随筆:うちの妻
くどいようだが、うちの妻は美人だ。大切なことなのでもう一度言う。
「うちの妻は美人だ」
過去の記事にも書いたが、本当にそう思っているのだ。今でも「どこを好きになった?」という質問には必ず「顔」と返している。
どうにかしてそれをひけらかしてやろうと思ったのだが、写真を載せるわけにもいかない。そこで、妻の写真をAIで水彩画化してもらおうと考えた。
雰囲気くらいは伝わるだろうと思いきや、AIが優秀すぎて、写真と区別がつかないほどのクオリティーになってしまった。
さすがにそのままだとまずいので、水彩画化をさらに強くしてマスクと眼鏡を追加したのだが、それでもちょっとNGな感じに。苦肉の策として、陽光で顔を隠すことでギリ本人の了承を得た。
サムネの画像には、そういった事情が含まれている。
代わりに、娘が「これママと似てる」といった画像を貼っておく。

元アイドルで、現在は女優の「長濱ねる」だ。ここまで若々しくはないし、長濱ねるに似てるとも思わないが、この画像に関しては、ふんわりした感じや目元が優しい感じなんかはかなり近いものがある。
うちの両親や伯父夫婦なんかは、たれ目な感じが、最近ドラマでよく見かける女優の「瀧内公美」に似ているという。

私が声高々に美人だと言いたくなるのがわかってもらえるのではないだろうか。ちなみに、私はよく「福山雅治」に似ていると言われる。
名前がね!(´Д`;)
娘にも「ママのどこが好き?」と聞かれたことがあるが、その時はさすがに「顔」とは言えず「背が高くてカッコいいから」と少しぼかして答えた。
妻を始めて見る人は、大抵が綺麗な人だと褒めてくれる。それが私にとっては自慢のひとつでもある。
ギリ昭和生まれの30代後半だが、後ろ姿だけなら20代に見える。学生時代は、身長が高いこと(169cm)がコンプレックスだったらしく、少しでも背を低く見せたくて、意識して猫背になって歩いていたそうだ。
それが今では、自信に変わったらしく、ヒールを履いて姿勢良く歩く。人前に立つ仕事をしているので、美容や身なりにはそれなりの金と時間気を使っているようだ。私とは少し年が離れているので、初見で夫婦だと思われないこともたまにある。
今回、なぜこんなことを書いているのかといえば、こちらの記事↓
↑この記事のタイトル「うちの嫁さん」と記述してあるのが気に入らなかったらしく「嫁さんなんて偉そうやし、乱暴やん」と叱られたからである。
だから当記事以降は、ゴマすり反省の意味も含めて「妻」と書くことになった。「嫁さん」だとうちの親の目線。「奥さん」だと他人からの目線。「カミさん」なんてもっての他で「家内」や「女房」は古くさいと言われ、柄にもなく「妻」と、当たり前の表記にすることで落ち着いた。
件の記事で褒めた部分は別としても、彼女の恥ずかしい失敗とかまで羅列してしまった私としては「引っ掛かるのはそこ?」と思ったのだが、他の部分はなぜか笑って許してもらえた。
しかしである。その代わりに「もっといいところを書いて」と仰せつかったのだが……特記事項が見当たらなかったので、本記事の冒頭から亭主バカ全開で書き出したことを、平にご容赦願いたい。
そのついでと言っては何だが、勝手ながら、自慢の妻とのなれそめを書かせてもらう。痛い亭主だと思うだろうが、お付き合いできる方はよろしく。
出会いは彼女が大学生時代、私の知り合いの飲食店でバイトをしていた時である。何度か顔を合わせ、お互いを認識してはいたが、事務的な会話しか交わしたことはなかった。
第一印象は、ドラマや漫画に出てくるような、一見すると地味で目立たない、眼鏡を外して着飾れば美人になるタイプ。
でもそれは嘘だと気づいた。眼鏡をかけていても地味な感じでいても、美人は美人なのだ。
当時、スーパーの駐車場で彼女を見かけたことがあった。車に乗らないのに、真冬の寒空の中、駐車場の真ん中に突っ立っていたのだ。
泣いているようだったので声をかけると、自転車でバイトに向かう途中、事故に遭ったとのこと。
スーパーの駐車場からいきなり出てきた車に横から衝突され、転んだ拍子に地面についた右腕と、左の太ももがひどく痛む様子だった。近くに置いてあった彼女の自転車も一部が壊れていた。
事故の相手はおっさんで、見ると車の中で呑気に電話をしているではないか。助手席には奥さんらしき女の人も乗っていた。事故の直後、車から降りてきたおっさんは、自分の車のキズが入った部分を見て「修理してくれんといけんぞ!」とキレ気味で言い放ったらしい。
