【小説】仮面と怪人-12-完【オリジナル】
前回
そして、また月が昇ったころ。
ショウが突然、サチの部屋に現れた。
「サチ、ここを出よう」
突然のことに、サチは理解が追い付かなかった。
「出ようって、どうして……?」
「俺達はここに居ちゃいけない……そんな、気がする」
「でも、どこに行くの?」
「わかんない。でも……」
ショウは真剣な眼差しで、サチを見つめた。
「どんなところに行っても、俺が必ず、サチを護るから」
その言葉と共に、手を差し伸べられた。
力強い眼差しと、言葉。
戸惑いはあった。
ショウがなにかを強いてくることは、初めてだった。
しかし、サチはその手を取った。
(ショウなら、大丈夫)
これまで見てきたその姿と、言葉を、信じた。
ほんの少しのお金と着替えを持ち出して、二人は施設を出た。
先の見えない暗闇の中、サチはショウに手を引かれるまま駆けた。
まったく不安がないわけではなかった。
だが、
(ショウが居てくれるなら、どこでもいい)
サチはショウの手が離れないように、彼の手を強く握りしめた。
暗がりを抜けて、昼間のように眩い場所へ出た。
頭の痛くなるような、光量と喧騒。
知っているはずの街の、知らない景色。
明らかに場違いな空間の中で、ショウとサチは、息を潜めた。
人通りから少し外れた路地で、二人は身を寄せ合った。
「これから、どうするの?」
「少し休んで、夜が明けるまで進もう」
「どこまで?」
「行ける所まで」
肌寒さにサチが体をさすると、ショウはかばんから水筒を取り出した。
カップに注がれたものを、受け取った。
それは味噌汁だった。
具も何も入っていなかったが、飲むと少しピリッとする辛さを感じた。
「おろした生姜を入れてるんだ。体、暖かくなるでしょ」
サチは頷いた。
彼の言うとおり、飲むと体が温まった。
サチはそのまま、ショウに身を寄せた。
彼の温もりに、心が安らいだ。
(そうだ……私には、ショウが居ればそれでいい。どんなところだって、ショウが居れば、そこが……私の……)
まどろみ、瞼が落ちかけたサチ。
その時、ドクンと心臓の鼓動が、全身を震わせた。
それは、サチのモノではなかった。
ショウが、胸を押さえて唸りだした。
次第にその体が熱を帯びた。
いつぞやの夜のように、燃え盛るように熱を発するショウの体。
「ショウ……? 大丈夫? ショウ!」
サチがいくら声をかけても、ショウからの返事はなく、ただ苦しそうに呻くだけだった。
熱の上昇は止まらなかった。
このまま、燃えだしてしまうのではないか。
と、サチは思った。
どうすればいいのか分からなかった。
救急車を呼ぶべきか。
しかし、そうすれば施設にバレてしまうかもしれない。
どこかに移動させるべきか。
ショウの体を動かすほどの力は、サチにはない。
それどころか、今の彼の体は触れ続けられる熱量ではなかった。
(とにかく、冷やさなきゃ……)
離れたくはなかった。
だが、このままではショウの身が危ないことは明白だった。
サチはショウを置いて、駆け出した。
コンビニに入り、施設の金庫から持ち出した金で、買えるだけの氷を買った。
脇目も振らず、ショウの元まで駆けた。
重かった。
脚の筋肉が引きちぎれるんじゃないかと思うほどだった。
冬の夜にも関わらず、汗だくで、シャツが体に張り付いた。
暗がりに入り、見通しが悪い中、体のあちこちがどこかにぶつかり、夜風が肌を撫でた。
そんな中で、目の前に人が居ることに気づいたのは、尻もちをついた後のことだった。
舌打ちが聞こえ、サチの頭は冷えた。
「……ってぇなぁ……」
顔を上げ、目を凝らす。
そこには細身の男の姿があった。
その男は大股で、徐に近づいてきた。
「どこ見て歩いてんだよ、オイ!」
一言一言に微かに濁点が付いているような、ガラガラの声。
月明かりを背に見下すその眼光は、まるで蛇のようだった。
最初は刺すような殺意を感じたその視線は、サチの顔を見ると一瞬瞳孔が開いて、じっとその目に全身を収めた。
「へぇ、いいじゃん」
それから、ご馳走を見つけたかのように、男の目尻と口元が吊り上がった。
サチは怖気を感じた。
