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MacBook Airを4ヶ月使って、実は後悔していること

以前このnoteで「なぜMacBook Airを選んだか」を書いた。あれから4ヶ月が経った。

当時は、iPadとMacBook Proの間で散々迷った末に辿り着いた結論だったこともあり、届いた日は正直かなり浮かれていた。

この一台があれば、仕事も趣味も全部ここに集約できる、そんな期待すら抱いていたのを覚えている。

結論から言うと、後悔はしていない。

今も気に入って使っている。ただ、正直に振り返ると「思っていたのと違ったな」と感じる部分が、いくつか出てきた。

今日はその本音を書いておこうと思う。


なんでもできるからこそ、何をするか決められない

一番の後悔はこれに尽きる。

MacBook Airは性能的に何でもこなせる。
動画編集も、資料作成も、ちょっとした作業用ツールの構築も、一台で完結してしまう。

ところが、この「何でもできる」という自由さが、逆に自分の首を絞めていた。
せっかく高性能なマシンを手に入れたのだから、何か新しいことに使わなければもったいない、という気持ちに駆られる。

結果として、あれこれ手を出しては中途半端に終わる、ということを繰り返してしまった。

制約がある方が、実は人は動きやすいのかもしれない。

「これしかできないから、これをやる」という状態の方が、迷いなく手が動く。

何でもできる環境を手に入れたことで、逆に自分の意思の弱さが浮き彫りになった、というのが正直なところだ。

思えば仕事でも似たようなことがある。
選択肢が絞られている商談ほど提案がしやすく、逆に「何でも提案できます」という自由度の高い案件ほど、逆に手が止まることがある。

道具にも同じ構造があるとは、正直予想していなかった。

動画編集サブスク、契約したのに使わなくなった

その「何かに使わなければ」という気持ちの延長で、動画編集用のApple Studioのサブスクリプションを契約した。

最初の数回は実際に動画編集をしてみた。

ただ、そもそも動画編集を継続的にやりたいという強い動機があったわけではなく、「MacBook Airがあるから、なんとなく使ってみよう」という順番で始めてしまったのがまずかったのだと思う。

数ヶ月経った今、ほとんど開かなくなってしまった。

契約した当初は「せっかくだから月々の元を取らなければ」という気持ちもあったはずなのに、気づけばその感覚すら薄れている。道具が先にあって、目的が後から追いかける形だと、こうなりやすいのだと身をもって学んだ。

似たようなことは、他のアプリやツールでも起きている気がする。良さそうだから、便利そうだからと契約したものの、実際の生活には根付かず、気づけば存在を忘れているサブスクが他にもいくつかある。

これはMacBook Air固有の問題というより、「なんでもできる環境」が持つ副作用のようなものなのかもしれない。

それでも使い続けている理由

ここまで書くと後悔だらけのようだが、それでも手放そうとは思っていない。

Apple製品同士の連携のスムーズさ、iCloudで作業が途切れない感覚、見た目のスタイリッシュさ、そして最近のAIとの組み合わせの快適さは、他では得難いと感じている。

日々の作業の摩擦が少ないという点では、今のところこれ以上の選択肢が思い浮かばない。

特に、iPhoneで書きかけたメモがそのままMacBook Airに引き継がれる瞬間や、写真や資料が意識せずとも同期されている状態は、地味だが手放しがたい快適さだ。

多少の後悔があっても、この快適さを一度知ってしまうと、他の選択肢に戻る気にはなれない。

つまり、後悔しているのは「マシンの性能」ではなく「その性能をどう使うか、自分で決めきれていないこと」の方だ。

道具は十分すぎるほど整っている。あとは自分がどう使うかを決めるだけ、というのが4ヶ月使ってみての本音の結論だ。

みなさんは、高性能なガジェットを手に入れて、逆に使い道に迷った経験はあるだろうか。よければコメントで聞かせてほしい。

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