「どうして勉強するの?」を考える5 「3人の石切職人」の解釈とマズローの欲求5段階説
しつちよ:皆さん、お疲れ様です。「どうして勉強するの?」を考える第5回目ですね。今まではどちらかというと自分が会社に入るため、地位を得るため、といったような、自分のために学ぶんだという視点で話を進めてきましたが、ここから先は、少し目線を上げて「志」という角度から考えてみたいと思います。
たかし先生:志、ですか。ビジネスの研修や現場でもよく語られるテーマですね。目の前の試験や勉強だけでなく、部活や行事など、あらゆることに取り組む姿勢の土台になる考え方だと思います。
しつちよ:そうですね。
志を語る上で良く出される寓話に「三人の石切職人」というものがあります。ビジネスの研修や現場ではよく語られる寓話ですからご存知の方も多いと思いますが、仕事や勉強だけでなく目の前のことに取り組むときに、思い出してほしい話です。
『3人の石切職人』
旅人が、ある町を通りかかりました。その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、3人の石切り職人が働いていました。そこで旅人は、石切り職人に聞きました。
「あなたは、何をしているのですか。」
すると、1人目の石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、
「見りゃわかるだろ。石の塊を切っているんだよ」
2人目は手を休めずに、
「国中で一番の石切職人になるために仕事をしているのさ!」
と答えました。
3人目の石切職人は、目を輝かせ、夢見心地で空を見上げながら、こう答えたのです。 「ええ、私は今、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。」
どのような仕事をしているかが、その人の価値を定めるのではありません。その仕事の彼方にどのような夢を見ているのか、その志がその人の価値を定めるのです。
みなこ先生:3人目の石切職人のように、自分の作業が誰かのため、社会の何に繋がっているのかを見据えていると、日々の苦労の意味合いも大きく変わってきますね。では、この3人の石切職人の志を勉強に当てはめてみるとどうなるでしょうか。
きりか先生: 1人目の石切職人は「勉強しないと怒られる」「テストでいい点取れればご褒美がもらえる」といった、短期的な苦痛を避ける、短期的な快楽を得るという目的で勉強している状態と言えます。
たかし先生:2人目の石切職人は、「新しいことを知ったりできなかったことができるようになったりすることが楽しい」「テストで点数を取るのが嬉しい」「いい高校、いい大学に行きたい」「一生懸命勉強すれば大企業に入れたり公務員になれたりする」といった、勉強そのものが楽しい、あるいは自分の選択肢を広げたいという段階ですね。
しつちよ:そして3人目の石切職人は、「自分が学んだ知識・教養・スキルを世の中のために活かしたい」と、ご褒美や自分のスキル向上のためだけでなく、世のため人のために学ぶ志高い人です。
これは有名な寓話ですので、会社の入社式や進学校の訓示でよく話されるかもしれません。
この話をする先輩社員や教師の意図は、「君たち、3人目の石切職人のように志高く頑張りたまえ」ということなのでしょう。たしかに、志があれば多少の困難があっても学び続けることができるし、3人目の石切職人は本当に素晴らしいと思います。
みなこ先生:ですが、しつちよの解釈は少し異なるのですよね。
しつちよ:ええ。3人の石切職人とは、それぞれ独立した存在ではなく、仕事や勉強を通して成長していく一人の人間の姿として捉えてもいいのではないかと思うんです。もちろん私の勝手な解釈ですので判断は人それぞれで結構ですが。
勉強にしろ仕事にしろ、まずは自分のために頑張っていいと私は考えています。現実問題として、やりたい仕事に就くために勉強(進学)すれば選択肢が広がるのは事実ですから。生きていくために仕事をする、つまり最初は「自分のため」でいい。お金を稼ぐため、家族を養うため、家を買うため、車を買うため、出世したいからといったように、まずは自分の欲を満たす。やがて仕事というのは、誰かの役に立っていなければ成り立たないということに気づくときがくる。つまり個人が仕事で成果を出すということは結局他者や社会のためになっていると気づく場面です。そうなると、ではこのスキルや知識を人のために使っていこう、という段階が来ると思うんです。
