【小説】仮面と怪人-11-【オリジナル】
前回
「サチ、ごはん置いておくよ。少しでいいから、食べて」
また来た。とサチは思った。
学校から逃げ出して、一週間。
あの日以来、サチは自室に籠っていた。
カーテンを閉め切り、明かりも点けない部屋で、何をするでもなく、ぼうっと過ごしていた。
食事も摂ろうとはせず、心配したショウが度々訪ねて来ては、部屋の前に食事を置いていっているようだった。
しかし、サチがそれに手を付けることはなかった。
ただ、時が過ぎるのを待つだけの日々。
それを破ったのは、ショウだった。
「サチ、いい加減、食べないと……」
サチは返事をしなかった。
これが、いつも通りのやり取りだった。
だが、この日は違った。
「ごめん、入るよ」
サチは聞き流そうとした。
だが、聞き捨てならないことだと気づいた。
ショウが部屋に入ってきた途端、サチは枕を投げつけた。
それでも出ていかないショウに対して、サチは手当たり次第にものを投げつけた。
消しゴム、シャーペン、はさみ、時計。
それでも、ショウは物怖じしなかった。
「来るな! 来るな! お前だってずっと私を馬鹿にしてたんだろ! ほんとは強いくせして、弱いフリして! いつでも私にやり返せたくせに!」
手近な所に投げるものがなくなると、サチは言葉をぶつけた。
久しぶりの発声で、喉はすぐに荒れた。
ぜいぜい……と息を切らし、それが落ち着くと、ショウを見上げた。
その瞳は、怒るでもなく、憐れむのでもなく、蔑むのでもない。
ただ、向き合っていた。
まっすぐに、サチを見つめていた。
サチは、殻に籠るように膝を抱えた。
「やり返せばいいじゃん。私、ひどい事してんだよ。今日だけじゃなくて、ずっと……私、ショウにひどい事してきた。なんで、なにもしてこないの?」
「ずっと、辛そうだったから」
ショウが、ようやく口を開いた。
「それでサチが楽になれるなら、俺が全部受け止める」
分かっていた。
ショウなら、そうしてくれるだろう。と。
(最低だ、私)
胸の中の淀みが、目尻から溢れて落ちた。
全てを出し尽くして、顔をあげた。
「平気?」
ショウが、箱ティッシュを差し出して問いかけてきた。
鼻をすすり、微かに頷いた。
ショウからティッシュを受け取り、ドロドロになった顔を拭った。
出来るだけ、顔を綺麗にした。
そして、顔を上げて、ショウと向き合った。
「ショウ……」
「なに?」
「今まで……ごめん」
ショウは一瞬、目を丸めた。
しかし、すぐに表情をやわらげ頷いた。
するとサチは、胸の中で堰き止めていたものがなくなったか、胃袋の悲鳴を久しぶりに聞き取った。
「ショウ……」
「どうしたの?」
「お腹空いた」
そう言うと、ショウは嬉しそうに笑みを広げ、頷いた。
「すぐに作るよ」
食堂へ向かおうとするショウ。
その服の袖を、サチは掴む。
「私も、行く」
ショウに手を引かれながら、サチは食堂へ向かった。
足取りがおぼつかなかった。
思ったようにバランスが取れず、何度も転びそうになった。
その度に、ショウに体を支えられた。
サチは、彼がクッションのように柔らかく、優しく受け止めてくれることに、心地よさを感じていた。
ショウが作ってくれたのは、卵粥だった。
あまり熱くなく、少し息を吹きかければすぐに口の中に入れられた。
薄い味付けだったが、出汁がしっかりと利いていて、喉をするりと通っていく。
胃袋から熱が広がり、体がじわりと温まっていくのを感じた。
強張っていた体が、溶けるように、ほぐれていくような気がした。
ショウはサチが食べる姿を、見守るように見つめていた。
「そんなに見てたって、面白いもんじゃないでしょ」
照れを隠すように、サチは口を尖らせた。
「あ、ごめん……変な意味はないんだ。ただ……」
嬉しそうに微笑んで、彼は続けた。
「元気になったみたいで、よかったなって」
「……うん、ありがと」
サチはその夜から、よく眠れるようになった。
だが、時折夜中に目が覚めた。
そう言う日は決まって、静か過ぎる夜だった。
まるで、自分以外に誰も居なくなってしまったような静寂。
