新潟~長野 de ブラspiritwind♪~長岡市・上越妙高・御前清水・越後一宮 居多神社・岩ガキ etc
2026.8.2~8.3で新潟~長野方面へ出かけました。メインは長岡花火大会。
長岡花火大会については下記に投稿しました。
2026.8.2
関越道を新潟へ
東京から新潟へ。
10:00
東京出発。関越道で北上。川越辺りで渋滞発生。その後、ところどころ渋滞。
11:52
嵐山PAでトイレ。暑い!熊谷に近いからね。まだ、埼玉県無いなのに、既に浴衣姿の方が居ました。

13:04
赤城高原SAでトイレと給油。


堀之内 PA(新潟県魚沼市)
15:12
堀之内 PA(新潟県魚沼市)でトイレ。

・芝桜と雪の山・・・・良さそうですね!
16万株ということですが、秩父の羊山公園は40万株。
・ユリ切り花の出荷量は全国三位
15:56
長岡北スマートICを出て、予約してあった駐車場に到着。
長岡まつり大花火大会2026 抽選 民間協力駐車場 そこはウオロクというスーパーの奥でした。
ウオロク 蓮潟店

ウオロクは “新潟県を中心に展開する地域密着型スーパーマーケット” です。 食品の鮮度と価格に強みがあり、下越〜中越エリアで特に存在感があります。
🏪 ウオロクとは(概要)
正式名称:株式会社ウオロク
創業:1962年(新潟県新発田市が発祥)
本社:新潟市中央区鐙二丁目14-13
店舗数:46店舗(2026年3月時点)
売上高:948億円(2026年3月期)
事業内容:食品・日用品・衣料品・医薬品・酒類などの販売
特徴:鮮度へのこだわり、地域密着、買いやすい価格帯の品揃え
🗺️ 出店エリアの特徴
ウオロクは新潟県内にほぼ特化して展開しているスーパーです。
主な出店地域(例)新潟市(中央区・東区・西区など)
新発田市・聖籠町
長岡市・見附市
上越市・柏崎市・胎内市・村上市 など、県内の広い範囲に店舗があります。
八幡神社・稲荷神社(長岡市蓮潟)
ウオロクのすぐ裏手に巨樹があったので行ってみました。




八幡神社の裏手には境内社の稲荷社がありました。


祠の前の丸い金具は鏡取り付け用らしい?祠の左右は宝珠?