火照った体から、一瞬で熱が引いていった。
サチは、この目を知っていた。
母が連れてきた『父親』と呼ばれる男達が、自分を弄ぶ時に向けてきたものと、同じだった。
細身の男はグイッと腰を折り曲げて、鼻先同士が触れそうなほどに顔を寄せてきた。
その顔は骨張っていて顎が鋭く、爬虫類のようだった。
「イケナイなァ、君みたいな娘が、こーんな時間に出歩くなんて」
男は舐め回すような声音で話しかけてくる。
サチは今すぐこの場から逃げ出したかった。
だが、無理をかけて走った足はプルプルと震えて動かなかった。
恐怖のせいか腰が抜けて、立ち上がることさえままならない。
「悪い子はホドーしなくっちゃね。オレ、ケーサツだから。あ、そーだ。ぶつかられたし、コームシッコーボーガイ? でタイホだ、タ・イ・ホ」
爬虫類顔の男は、サチの手を強く掴み、ひっぱり上げようとする。
体格の割に力が強く、地面に張り付いていた臀部が浮き上がった。
「やめ……て……!」
サチは抵抗しようとしても、上手く力が入らず、されるがままに抱き寄せられた。
「コワがんなくていーよ、たのしーとこ連れてったげるって」
男はそう言いながら、足取りのおぼつかないサチを引きずった。
だが、その直後なにかにぶつかった。
それは、暗がりの中では一瞬電信柱かと思うような長身の、のっぽの男だった。
「おい、そこどけよ。邪魔なんだよ」
ぶつかられた男は、のっそりと振り返り、虚ろな目で爬虫類顔の男を見下ろした。
「なんだテメェ」
爬虫類顔の男は、目を鋭く細めてのっぽを睨んだ。
のっぽは、カタカタと身を震わせながら首を傾げた。
「ナ、ンダ、テメ、エ」
壊れた機械音声のような片言で、のっぽは爬虫類顔の男の言葉を繰り返した。
「あ?」
それが癇に障ったようで、爬虫類顔の男は空いた手をポケットに突っ込み、中から折りたたみのナイフを取り出した。
「ナメてんのか?」
ナイフの刃先を、のっぽの喉元に突きつけて睨んだ。
「ナメ、テン、ノカ」
だが、のっぽはそれに動じる様子は無く、尚も壊れた機械のように言葉を繰り返した。
爬虫類顔の男は、その態度に怒りが頂点に達した。
抱えていたサチを突き飛ばし、のっぽの胸ぐらに掴みかかった。
「バカにしてんじゃねェ! ぶっ殺すぞ!」
「ブッ、コロ、ス」
「フザケやがって!」
爬虫類顔の男は、怒りに身を任せてナイフを横に振るった。
その刃は、のっぽの頬を切りつけた。
サチは、恐怖で息を飲んだ。
頬を裂かれたのっぽは、声も上げず、微動だにせず、ただ爬虫類の男を見下ろしたまま、
「フ、ザケ、ヤガッ、テ」
と、また言われた言葉を繰り返していた。
その裂けた頬から空気を漏らしながら。
頬からは血が一滴も垂れていなかった。
サチは、その顔をゴムかシリコンで作られたマスクなんじゃないか。と思い始めた。
最初に見た時からのっぽには生気が感じられなかった。
だが、ここにきてその感覚がさらに強まった。
爬虫類顔の男も、のっぽの異様さに怯えたのか、僅かにその足を後ろに擦り始めていた。
だが、のっぽは爬虫類顔の男を覆うように迫った。
男は悲鳴のような甲高い声を上げ、ナイフを振り回した。
のっぽの胸や首筋を、その刃は切りつけた。
だが、その動きが止まることはなかった。
そして、爬虫類顔の男は金切り声を上げながら、のっぽの心臓を刺した。
何度も、何度も。
「フ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テ」
それでも、のっぽは全く意に介さず、壊れたスピーカーのように言葉を繰り返した。
刺された胸の傷からは、やはり一滴の血も流れていなかった。
だが、その代わり赤い光のようなものが漏れ出していた。
のっぽは爬虫類顔の男の肩を掴み、顔を寄せた。
「フ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テフ、ザケ、ヤガッ、テ」
「なんなんだよ、テメェ!」
爬虫類顔の男は、泣き出しそうな、震えた声を上げた。
のっぽは、顎先を夜空に突き上げた。
切れた喉元の裂け目が、耳元まで広がっていった。
