明日ならポイント5倍デーだったのに』

と言うので、拍子抜けてちょっとムッとしながら

『おいおい、残りが全くないから灯油買ってきてって言ったのは母ちゃんでしょ。ポイント欲しいなら、最初から明日でいいじゃん』

そう伝えると

『だから明日でもいいって言ったじゃん』

と言う。

『あっそう』

大した事ではないし怒るわけでもなく、『まぁいいや』とその場は良しとした。

 部屋に戻りストーブを点ける。灯油は今日はまだ保ちそうだ。しかし気持ちはなんだかモヤっとする。これはさっきの母親とのやり取りからに違いない。そう感じた僕は、心の中を少しだけ掘ってみた。出た答えは二つ

『オレは労いが欲しかったのだな…しかし、そもそも感謝が足りてない』

 買ってきてくれと頼まれた《=やって欲しい》に応え、灯油を買いに行く《=してあげる》 という関係性を見ると、依頼に応えた僕は労いの言葉を掛けられて当然だとの思いが湧く。
 しかし『明日でも良い』とは言われたものの、買いに行ったのは僕の判断。この寒いのに灯油切れは勘弁して欲しい、つまり自分も使うのだからという自分の都合。常日頃も、灯油を使うのは家族の皆んな。なのに普段は母親が買ってきてくれているのが、そもそもなのだ。
 とすると、たかだか一度買いに行った事に偉そうに労いを求めるのも、自分がするべき事を母親に任せきりで当たり前のようしていることも、傲慢でしかない。むしろ自分は感謝するべき立場だ。
 と、思い立ったことは正直に、なるべく早く伝えた方が良い。急いで階段を降りる。そして、ここまで思い至った(書いた)ことを全て母親に伝えた。

『…ということで、ポイントの事はさて置いて、オレは労いが欲しかっただけ。でも、いつも灯油も晩飯も洗濯もやってくれてありがとう、だな』

『ごめんよ、今日はありがとね』

と母親。
 蛇足になるが、夫婦・家族や会社であれ、こうした小さなすれ違いを先送りにしなければ、きっと問題は雪だるまのようにはならない。

 さて。現代は分業が進んだおかげで社会や会社はもちろん、介護サービスや家事代行のように家族という単位ですら、多くのことが他者からしてもらったり他者にやってあげたりすることで成り立っているのも確かだ。けれど本来は生きてゆく以上、自分が自分で自分のためにすることが全てだと思う(*リンカーンの演説みたいだな…笑)。
 その視点で捉えると、《やって欲しい》と《してあげる》 という関係性の双方に、実はとんでもなく傲慢さが潜んでいる事に気付く。なので、やって欲しいと頼む時は最大限の感謝と共に。してあげようと思った時は、自らの意思だという自覚と奉仕出来る喜びを心から感じるべきだ。するとどうだろう。この世界は感謝と喜びに満ちているではないか。それは僕にとって発見だった。

 そんな、自身にもある鏡写しな二面性の行動への気づき・発見から、*【《欲しがりさん》と《あげたがりさん》】という昔話風の説話を書いた。
 ついつい不平不満を口にしたくなって感謝や喜びを忘れた時に、思い出して読み返して、この時の気持ちを忘れないようにしたいと思う。

*リンカーンの演説…Of the people, by the people, for the people(人民の、人民による、人民のための)。

*【《欲しがりさん》と《あげたがりさん》】↓

#世のため人のため #奉仕 #スピリチュアル #感謝を忘れた時に #正直になってよかったこと

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