きりか先生:「自分のため」から始まり、やがてそれが他者のため、社会のためへと繋がっていくというプロセスですね。
しつちよ:もちろん、これは私自身のさささやかな人生経験からの解釈でしかありませんので、偉そうに語れることではないですが、やがてそのような境地にたどり着きたいとは思っています。
これは仕事だけでなく、学生時代の部活動や委員会などですでに体験されている方も多いのではないでしょうか。まずは自分が上達すること、褒められること、そのために一生懸命技術を磨くという段階があり、やがて後輩たちのことを考える、チーム、組織のことを考える、運営のことを考える、そういった段階を踏むことで自分自身も成長し、周りのことを考えられるようになっていった経験がある方もいらっしゃるでしょう。自分という存在は決して自分だけのものではなく、自分の成長が組織の成長、ゆくゆくは社会や人類の成長ということにつながっていくのかもしれない。
たかし先生:つまり、いきなり3人目の石切職人になれと言っているわけではなく、まずは自分のために頑張る時代があっていいということですね。自分の経済的安定、心の安らぎを得ぬうちに「人のため」「世の中のため」というのは無理がありますからね。
みなこ先生:しつちよがおっしゃるように、自分の生活がままならないのに、本当の意味で人に優しくすることは難しいですものね。
そこで思い出したのが「マズローの欲求の5段階説」です。
アメリカの心理学者マズロー(1908~70)は、「人間は生まれながらにして、より成長しよう、自分の持てるものを最高に発揮しようという自己実現の動機づけを持つ存在である」という考えを基に人間性心理学を提唱しました。
よく知られているのが「欲求5段階説」です。
すなわち、低次のものから「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」とあり、低次のものが満たされると次の欲求を満たそうとするというものです。

その日食べるものにも困っている状態では、①生きるために食べる、休む、眠るなどの「生理的欲求」を満たすことが重要です。
それが満たされたら、②住まいや衣服、雇用の確保など「安全の欲求」を求めます。
次の段階として、③「社会的欲求」とも呼ばれる、社会の一員として認められることや人から愛されたいという欲求の段階である「愛と所属の欲求」が生まれます。
それが満たされると、④組織内外での地位や名声、権威、人から認められたいという「承認欲求」が芽生えます。
承認欲求が満たされると、⑤自分の持つ可能性を実現して、個人としての能力を発揮したいという「自己実現欲求」の段階を迎えます。
「生理的欲求」「安全欲求」は物理的欲求、それ以降は精神的な欲求です。
また「生理的欲求」から「承認欲求」は欠乏欲求とも呼ばれ、それに対して「自己実現欲求」は成長欲求と呼ばれています。
マズローはこのように、低次の欲求が満たされることで次元の高い欲求に移ると考えました。
きりか先生:まずは自分のことが満たされてから、他人や社会のことを考えるゆとりが生まれるという考え方は、非常に地に足がついていて納得しやすいです。地に足の着いた社会貢献ができるように、まずは自立する必要があるのですね。
しつちよ:そうです。では、「自立」とはどういうことでしょうか。私は2つの「自立」があると考えています。1つは経済的自立。もう一つは精神的な自立。次回、このテーマで話していきましょう。
(※なお、マズローの段階的欲求説に対しては、精神科医のヴィクトール・フランクル(著書「夜と霧」が有名)などが異なる視点を提示しています。フランクルは、人間は飢餓や極限の苦境といった生理的・安全欲求が満たされない環境にあっても、人生の意味や使命、他者への愛といった高次の精神的志向を失わず、むしろそこに希望を見出す存在であると主張しました。人間の動機付けは必ずしもピラミッドの底辺から順番に積み上がるわけではなく、どんな状況下でも志を抱く可能性が人間には備わっているという見解も、あわせて心にとどめておきたい視点です)
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