短編:四年三ヵ月
◉風まかせ文芸部【宿題の山】参加作品
元警視庁刑事部 捜査一課 田所征司の手記より──
四年三カ月もの長い時間、彼女は亡くなった我が子を自宅の冷凍庫に置き続けていた。遺体はTシャツに包まれ、袋に入れられていた。その袋には「2018.3.12 大好き」と書かれたメモが貼られていた。
我々警察官は、死体遺棄という言葉を聞けば、まず遺体を隠した、捨てた、あるいは犯罪の発覚を免れようとした可能性を考える。
だが、この事件は少し違っていた。
彼女は妊娠していることを自覚していたが、病院には通わなかった。育児ノイローゼや幻聴もあり、周囲に助けを求めることもできなかった。
事件後、彼女にはすでに子どもがいて、内縁の夫からDVを受け、一人で育児をしていたことも明らかになった。
それでもお腹の子は産みたいと思っていたという。栄養には気をつけ、アプリを使って胎動や心音を確認していた。腹の中で小さな命が動くたびに安心し、その成長を確かめながら、生まれてくる日を待っていた。
赤ん坊に着せる服も用意していた。それは彼女にとって、単なる出産準備ではなかったのだろう。その服を着た我が子を抱く日を思い描いていたのではないか。どんな声で泣くのか。どんな顔で眠るのか。そんな未来を、彼女なりに待ち望んでいたはずだ。
だが、出産のおよそ一週間前に、胎動も心音も感じなくなったという。腹の中で子どもが亡くなっているかもしれない。そう思いながらも、彼女は病院へ行くことができなかった。そして、自宅で一人で産んだ。
赤ん坊は泣かなかった。それでも彼女は、その小さな身体をきれいに洗い、生きて生まれていたら着せるつもりだった服を着せ、その晩はそばに置いて一緒に眠ったという。
「アカリ」
顔を見て、そう名付けた。生きて産声を上げることのできなかった子に、彼女は名前を与えたのだ。
翌日、Tシャツに包み、袋に入れ、メモを貼って冷凍庫へ入れた。もちろん、許される行為ではない。
だが、彼女は我が子を「捨てたかった」わけでも「いなかったことにしたかった」わけでもなかった。むしろ逆で、我が子がこの世に存在した証しを、失いたくなかったのだろう。
時折、冷凍庫から我が子を出して、絵本を読み聞かせることさえあったという。傍から見れば、異様としか言いようのない行為だろう。法廷でその理由を尋ねられた彼女は泣きながら答えた。生きていたら、してあげたかった。ずっと一緒にいたかったと。そして、遺体を残しておきたかった理由をこう語った。
骨になってしまえば軽くなってしまう。重みがなくなれば、アカリを感じられなくなる──。
私はその言葉が妙に心に残った。人は亡くなれば、やがてその身体も形を失っていく。彼女には、それが耐えられなかったのだろう。
抱けば腕に重みがある。そこに身体がある。自分が産んだ娘が確かに存在していたことを感じられる。
彼女にとってアカリの身体を失うことは、娘をもう一度失うことだったのかもしれない。
だから、手放せなかった。それが正しい愛し方だったとは、到底言えない。だが、彼女がアカリを愛していたことを、私は疑わない。
捜査する側の人間として、私は彼女の行為を肯定することはできない。死者には尊厳があり、遺体は適切に弔われなければならない。
まして彼女には、覚醒剤をはじめとする違法薬物の問題もあった。学生のころから薬物に手を出し、逮捕当時には覚醒剤を常習的に使用するまでになっていたという。
その責任は、当然問われなければならない。最終的に問われた罪は、死体遺棄罪のほか、覚醒剤取締法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反の三つであった。
だが、それでこの事件を片付けてしまっていいのだろうか。なぜ彼女は病院へ行けなかったのか。なぜ誰にも助けを求められなかったのか。
なぜ亡くなった我が子を四年三カ月もの間、冷凍庫に置いておく以外の方法を選べなかったのか。
法廷では検察官から「天国に行かせてあげよう」と諭され、彼女は「ごめんね」と涙ながらに謝罪していたそうだ。
天国へ行けるかどうかは、我々の関知できることではない。我々にできるのは、彼女がなぜそこまで追い詰められたのかを考え、同じことを繰り返させないようにすることだ。
東京地裁は、拘禁刑三年、保護観察付き執行猶予五年を言い渡した。彼女は刑務所ではなく、社会の中で薬物依存の治療を受けながら立ち直る機会を与えられた。
罪を裁くことと、人を救うことは矛盾しない。私はそう思う。冷凍庫に我が子を入れる母親など、普通ではない。だからこそ「普通ではない」で切り捨てるのではなく、なぜそこまで行き着いたのかを考えなければならない。
もし妊娠中に誰かとつながっていたら。もし幻聴や薬物依存について治療を受けられていたら。
もし「助けて」と言える場所がひとつでも彼女のそばにあったなら。
そして、もうひとつ。彼女が四年三カ月もの間、冷凍庫に閉じ込めていたのは、本当にアカリの遺体だけだったのだろうか。
生まれてくるはずだった娘を抱きしめる未来。服を着せ、絵本を読み、成長を見守るはずだった日々。母親としてアカリと過ごすはずだった時間。
それらすべてを、彼女はあの冷凍庫の中に残していたのではないだろうか。
四年三カ月もの時間を冷凍庫の中で過ごした小さな命は、今も我々に問いかけているように思えてならない。なぜ、母親は誰にも助けを求めることができなかったのか、と。
彼女の罪を裁いたからといって、この事件が終わるわけではない。そこから見えてきた、我々が生きる今の社会に課せられた宿題は、山積みなのである。
これは実際にあった事件を元に、筆者が脚色したフィクションですが、登場する人物の人物像及び、取り巻く環境などを、実際のものに近づけてあります。
尚、文中には、当時のニュース記事や、そこに寄せられた、視聴者からのコメントの内容を織り混ぜています。