「米山塔(よねやまとう)」の石碑
江戸時代、神仏習合(神様と仏様を一緒に祀ること)の信仰が当たり前でした。米山信仰の対象である「米山薬師(薬師如来)」は仏教の仏様ですが、当時の人々にとっては「作物を守ってくれる神様」でもありました。
そのため、集落で一番神聖な場所であり、村人が日常的に集まる「八幡神社の境内」に米山塔を建て、神社の神様(八幡様)と一緒に地域の平和と豊作を見守ってもらおうとしたのです。
💧 蓮潟の暮らしと石碑がもつ意味
蓮潟の周囲に広がる水田は、信濃川の恵みを受ける一方で、ひとたび大雨が降ればすべてが泥水に飲み込まれるリスクを抱えていました。
そのような過酷な環境で生きる人々にとって、境内の米山塔は以下のような役割を果たしていました。
精神的な砦:水害や飢饉の恐怖に直面したとき、村をあげて祈りを捧げる心の拠り所でした。
集落の団結の証:石碑を建てるには莫大な費用がかかるため、境内にこれが残っているということは、当時の蓮潟の先祖たちが非常に固い結束力を持っていた証明になります。
⛩️ 八幡神社の基本情報と見どころ
所在地:〒940-2023 新潟県長岡市蓮潟1丁目9-53
境内みどころ(大ケヤキ):社殿の裏手には、地域の歴史を見守ってきた2本の大ケヤキが立っています。本殿真裏にあるケヤキは目通り幹囲約5.1m、樹高14mにおよび、もう1本の南西端に立つケヤキ(幹囲4.5m)と並び、同樹齢の巨木として知られています(推定樹齢不明)。
長岡市蓮潟の八幡神社は、観光地化されていない地域住民の産土神(土地の守り神)であるため、ネット上や観光パンフレットにはこれ以上の詳細な文献(創建年や由緒、祭神など)がほとんど残されていません。
しかし、神社が建つ「蓮潟」という土地の歴史や、周辺の地理的背景を紐解くと、この神社が地域で果たしてきた役割が見えてきます。
🌾 「蓮潟」の地形と神社の役割
信濃川の氾濫原だった歴史:
周辺には「雨池」「寺島」「巻島」など、水に関係する地名が多く残っています。かつてこの一帯は信濃川が何度も氾濫する湿地帯(氾濫原)でした。
命を繋いだ自然堤防:
氾濫のたびに砂が積み上がってできたわずかな高台(自然堤防)の上に、人々が集まって集落(現在の蓮潟)を作りました。八幡神社はその水害から集落を守る祈りの場として、一番安全な高台に建てられたと考えられます。
🌳 生き証人としての大ケヤキ
社殿裏に立つ2本の大ケヤキ(幹囲5.1mと4.5m)は、この地域が宅地化される遥か昔、まだ周囲が水田や湿地だった時代からこの場所を見守り続けています。
信濃川の度重なる洪水や、近年の都市開発をくぐり抜けて生き残った巨木であり、地域の歴史を今に伝える唯一の生き証人です。
💡 補足:長岡市内の「別の八幡神社」との混同に注意
インターネットで「長岡市 八幡神社」と検索すると、「長岡花火のルーツ」や「遊郭」といった非常に興味深い歴史情報がヒットしますが、これは「千手2丁目にある八幡神社」の歴史であり、蓮潟の八幡神社とは全く異なります。
千手町の八幡神社:越後長岡藩の藩主・牧野家ゆかりの神社で、明治時代に日本初の正三尺玉花火を打ち上げた「長岡花火発祥の地」です。
蓮潟の八幡神社:それとは別に、蓮潟集落をひっそりと守り続けてきた地元の鎮守様です。
蓮潟の八幡神社について、社殿に掲げられた「奉納額」や正確な由緒をさらに深く知りたい場合は、インターネットではなく、長岡市立中央図書館などが所蔵する『長岡市史』や地元の郷土誌(旧中之島町や三島郡に関わる資料)を調べる必要があります。
全国第3位の米どころ 新潟県長岡市

新潟県長岡市は、市町村別の米の生産量・作付面積で全国第3位を誇る、日本屈指のトップクラスの米どころです(第1位が新潟県新潟市、第2位が秋田県大仙市)。
実は、日本を代表する銘柄米である「コシヒカリ」が誕生した地でもあります。1944年に長岡市にあった新潟県農事試験場でコシヒカリの交配が行われ、そこから全国へ広がっていきました。
美味しいお米が育つ3つの理由
・肥沃な土壌:日本一の大河である信濃川が上流から運んできた、栄養豊富な粘土質の土が水田に広がっています。
・豊かな雪解け水:冬に積もった大量の雪が春に溶け出し、ミネラルを多く含んだ清らかな農業用水として田んぼを潤します。
・昼夜の寒暖差:お米が実る夏の時期に、昼は太陽を浴びて栄養を作り、夜は気温が下がることで旨味と甘みがしっかりとお米に蓄えられます。
地域ごとに異なる「コシヒカリ」のブランド
長岡市は海から山まで広大な面積を持つため、地域ごとに特徴の違う高品質なコシヒカリが栽培されています。
・魚沼産コシヒカリ(川口地域):長岡市で唯一、最高峰ブランドとして知られる「魚沼産」を名乗れる地域です。
・栃尾産コシヒカリ:山あいの澄んだ銘水と厳しい寒暖差で育つ、根強いファンが多いお米です。
・山古志産コシヒカリ:美しい棚田の風景が広がる中、山の湧き水を使って丁寧に作られる希少なお米です。
コシヒカリだけじゃない!注目の銘柄
・新之助(しんのすけ):新潟県が開発した大粒の新品種で、コクのある甘みとしっかりとした粘り強さが特徴です。
・こしいぶき:コシヒカリの血統を受け継ぎつつ、ツヤが良く、あっさりとした味わいで普段使いに人気です。
豊富なお米から生まれる食文化
長岡は質の高い米と水に恵まれているため、「発酵・醸造のまち」としても有名です。市内には16もの酒蔵があり、日本酒の製造が盛んです。また、大手米菓メーカー(岩塚製菓など)の拠点もあり、おせんべいや「柿の種」の発祥の地としても知られています。