次第にサチは、その夜の訪れに不安を抱くようになった。
ある夜、また静寂に目を覚ました。
ショウの部屋を訪ねた。
一人が嫌だった。
しかし、彼の部屋はあまりにも静かだった。
そこは誰もいない、空っぽの部屋。
そんな気がした。
中を確かめることはしなかった。
『ショウが居ない』
それをハッキリさせるのが、怖かった。
翌朝になると、ショウはいつも通り朝食を作っていた。
「おはよう、サチ」
彼が振り返って挨拶をする姿に、安堵する。
二人きりの静かな朝食を終え、サチは片付けを手伝った。
「ねぇ、ショウ」
「なに?」
「なにか、思い出した?」
言った直後に、サチは自分の口を塞いだ。
なぜこんなことを聞いたのか、自分でも分からなかった。
ショウの手が、一瞬、止まった。
横目で見ると、彼の顔から表情が消えているのが分かった。
「べつに、なんにも」
ショウはすぐに『いつも通りの顔』を被り直し、サチに答えた。
ショウは、それ以上なにも言わなかった。
サチも、それ以上なにかを聞くことはなかった。
その夜、サチは物音で目覚めた。
何かが倒れたような、大きな音だった。
聞こえてきたのは、玄関の方からだった。
サチは恐る恐る、音の発生源に向かった。
自分でもなぜ向かうのかは、よく分からなかった。
ただ、静寂よりはマシだと思ったのかもしれない。
玄関先に行くと、荒い息遣いが聞こえた。
そこには、誰かが倒れていた。
その姿を見た途端、サチの体はびくりと震えた。
大きな人影……サチは携帯のライトを当てて、何者かを確かめようとした。
「……ショウ?!」
倒れていたショウは、苦しそうに呻いていた。
サチが慌てて寄り添う。
「あつっ……」
ショウの体は熱を放っていた。
触れた手が、火傷してしまいそう。と思えるほどに。
サチは、岩のように重たい彼の体を、シャワールームまで引きずった。
辿り着くころには、サチも全身で息をして、汗にまみれていた。
蛇口をひねり、自分ごと冷水を浴びせかける。
自身が凍える中、必死に、ショウを冷まそうとした。
サチは、青白くなった自分の体でショウを包んだ。
その熱を、受け止めようとした。
(お願い、ショウ……どこにも、いかないで)
縋りついて、サチは祈った。
気がついた時、自分の身体はショウに包まれていた。
驚いたが、サチはそのまま身を埋めた。
今のショウは、少し体温が高いが、正常と言える程度だった。
一安心すると、違和感に気づいた。
体は乾いており、服は着替えさせられていた。
冷え切っていた体が、一気に熱を持った。
「……あ、サチ起きた?」
寝ぼけた様子で、ショウが言った。
瞼をパチパチとさせて目つきをハッキリさせると、額を額に当ててきた。
「うん……良かった、大丈夫そう」
と、額を離して頷いた。
「ちょっと、何してんの?」
「えっと、気がついたら冷たいシャワー浴びてて……サチ、凍ったみたいに冷たかったから、温めようと……」
「……この服は?」
「濡れてたから」
「脱がせたの?」
「身体も拭いたよ」
ショウは、なんということも無さそうにそう言った。
サチはそれが少しだけ癪に障り、彼のデコを弾いた。
結果は、ショウが戸惑い、自分は指が痛くなるだけだった。
「なんか、怒らせることした?」
「……した」
「ごめん……」
そう言って、離れようとするショウ。
それを引き止めるように、サチは彼のシャツを掴んだ。
「悪いと思うなら……」
サチは、ショウの胸に身を寄せた。
「今夜は、このままここに居て」
ショウは戸惑いながらも、
「分かった」
と、サチを受け止めた。
サチは瞼を徐に閉じると、ショウの胸で耳を澄ませた。
ドクン、ドクンと鳴り続ける彼の心臓の音を聞きながら、眠りについた。
次にショウの胸の中で目が覚めた時には、昼を回っていた。
*
ショウは時々、ぼうっと外を眺めていることが増えた。
それが何か意味があるのかは分からない。
ただ、サチはその様子を見る度に胸のざわめきを感じた。
ふと気づいた時に、その姿が消えるのではないか。
そんな不安が、拭えなかった。
(なんで、あの日ショウは玄関に居たの?)
