試して、引き返せるという支援
「少しずつ慣れていきましょう」
「一歩踏み出すことが大切です」
不登校の渦中にいると、
そんな言葉をよく聞く。
悪意があるわけじゃない。
前を向いてほしい、
回復してほしいという願いから
出てくる言葉だと思う。
でも当事者としては、
その「一歩」がとても重かった。
踏み出したら、
もう戻れない気がしていたからだ。
学校に行く。
人と関わる。
外に出る。
どれも失敗したら、
居場所ごと失うような感覚があった。
だから私は、
動かないことで自分を守った。
止まっていれば、
これ以上減らない。
それは、生き延びるための選択だった。
後になって気づいた。
私に足りなかったのは、
勇気や根性ではない。
引き返せる前提だった。
うまくいかなかったら戻っていい。
怖くなったらやめていい。
その保証がないままの挑戦は、
挑戦ではなく賭けに近い。
大人になってから、
少しずつ外と関わる中で、
私は初めて「試す」ことができた。
それは、必ず前進するためではなく、
確かめるための行動だった。
短い時間だけ外に出る。
合わなければやめる。
また元の場所に戻る。
その繰り返しの中で、
「世界はすべて危険ではない」
という感覚が育っていった。
今、親になって思う。
支援とは、
背中を押すことではない。
一歩進ませることよりも、
戻ってこられる場所を残すこと。
失敗しても、
「なかったこと」にしなくていい関係を
保つこと。
試して、引き返せる。
その余白があって、
人は初めて動ける。
止まっている子に必要なのは、
加速ではない。
ブレーキが効くと知ることだ。
守られたまま、
世界に触れてみる。
触れて、違うと思ったら戻る。
その往復が、
いつの間にか力になっている。
正解のルートはない。
でも少なくとも私は、
引き返せない支援では
動けなかった。
だから今も、
「前へ進ませるかどうか」より、
「戻れる場所が残っているか」を
大事にしたいと思っている。
それが、
試して、引き返せるという支援だ。
