短編小説『楽しみな約束。』
▲こちらの彼氏視点です。
朝から落ち着かなかった。
休みの日だというのに、目覚ましが鳴る前に目が覚める。
時計を見た。まだ七時半。
待ち合わせは十一時なのに、早すぎる。
二度寝しようとしたけど無理だった。
結局起き上がり、コーヒーを淹れる。スマホを開いて、特に新しい通知がないことに少しがっかりした。
昨夜のやり取りをなんとなく眺める。
『明日よろしくね』
彼女から来た短いメッセージ。
たったそれだけなのに、何度見ても少し嬉しくなる。我ながら単純だと思う。
付き合い始めてまだ間もない。友人の友人として紹介されたのがきっかけだった。
最初に会ったときから可愛いと思ったし、話していて楽しかった。
何度か食事に誘い、勇気を出して告白した。OKをもらえたときは、本当に嬉しかった。
でも同時に思った。
彼女は、俺ほど好きなわけじゃないんだろうな、と。
もちろん嫌われてはいない。
だから付き合ってくれている。
けれど、俺みたいに会うのを楽しみにしているかと聞かれたら、多分違う――そんな気がしていた。だから今日も少し緊張している。
楽しみなはずなのに、不安もある。
昼食の店を予約した。そのあとに寄るカフェも調べた。海沿いを少しドライブするつもりだ。
喜んでくれるだろうか。
退屈させないだろうか。
考え始めるときりがない。
待ち合わせの十分前、彼女の家の近くに車を停める。
もう一度時計を見る。
まだ来ない。
当たり前だ。時間前なのだから。
それでも落ち着かない。ハンドルを軽く叩きながら、マンションの入口を見つめる。
数分後、ドアが開いた。
彼女が出てくる。その姿を見た瞬間、自然と顔がほころんだ。
来てくれた。当たり前のことなのに、少し嬉しい。急いで車を降りた。
「おはよう」
「おはよう」
彼女は笑った。
でも、なんとなく、思っていたより反応が薄い気がした。
疲れているのだろうか。
それとも、今日のデートはあまり楽しみじゃなかったのだろうか。
胸の奥が少しだけ沈む。
考えすぎだと分かっている。でも好きになると、どうでもいいことまで気になってしまう。
彼女の視線。声の調子。表情――全部が気になって仕方ない。
「その服、似合うね」
とりあえず思ったことを口にする。
彼女は少し驚いたように目を瞬かせた。
「そう?」
「うん」
本当に似合っていた。
だけど、それ以上の言葉が出てこない。
もっと自然に話せたらいいのに。付き合う前より、むしろ緊張している気がする。
一瞬の沈黙。
彼女が何か言う前に、口が勝手に動いた。
「今日、会えるの楽しみにしてた」
言ったあとで後悔した。
重かっただろうか。恥ずかしいな。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
だけど。
彼女の表情がふっと変わったんだ。
ふわりと柔らかくなる。まるで朝日を受けて花が開くみたいに。
さっきまでどこか遠かった空気が、少しだけ近づいた気がした。
そして彼女は小さく笑った。
「迎えに来てくれてありがとう」
その一言だった。本当に短い一言――なのに胸の奥が熱くなる。
朝から考えていたことも。
店を予約したことも。
どこへ行こうか悩んだことも。
全部報われた気がした。
単純だな、と自分でも思う。
でも仕方ない。好きな人に感謝されるだけで嬉しいんだから。
「じゃあ、行こうか」
そう言って助手席のドアを開ける。
彼女は「うん」と頷いた。
車に乗り込む横顔は、さっきより少しだけ楽しそうに見えた。
それだけで十分だった。
運転席に戻って、エンジンをかける。
今日が特別な日になるかは分からない。
彼女が俺をどれくらい好きになってくれるかも分からない。
それでも、隣に彼女がいる。
それだけで、朝から抱えていた不安は少し遠くへ消えていた。
車はゆっくりと走り出す。
その先の一日が、急に楽しみに思えた。