当時は若かったこともあり、怖さと痛みで泣いている彼女を見て頭に血がのぼった私は、運転席の窓を割るくらいの勢いでぶん殴ってやった。
慌てて出てきたおっさんに「怪我人ほっといてどこに電話しとんなら!」と詰めよると、保険屋と話をしてますと。警察は呼んだのか尋ねると、保険屋に言われてこれからだと言う。
そんな悠長な態度にイラついた私は、この後も、先に怪我の具合を聞け!とか、おどれの車の心配はあとにせえ!とか、色々と捲し立てた記憶がある。
警察が到着するも、あんたは関係ないと言われ、思わず「この子の、彼氏じゃ!」とその場しのぎの嘘をついてしまった。二十歳になったばかりで、世間知らずの小娘お嬢さまが、知らない土地で初めて事故に遭ったのだ。どう対処していいのかわかるはずがない。
しかも私という男は、泣いている美女女性を黙って見過ごすことは出来ないのだ。
後々聞いた話だと、この時はものすごく心細かったと言っていた。母親に電話したらしいが、彼女の実家は京都なのだ。簡単に駆けつけられる距離ではない。
そこにヒーローが登場したってわけだ。大切なことなのでもう一度言う。
「ヒーローが登場したってわけだ」
警察の事故処理が終わったあと、病院へ連れて行き、彼女のバイト先に連絡して、あとはそこの奥さんに任せて帰った。
いくら顔見知りとはいえ、あまり深く世話を焼かれても困るだろうと、ちょっとカッコつけてしまったのだ。
後日、菓子折りを持って、居候していた伯父の家に訪ねてきた。いつもは眼鏡をかけて髪を束ねていたり、三角巾?バンダナ?をかぶって働いている姿しか見たことがなかったので、この時の垢抜けた服装とメイクといったらもう……ひと目惚れレベル。
頭を下げる彼女に「いやいや、あの時は彼氏として当然のことをしたまでじゃ」と、軽口を叩いてしまった私に「彼氏ならまたお店に来てください」と、にこやかに返され、それを告白が受理されたものと、私が勝手に勘違いしたことがきっかけで、三年間の交際を経て結婚へとこぎつけたのだ。
だが、それも決して平坦な道ではない。幾度となく壁にぶつかることになる。当時の心境としては「高嶺の花」でございましたよ、うちの妻は。
両親共に教員職で、本人は教育学部に通い、幼少の頃より、ピアノ、バレエ、お花など高尚な習い事と教育を受けてきたお嬢さま。お身内には官僚や自衛官という官の集まり、つまりは公務員一族である。
一方でうちは、祖父が起こしたイベント関連の小さな会社を伯父が継ぎ、親父も私もその会社の役員として働いていた。いわゆる商売を生業としていたのだ。
義両親には「公務員=安定」に対し「商売人=ギャンブル」といった偏見が存在していた。そこに大事な娘を嫁がせるなんてとんでもないことであったに違いない。
京都の実家を何度も訪ね、結婚を認めてほしいと頭を下げた。これが本当にドラマなんかで見ていたのと同じで、最初は門前払いをされ、三回目くらいでようやく玄関まで入れてもらえた。
昔からよく言われているが、京都人の曖昧な言い回しには、建前の向こうに本音が隠されている。
これを汲み取るのが意外と難しい。態度を軟化してもらえたと喜んでいると、反対の意味合いが含まれていることを思い知らされるのだ。
この時の私を、奥さんは健気だったという。私には似つかわしくない言葉だが、短気な私がいつ爆発するかヒヤヒヤしていたみたいだ。そんな私が最後まで殊勝な態度を貫き通したことで「親の反対を押しきってでも」という気持ちになってくれたのだとか。
結果的に、彼女の援護射撃で根負けした義両親の許しを得ることができたのだ。
めでたしめでたし。
ここで、ひとつ思うことがある。それはあの日、うちの妻と事故を起こしたおっさんのことだ。
よくよく考えてみれば、あのおっさんは私たち夫婦のキューピッドなのだ。あの事故がなければ、彼女はいつも通りバイトをして、私はそこで食事をする。ひと言くらいは言葉を交わしたかもしれないが、顔見知り以上の関係には進展しなかったと思う。
当時50代くらいの人だったし、まだまだご健在だと思うので、この場を借りてお礼を言いたい。
「あなたが弓(スーパー)から放った矢(車)は見事うちの妻に命中(衝突)しました。あなたがいなければ可愛い娘たちも、この世に存在していなかったと思います。ありがとうございました」
運命というものは、どこにどう転がっていて、何をきっかけに結びつくかわからない……今、この記事を書きながら、しみじみとそう感じている大島でした。