長岡まつり大花火大会を観終わって、その日の夜は上越妙高駅前の「東横INN上越妙高駅西口」に泊まりました。
2026.8.3
上越妙高駅周辺

北陸新幹線とローカル線のえちごトキめき鉄道(妙高はねうまライン)
が乗り入れる主要ターミナル駅

朝食付きで10710円。長岡花火大会時期としては良心的な価格。
他のホテルは2~3万円が当たり前でした。

9時半ごろチェックアウトして、まず、駅前の遺跡公園へ。ホントに駅から直ぐのところでしたよ。
釜蓋遺跡公園



釜蓋遺跡公園(かまぶたいせきこうえきえん)は、JR上越妙高駅西口から徒歩3分の場所にある、弥生時代末期〜古墳時代初期(約1,800年前)の巨大な集落跡を整備した国指定史跡の歴史公園です。
新幹線の駅から最も近い、まさに「駅近」の古代遺跡として知られています。
🛡️ どんな遺跡?(釜蓋遺跡の歴史的価値)
上越地方の中心的な大集落:
周囲を川と3重の「環濠(かんごう:水堀)」で囲まれた防御性の高い環濠集落で、当時の地域を支配した有力者の拠点(クニの中心)であったと考えられています。
物流の拠点:
環濠から川へ下り、日本海へ抜けて遠方と物資を流通させていた船舶流通の拠点でもありました。
巨大な建物の跡:
一辺12.4m、広さ約150㎡(約90畳分)にも及ぶ日本最大級の特大の竪穴建物跡が発見されています。
国の史跡指定:近隣の吹上遺跡、妙高市の斐太(ひだ)遺跡と合わせ、「斐太遺跡群」として国の史跡に指定されています。
その後、越後國一之宮 居多神社へ。
途中にとても特徴のある拝殿の神社があったので参りました。
大貫 日吉神社

大貫小学校はその後、平成17年(2005年)に近隣の校区と統合され、新しくできた「上越市立城東(じょうとう)小学校」へと引き継がれました。

大貫 日吉神社
由緒
祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
祭日 (春季)四月三日、四日(秋季)十一月三日、四日
総本宮 日吉大社(ひよしたいしゃ)(大津市坂本)
大貫(金谷・神山・大貫・平山)の神社で、祭神・大山咋命は別名「山王権現(さんのうごんげん)」と呼ばれた神仏習合の神である。
大山咋命という名前は、「大きな山の境界を示す杭で、山の所有者」という意味を表し、国土開発・農産業振興の神として信仰されてきた。
この神社は、古くは「日吉社」「山王社」と呼ばれてきて、日枝神社(ひえじんじゃ)と同じ神を祭っている。
社殿に奉納されている寛政十年の棟札(むなふだ)に「山王愛宕社一宇奉再建(さんのうあたごしゃいちうほうさいけん)」とあり(願主(がんしゅ)は、別当(べっとう) 春日山 惣持寺(そうじじ)という記録があり、元禄十四年の記録によれば、寺町一丁目にあった「春日山 惣持寺・毘沙門天」の近くに、寺院の守護社(しゅごしゃ)として、広い境内に建てられていたと推定される。
昭和二十九年、大貫小学校(現関根学園高等学校)の敷地から移築され、平成二十六年、社殿の全面改修が行われて今日に至っている。なお、宮司は斐太神社(ひだじんじゃ)(妙高市)が明治十六年から兼務している。
平成二十九年四月 製作



