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不毛なナンパ術「恋愛工学」を思い出したきっかけ

 先日、Xで炎上していた1つの投稿が友人から送られてきた。
 
投稿主は、母親が子どものスイミング教室を見守ることについて「どんだけ暇人なの」「無駄な時間」とつぶやいていた。その時間を仕事や読書に充てないことが「信じられない」とも。

4400万回以上表示されたその投稿をポストした人の名前を見て、私は思い出した。
 
以前、一部の人の間で話題になっていた「恋愛工学」というジャンルを。
 
「恋愛工学」とは、『ぼくは愛を証明しようと思う。』などの著者である藤沢和希氏が確立したと思われる「ナンパ理論」だ。藤沢氏は、冒頭のポストの投稿主でもある。

仮に、藤沢氏がこれまで真実を書いてきたのなら、世界各地に足を運び、華麗な経歴を持ち、数えきれない女性と肉体関係を持ってきただろう。
 
冒頭のツイートが炎上目的の「釣り」でないのなら、ありふれた景色の背景に隠れたグラデーション豊かな人の心理を科学で読み解けず、無機質な記号のように見ていることが、私はちょっと悲しい。

一般人だったら、それでもいいかもしれない。でも、彼は近年、教育や夫婦関係の分野にまで触手を伸ばし、得意な「学問」で損得やコスパを読み解いて、書籍や情報を売る、影響力を持つ人だ。

今回は、そんな藤沢氏が過去に打ち出した「恋愛工学」について思い出したので、その不毛さについて伝えたい。

2010年代に「恋愛工学」をテーマとした同著は、局所的に話題になっていた。当時、その内容をほめたたえ、拡散していたネット界のご意見番もいた。
 
Amazonのレビューが2200件近く書き込まれるほどに同著は売れていたのだ。
 
同著の中で、恋愛工学は、こんなふうに解説されている。
 
進化生物学や心理学の膨大な研究成果を基に、金融工学のフレームワークを使って、ナンパ理論を科学の域にまで高めたもの」
 
なんだか高尚な学問のようにつづられているが、実際には、あちこちから寄せ集めた表層的な知識をパッチワークのようにつぎはぎして、1つ1つの方法にもっともらしい専門用語を名付けたものだ。

男性が女性の動作を鏡のようにまねたり、オウムのように言葉を真似たり、目を見つめたり、突然失礼なことを言ったり、相手の話を「大変だね」と言って聞くふりをしていれば、女性からの好感が得られるらしい。

同著は、小説形式で書かれており、「非モテ」の主人公が、女性からモテモテの恋愛工学の師匠から教えを乞い、瞬く間にナンパが上達していくという構成。
 
好奇心で読了した2010年代、私は思った。
 
登場人物の女性、誰1人として人間らしさがねぇな!と。
 
恋愛工学の師匠の小手先のコミュニケーションで軽々と「釣られる」女性、陳腐な動作でまるで電化製品のスイッチを押したかのように発情サインを出す女性、どう考えたってセクハラなのに受け入れてしまう女性……。いろいろな女性が出てくるが、主人公と深い会話をする女性が1人もいないのだ。

空虚なキャラクターばかりだったが、「女性の解像度が低めなのは、構成上、ナンパ術のほうに焦点を当てるためかもしれない」くらいに思って読み流していた。 

今回、スイミングプールのつぶやきをきっかけに、奇しくも恋愛工学の空虚さと、小説の女性キャラの解像度の低さを思い出した。
 
ハタから見れば、スイミングプールは、いつも同じように水色で、同じ水着を着た子たちがコースを往復しているだけで、つまらない景色なのかもしれない。
 
実際には、緊張を伴う進級試験や、新しい泳法の習得など、さまざまなチャレンジが繰り広げられている。レッスン前の子どもは、寒くてぐずったり、インフルエンザの療養期間を経て2週間ぶりのレッスンに不安を抱えていたり、終わったら買ってもらえるジュースを楽しみにしたりしている。待合室の親は、ハラハラと見守ったり、時折スマホを見たり、夕飯のことをぼんやり考えたり、小さい赤ちゃんを連れてあやしながらめいめいに迎えの時間を待っている。
 
いろんな事情を切り捨てて「時間のムダ」と一括りにしているナンパの大御所は、いつも自分の世界の中で思考が完結していて、自分以外の誰かの世界を通じて新しいことを知ったり、他人の世界と自分の世界を溶け合わせて新しい世界に「旅」をすることはないのかもしれない。
 
余談だが、私が所有している『ぼくは愛を証明しようと思う。』の文庫版では、小説家の羽田圭介氏が解説を担当している。羽田氏は、作者とは会ったことがないと言及したうえで、文中に出てくる恋愛工学の師匠について「トンデモな感じになっていて笑える」とつづっている。解説なのに、距離感の取り方が絶妙で笑える内容となっているので、同著を手に取る機会があれば、解説から読んでみてほしい。

 


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