【一華編】第1話:完璧な委員長と、届かない視線
前回のお話▼
私、一ノ瀬一華(いちのせ いちか)の日常は、ミリ単位の狂いもなく整えられている。
毎朝7時30分に登校し、誰もいない2年A組の教室で黒板を磨き、連絡事項を美しくノートにまとめる。
生徒会長の座を狙う優等生として、そしてこのクラスを導く学級委員長として、完璧であることこそが私の存在意義だった。
だが、そんな私の「完璧な世界」には、ひとつだけどうしても思い通りにならない存在があった。
神代(かみしろ)あすか。
彼女はクラスの太陽だ。
誰にでも愛される笑顔、可憐な立ち振舞い、そしてどこか守ってあげたくなる隙。
私がどれほど努力しても手に入らない「天性の愛らしさ」を、彼女は呼吸するように纏っている。
(……羨ましい、なんて思っていないわ。私は私のやるべきことをするだけ)
毎朝、そう自分に言い聞かせている。
けれど、下駄箱の前で彼女が誰かと楽しそうに笑っているのを見るたび、胸の奥がキュッと締め付けられるような、名付けようのない感情が渦巻くのだ。
そしてもう一人。
私の視線を遮る邪魔な存在がいる。
クラスで一番冴えない、影の薄い男子、乙羽睦月(おとば むつき)。
あすかは誰に対しても平等に接するが、なぜか放課後になると、あの冴えない乙羽と二人でどこかへ消えていく。
噂ではただの委員会仲間だというけれど、私は知っている。
あすかが乙羽に向ける視線には、私たちには絶対に見せない「特別な熱」がこもっていることを。
(なんなの、あの男。あすかの隣にふさわしいのは、もっと……)
不意に、思考が途切れる。
自分がいま、何を考えようとしたのかに気づき、私は慌てて眼鏡の位置を直した。
顔が熱くなるのが分かった。
◇
事件が起きたのは、放課後のことだった。
生徒会室での作業を終え、誰もいない教室に忘れ物を取りに戻ったときだ。
夕暮れの赤に染まる教室で、私は思いがけない光景を目撃してしまう。
教卓の影。
薄暗い光の中で、あすかが乙羽の胸に飛び込み、密着していた。
あすかの制服のブラウスは少し乱れ、彼女の可憐な喉元から、聴いたこともない甘い吐息が漏れている。
乙羽の手はあすかの細い腰をしっかりと抱きかかえ、眼鏡の奥の瞳で彼女を深く見つめていた。
二人が重なり合い、深く唇を重ねる。
いつもは「みんなのアイドル」であるあすかが、一人の男の前で雌の顔になり、甘えた声を上げている。
「っ……!」
私は息を殺し、必死で口を覆った。
心臓が警鐘を鳴らすように激しく打ち鳴らされる。
激しいショックと、見てはいけないものを見てしまった背徳感。
そして、猛烈な嫉妬が、胸の奥からドロリと溢れ出してきた。
あすかを奪われていることへの怒りなのか。
それとも、あの場所に自分が立てないことへの絶望なのか。
自分でも整理のつかない感情に苛まれながら、私は足音を殺してその場を逃げ出した。
◇
翌朝。
私はいつも通り7時30分に登校した。
震える手で黒板消しを握り締めながら、昨晩の光景を必死に脳裏から追い払おうとする。
しかし、私の下駄箱を開けた瞬間、その決意は脆くも崩れ去った。
パサリ。
音を立てて落ちてきたのは、淡いサクラ色の封筒。
裏面には上品な銀色の星型シール。
そして宛名には、信じられない文字が躍っていた。
『一ノ瀬一華様』
部屋に持ち帰り、一人で開いた便箋。
そこに書かれていたのは、狂気すら感じる熱量で綴られた文章だった。
『完璧で美しく、気高き一ノ瀬様。
貴女の冷徹な瞳の奥に隠された、本当の孤独を私は知っています。
あすか様に届かない視線を送る貴女の姿に、私は心底惹かれているのです。』
私の「秘密」を、すべて知っているような文章。
そして、その筆跡を見て、私は全身の血が凍りつくのを感じた。
寸分違わず、寸尺の狂いもない、几帳面で綺麗な文字。
それは、私自身が、毎日ノートに書いている筆跡と、全く同じものだったのだから。
(私が……自分で書いたとでもいうの……!?)
サクラ色の手紙を握りしめ、私の完璧な世界が、音を立てて崩れ始めていた。

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8/29(土)夜9時に公開
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