こちらも特徴的です。



1. この神社の創建はいつ?
由緒書によると、明確な「◯年創立」という記録は残っていませんが、江戸時代初期の元禄14年(1701年)以前にはすでに存在していたことが確実視されています。
始まりはお寺の守護社(1701年以前)
元禄14年の記録に、かつて寺町にあった「春日山 惣持寺(そうじじ)」というお寺の近くに、寺院を守るための神社(守護社)として建てられていたという記述があります。当時は「山王大権現」などと呼ばれ、お寺と一体になっていました。
1798年に再建
社殿に残る寛政10年(1798年)の棟札(むなふだ)から、江戸時代中期に一度、建て替え(再建)が行われたことが分かっています。
つまり、少なくとも320年以上前(江戸時代初頭かそれ以前)に創建され、お寺の守り神として広い境内に佇んでいた歴史を持っています。
2. なぜあんなにユニークな形(家型)をしているの?
最初に見られた「三角屋根をダイレクトに乗せた家型の灯籠」や、幾何学的でシンプルな拝殿の佇まいは、この神社がたどってきた「2回の大移動」と「現代の豪雪対策」が深く関係しています。
💡 理由①:昭和29年の大貫小学校への「移築」
由緒書にある通り、この神社は昭和29年(1954年)に、大貫小学校(現在の関根学園高校の敷地)から現在の場所へ移築されました。
学校の敷地を広げるなどの理由で神社を動かす際、限られた予算やスペースの中で社殿を解体・再構築したため、装飾を極限まで削ぎ落としたシンプルで直線的なデザインに整えられたと考えられます。手前の灯籠がモダンな幾何学模様(家型)に見えるのも、この近代の移築・造営時のセンスが反映されているためです。
💡 理由②:平成26年の「豪雪地帯に特化した全面改修」
上越市大貫地区は、冬になると深い雪に包まれる豪雪地帯です。平成26年(2014年)に社殿の全面改修が行われた際、雪の重みで社殿が潰れないよう、また雪下ろしがしやすいように、現代の建築技術を取り入れたスマートでユニークな外観へと進化を遂げました。
伝統的な神社の「複雑な装飾(彫刻や幾何学的な組み物)」をあえて少なくし、すっきりとした現代的な「家型」にすることで、雪が自然に落ちやすく、耐久性の高い造りになっています。
その後、北上。春日山神社へも参ろうと思いましたが、体力的に止めておきました。見どころが沢山あるようなのですが、神社自体の創建は1901年なんですよね。
その奥の標高180メートルの春日山に築かれた春日山城は別名「鉢ヶ峰城」(はちがみねじょう)ともいい、戦国時代の名将上杉謙信の居城として知られています。
ただ、麓に湧水があるという情報を得て、そこだけ行ってきました。
謙信公出陣 御前清水