「ナン、ナン、ダ、ナン、ナン……」
次の瞬間、喉元の裂け目から、長い舌のようなモノが飛び出した。
女のような悲鳴を上げた爬虫類顔の男の声は、すぐに止んだ。
のっぽの首筋から現れた太く長い舌が、口の中に入り込んだからだ。
爬虫類顔の男は涙を流し、えずいていた。
触手が取り出された後、倒れ、息苦しそうにもがく。
「ダズげで……ダズゲ……」
爬虫類顔の男は、サチに縋り付こうとするように這いつくばり、助けを求めた。
その体は風船のように膨らんでいき、皮膚に亀裂が入り始める。
はち切れんばかりに膨らんだその身体は、過剰に空気を入れられた風船のように、破裂した。
噴き上がる血飛沫の中、肉片の中から抜け出すように立ち上がる、何かの姿があった。
骨に皮が張り付いたような四肢。
肥大化した脳が、頭蓋を砕いて直に頭を覆い、ぶらん、と目が垂れ下がっていた。
腕を前脚として四つん這いで立つ様は、まるで蜥蜴のようだった。
「化け……物……」
恐怖で声を震わせて、サチは呟いた。
目の前の存在を、脳は理解しようとするのを拒んだ。
認識しようとすると、腹の底から拒絶の感情が登り、吐き出した。
これまでの常識を上塗りするどころか、打ち砕いてしまうような、異形。
異形でありながら、どこか人の面影を残す怪物……
怪人。
認めちゃいけない。
しかし、確かにそこに居る。
その相反する事実に、脳が割れてしまいそうだった。
蜥蜴のような怪人は、低く唸り声を上げながら、虚ろな目でサチを見つめた。
本能が、訴えた。
逃げろ。と。
それは生まれて初めてで、これまで忘れていたような感覚。
”獲物”として、捉えられた。
根源的、恐怖。
サチは全身から血の気が引いていき、呼吸が乱れた。
逃げようと藻掻いた。
這いつくばって、少しでも離れようとした。
だが、全身に浴びた返り血が滑ってうまく動けなかった。
体が痛い、投げ飛ばされたせいだ。
逃げなきゃ……でも、足が動かない。
(だれか、助けて……助けて……助けて……)
心の中で声が生まれた。
それは次第に大きくなっていく。
(ショウ……!)
脳裏に助けを求める相手が、はっきりと浮かび上がった。
「助けて!」
声もうまく出ない中、最後の叫びを絞り出した。
四つん這いの怪人が、触手を伸ばしながら迫る中、その進行を止めた。
二人の怪人は、何かに感づいたように身体を震わせた。
サチは、不思議に思って身を翻した。
その先に居たのは、強い光を放つ、人の影。
威嚇するように唸る、二人の怪人。
光を放つその人は、一歩一歩こちらへ歩みよってきた。
唸り声を上げて、のっぽの方がコチラへ迫った。
光る人は、サチの頭上を飛び越えて、怪人との間に割って入り、組みついた。
押し合いの末、光る人の力が上回り、のっぽを押し飛ばした。
直後、暗闇から伸びる長いものが、光る人の首に巻き付いた。
それは、蜥蜴の怪人の口から出た触手だった。
光る人は巻き付いた触手を力強く握りしめると、それをたぐり寄せ、怪人の顔面に拳を叩きつけた。
緩んだ触手を引きちぎり、地面に叩き落とすと、二人の怪人に向かって威嚇するように吠える。
怯えたように、微かに後ずさる、二人の怪人。
その時、光る人は一瞬、横目でサチを見た。
「……ショウ?」
胸から強い輝きを放ち、その顔はよく見えない。
だが、サチには分かった。
その姿は、紛れもなくショウだった。
すぐに怪人に向き直り、ショウは低く唸った。
「サチは、俺が守る……!」
ショウは胸の輝きを一層強くさせた。
全身の血管が太く浮き上がり、うっすらと赤く光った。
そして、ショウは雄叫びを上げた。
サチの胸がざわついた。
鼓動が速まり、はち切れそうなほど脈打つ。
熱風が吹きすさぶ。
肌がやけつくようだった。
光と蒸気に身を包まれたショウの姿が、見えなくなる。
そして、光が収まり、蒸気が晴れた、直後。
ショウが居たはずのそこには、ヌメりと黒光りする甲殻が身を覆う、赤い目の怪人が居た。
ー仮面と怪人・完ー
物語は"仮面"を外し、真の姿を現す。
暗闇から手を伸ばし、光を求める者達の
戦いが始まる。
次回、
VIZARD-魔葬戦記-
開幕。
9月中旬ごろ、更新予定。