このことが、引っかかっていた。
(行かないで、どこにも……一人に、しないで……)
そうやって、手を伸ばそうとするも、
(掴めなかったら、どうしよう)
という考えが頭を過り、手を引っ込める。
そんな日々が続いた、ある夜。
また、大きな物音でサチは目を覚ました。
部屋を出ると、テラスの方から冷たい風が吹き抜けてきていた。
そこで、ショウは膝を突き、震えながら自分の両手を見つめていた。
「ショウ……?」
サチは、不安と心配の混じった声で呼びかけた。
こんな時間になにをしているのか。
なぜこんなところに居るのか、外に出ていたのか。
聞きたいことは山ほどあった。
だが、顔を上げたショウの顔を見た時、そんな疑問は消え失せた。
血の気が引いて、怯え切っているようだった。
サチはゆっくりと、距離を近づけていった。
急に近づくと、ショウは途端に逃げてしまいそうだった。
ゆっくりと、ゆっくりと。
一歩ずつ、着実に。
「大丈夫?」
すると、ショウの方から縋りついてきた。
「助けて……助けて……」
こんなにも弱った彼の姿を見たのは、初めてだった。
まるで、手を離したらどこかに落ちてしまうのではないか。
ショウはそう思っているかのように、サチの腹部に抱きついて、震えていた。
サチはそんなショウの頭頂部を、優しく撫でた。
そして、腰を下ろし、彼の背中に手を回す。
「大丈夫、大丈夫だよ」
宥めるように、とん、とん、とショウの背中を叩いた。
そうしているうちに、彼の震えは徐々に収まっていった。
それから、右手をショウの頬に添えて、そっと撫でた。
そして唇を重ねて、サチは微笑みかけた。
「私が、受け止めてあげるから」
サチはショウを自室に招き入れ、そして導くように彼を受け入れた。
ショウの温もりを直に感じながら、サチは彼の心臓の音に耳を澄ませた。
それはショウがここに居ることの証だった。
その時、自分の身に触れるショウの肌に、違和感があることに気づいた。
彼の腹部。
そこに、なにか大きな傷があるようだった。
最近出来たものではないらしい。
塞がってはいるようだが、指先でなぞるだけでも、その深さと痛々しさを感じられた。
「ショウ、この傷……」
どうしたの?
そう聞こうとした瞬間、サチはショウから突き放された。
彼はベッドから飛び出し、こちらを睨んだ。
急な拒絶に、サチは驚いた。
カーテンの隙間からこぼれる月明かりが、ショウの顔を照らした。
それは警戒をしているようで、怒っているようにも、怯えているようにも見えた。
「ごめん、私……!」
咄嗟に、自分がやってはいけないことをしたのだと、気がついた。
ショウも、直後に我に返った様子で、落ち込むようにうな垂れた。
「俺も、ごめん……」
そう言った後、ショウは自分の顔を、両手で覆った。
「分かんないんだ……なんにも。俺は、俺のことが……」
「ショウ……」
その時のショウは、サチの目にはとても小さく、幼い子供のように見えた。
サチは毛布を手に彼の元に向かい、胸に抱きとめて一緒にくるまった。
しばらくそうしていると、ショウも落ち着いてきたのか、顔を上げて目を合わせてきた。
「ねえ、思い出した方が、いいのかな……」
「思い出すって、なにを?」
「ここに来る、前のこと」
「思い出したいの?」
しばらく黙り込んだあと、ショウは首を横に振った。
「俺、怖いんだ……昔のこと、思い出すのが」
「どうして?」
「俺が、俺じゃなくなっちゃう気がするんだ。そして、誰かを傷つけるんじゃないかって」
「傷つける? ショウが……?」
「今の俺は、本当の俺じゃないかもしれない。俺の中には、別の俺が居て、そいつが、外に出てこようとしてる気がする。そうしたら、俺はここから居なくなる。嫌だ、俺は……消えたくない……」
震えるショウの頭を、サチは再びそっと胸に抱き直した。
「思い出したりなんか、しなくていいよ。変わったりなんか、しなくていい。私が傍に居る。だから……私から、離れないで」
優しく言葉を紡ぎながら、サチはショウを離しはしなかった。
まるで、自分が落ちないよう、縋りつくように。
次回