水を飲んだ感じは柔らかでしたが、珈琲は?私の味覚が鈍いのでしょう(笑)
謙信公出陣 御前清水(ごぜんしみず)」とは、上杉謙信公の居城である春日山城の麓に湧き出る、謙信公ゆかりの高名な湧き水のことです。
新潟県の名水(平成18年度選定)の一つにも数えられており、歴史ファンのみならず、現在も多くの地元の人がポリタンクやペットボトルを持って水を汲みに訪れる人気のスポットとなっています。
⚔️ 歴史的な背景と由来軍神の喉を潤した水:
戦国時代、上杉謙信公が戦(いくさ)へ出陣する際にこの清水を飲んで喉を潤し、必勝を祈願したという伝説が残されていることからこの名がつきました。
ほぼ無敗の縁起担ぎ:
生涯で約70回もの戦いを繰り広げ、ほぼ負け知らずだった「軍神」謙信公にあやかれる、非常に縁起の良い名水として古くから大切にされています。
💧 水質と水汲み場の特徴冷たくて飲みやすい軟水:年間を通じて一定の豊かな水量を保っており、クセのない非常にまろやかな軟水です。
龍の口から湧き出る演出:現在は地元有志の協力によって美しい石造りの水汲み場が整備されており、謙信公の威厳を感じさせる「龍の頭(蛇口)」から冷たい水がこんこんと流れ出ています。周辺には立派な石碑も建てられています。
越後一宮 居多神社
さて、今回、参りたかった居多神社です。この神社は親鸞聖人と関りがあります。

「霊性の国」越後
文化勲章を受章された哲学者で、小林古径記念美術館名誉館長の梅原猛さんが越後を旅し、親鸞聖人上陸の地「居多ヶ浜」をはじめ、「国分寺」「居多神社」「本願寺国府別院」「光源寺」等をめぐり、親鸞の原点を考察しました。
そして、親鸞の著作『教行信証』にふれ、三十五歳から四十二歳までの越後の生活が親鸞の思索を深め、独自の教説を創出したのであろうと述べています。
越後は、縄文時代以来「霊性の国」であり、親鸞が宗教的な霊性に目覚め、さらに熟成させ、開花させた地だと記しています。

親鸞聖人 越後七不思議
片葉の芦(かたはのあし)
承元元年(一二〇七)専修念仏(せんじゅねんぶつ)の禁止により、親鸞聖人は越後国府に配流となった。
居多ヶ浜(こたがはま)に上陸した親鸞は居多神社に参拝し、
「すゑ遠く法を守らせ居多の神
弥陀と衆生のあらん限りは」
と詠み、神前に供え、はやく赦免となりますようにと祈願したところ、一夜にして居多神社境内の芦が片葉になったという。


越後一の宮
居多神社(こたじんじゃ)
祭神(さいじん)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
奴奈川姫(ぬながわひめ)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
祭典(さいてん)例祭:五月三日
講社大祭:八月十九日・二十日
由緒(ゆいしょ)
弘仁四年(八一三)に従五位下を、貞観三年(八六一)に従四位下を朝廷から賜わった。延喜五年(九二七)の「延喜式」神名帳に記載された式内社である。越後国司・越後守護上杉家・上杉謙信の厚い保護をうけ、越後一の宮として崇敬されてきた。今日、縁結び・子宝祈願の神として信仰されている。
宝物(ほうもつ)居多神社文書・狛犬(上越市指定文化財)
親鸞聖人御旧蹟(しんらんしょうにんごきゅうせき)
親鸞聖人日の丸御名号・御詠歌
越後七不思議「片葉の芦」
境内社(けいだいしゃ)
雁田神社(かりたじんじゃ)
祭神:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)
子宝・安産の神
稲荷神社(いなりじんじゃ)
祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(商売繁昌の神)


この形が面白い(不思議に感じる)のには、主に3つの理由があります。
1. 正面なのに「左右非対称」に造られている
一般的な神社の拝殿は、真ん中に賽銭箱や階段があり、左右対称に造られていることがほとんどです。
しかし居多神社の拝殿は、参拝する人が立つ屋根の出っ張り(向拝・こうはい)や、中の本殿へと続く階段が意図的に右側に大きく寄せられた「左右非対称」の構造になっています。
2. 出雲大社と同じ「大社造(たいしゃづくり)」を模している
このアシンメトリー(左右非対称)な形は、島根県の出雲大社に代表される日本最古の神社建築様式「大社造」の影響を強く受けているためです。
大社造はもともと、建物内の右奥に御神体が祀られ、そこへ向かうための通路や入り口が右側に偏る特徴があります。居多神社は主祭神に「大国主命(オオクニヌシノミコト)」を祀っているため、出雲との深い繋がりから、拝殿もこの大社造の趣を取り入れて平成に建て替えられました。
3. 切妻屋根が縦向き(妻入)になっている
多くの拝殿は、横に長い長方形の屋根(平入・ひらいり)が正面を向いていますが、居多神社は本殿のように屋根の三角形の面(妻側)が正面を向く「妻入(つまいり)」になっています。これも、一般的な拝殿のイメージとは一味違う、独特のスマートで奥行きのある印象を与えています。















居多神社の境内に立つ、
ご祭神の親子を表した「大国主命・奴奈川姫・建御名方命」の夫婦子宝像。
古事記の神話に基づいたむつまじい家族の姿が表現されています。
右の男性(立像):出雲からはるばる求婚に訪れた 大国主命(おおくにぬしのみこと)
左の女性(坐像):地元の高志国(新潟県)の麗しき女神 奴奈川姫(ぬながわひめ/沼河比売)
抱かれている赤ちゃん:お二人の間に生まれた、後に信州の諏訪大社へ祀られる 建御名方命(たけみなかたのみこと)
居多神社は古くから「縁結び」「子宝」「安産」の最強のパワースポットとして信仰されており、この像はその象徴として参拝者に親しまれています。



これは居多神社の境内社である「雁田神社(かりたじんじゃ)」の祠(ほこら)の内部です。
お賽銭箱の奥の棚には、子宝・安産・夫婦和合を祈願して奉納された、男性や女性のシンボルを象った数多くの陰陽石(石体)や、大黒天・恵比寿の石像が並んでいます。
ご祭神:高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)
ご利益:昔は「腰から下の病気」に効く神様とされていましたが、現在では「元気な赤ちゃんを授けてくれる子授け・安産の神様」として大変有名です。




近くで見てみると、確かに一般的なイネ科のイネやススキのような細長い「芦(アシ)」の葉とは形が違っていますね。
実は、居多神社の「片葉の芦」の池に現在生い茂っているこの植物は、植物学的にはキク科の「アメリカセンダングサ(またはその近縁種)」という野草です。
なぜこの形になっているの?植物の入れ替わり:
もともとは本物の芦が生えていた場所ですが、時代の経過とともに池の環境が変わり、生命力の強い別の植物が繁殖して定着したと言われています。
伝説の象徴として:植物の種類自体は変わってしまいましたが、この池の場所そのものが、親鸞聖人が祈りを捧げた「片葉の芦の伝説の地」として今も大切に守られ続けています。
いや~、とても良い空気・空間の神社でしたよ^^
「居多(こた)神社」と、石川県にある「気多(けた)大社」や富山県の「気多神社」には、歴史的に非常に深い関係があります。
1. もともとは同じ「けた神社」だった
平安時代の歴史的な神社名簿(延喜式神名帳)によると、居多神社はもともと「気多(けた)神社」と記録されていました。
日本海沿岸には出雲(島根県)から北陸にかけて「気多(氣多)」という名の神社が分布しており、ここ越後の居多神社もその一つです。時代が経つにつれて、文字が「居多」に変わり、読み方も「こた」へと変化していったと考えられています。
2. 祀られている神様(出雲系)のつながり
お参りされた「気多大社(能登)」や「気多神社(越中)」のメインの神様は、最初にご覧になった石像の男性、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
古代、出雲の勢力が日本海を渡って北陸(越の国)へと進出して開拓していった歴史があり、その出雲の神様を祀るネットワークの東の端が、まさに今いらっしゃる居多神社になります。
そのため、神社のお名前だけでなく、祀られている神様のルーツもすべて繋がっています。

神社から

ここから上陸されたそうです。

その後、国道8号線を西へ。夏ガキ(岩ガキ)を目指します♪
鳥ヶ首の滝

「鳥ヶ首の滝(とりがくびのたき)」
上越市名立区(なだちく)の国道8号線沿いにある落差50メートルの美しい滝です。
主な特徴と見どころダイナミックな景観:山肌の緑に囲まれた崖の上から、白い筋となって一気に流れ落ちる分岐瀑(途中でいくつかの流れに分かれる滝)です。
この滝は通常の「山の奥から川が流れてきて落ちる滝」ではなく、「崖の途中から水が湧き出ている湧水型の滝」です。
種明かしをすると、以下のような面白い仕組みになっています。
なぜ川が見当たらないの?地下水が直接噴き出している:
滝の上の山(鳥ヶ首岬の斜面)に染み込んだ雨水や地下水が、崖の地層の隙間からピンポイントで大量に湧き出しています。そのため、地表を流れる長い「川」が上流にありません。
名立崩れの歴史による地形:
この周辺は過去の大地震(名立崩れ)による地滑りでできた、非常に急峻な断崖絶壁です。崩れた山の断面から、地下の水脈がむき出しになってそのまま滝として流れ落ちています。
つまり、川の終わりが滝になっているのではなく、「湧き水がいきなり滝になっている」というダイナミックな場所なのです。
滝を見学した後、いよいよ岩ガキ!
道の駅「うみてらす名立」






待望の「岩ガキ」


ほとんどかけずに^^

むかしは500円だったな・・・・って30年以上前だ(笑)
しょっぱかったけど、やっぱり、ミルキーで美味しかったですよ^^
実は事前に電話して岩ガキがあると確認していました^^





海沿いの気候が厳しい日本海側(新潟県上越市名立区など)で木材の板壁が多く使われているのは、「塩害への強さ」と「部分補修のしやすさ」を兼ね備えた、海の暮らしにおける最も合理的な選択肢だからです。
一見、木は風雨に弱そうに思えますが、この地域では昔から「下見板張り(したみいたばり)」という伝統工法を用いて家を守ってきました。理由は主に4つあります。
1. サビが発生しない(高い耐塩害性能)
金属製の外壁(トタンやスチールなど)は、海風に含まれる塩分によってすぐにサビて穴が空いてしまいます。
天然の木材には金属成分が一切含まれていないため、塩分による腐食(サビ)が絶対に起きないという強みがあります。
2. 傷んだ部分だけを簡単に交換できる
海沿いは台風並みの強風や激しい塩雨、砂嵐にさらされるため、どんな高性能な外壁材でもいつかは傷みます。
板張りの最大のメリットは、「傷んだ1枚だけを剥がして、新しい板に差し替える」という部分補修が非常に安く、簡単にできる点にあります。サイディングなどの現代的な壁では、一面をごっそり張り替える大がかりな工事になりがちです。
3. 雨が中に入りにくい伝統工法
この建物は、板を少しずつ重ねながら横向きに張る「下見板張り」になっています。
階段状に重なっているため、強い海風で叩きつけられた雨水が隙間から内部に入り込まず、外へ外へと流れ落ちる構造になっています。
4. 濡れても乾きやすく長持ちする
新潟の海沿いで使われる板壁(主に杉板)は、雨に濡れても風通しが良いのであっという間に乾きます。
時間が経つと、写真のように太陽の光や風雨で塗装が抜け、美しい「シルバーグレー(灰色)」に変化していきますが、これは木そのものが環境に馴染んで安定した証拠でもあります。
高速に乗る前に、「シーサイドパーク名立」方面へ少し登ってみました。
途中で、タヌキ、シカと出会いましたよ^^


さて、一気に高速を乗り継いで東京へ。
小布施PA



横川PA

ヒグラシが鳴いていました♪


ぐわっと駆け抜けて帰ってきました。
