【聖なる経済学】 贈与文化を学び直す①
訳者コメント:
贈り物をもらった時、決まって言う言葉が、「いや、悪いわ〜」です。お金でも物でも、ぴったり釣り合うだけの対価を渡して、義理が残らないようにするのが「良い」のであって、そうすることで受け取った側は安心できるのです。しかし、この態度は金銭取引にどっぷりと浸かった現代人に特徴的なもので、義理と借金を同じものと感じているのです。また、義理に縛られないことを自由と感じているのですが、実際には義理がコミュニティの人間関係を繋ぐのです。
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第3部:新たな経済を生きる
聖なる経済への移行は、私たちの思考、関係性、そして存在のあり方における、より大きな変革の一部です。経済論理だけでは、この変革を支えるには不十分です。多くの経済思想家が、貨幣と財産に関する数学的に説得力のある革命を考案してきましたが、実際に実現した数少ない例のうち、時の試練に耐え抜いたものは一つもありませんでした。したがって、本書の第3部では、私がこれまで述べてきた新しい貨幣制度に伴う、意識と実践の転換に焦点を当てています。精神と物質の断絶を癒していくにつれ、経済とスピリチュアリティは切り離せないものであることがわかってきます。個人的なレベルにおいて、経済とは、いかにして自らの賜物を与え、必要を満たすかという問題です。それは、世界との関係において私たちがどのような存在であるかという問題でもあります。日々の経済的な考え方や実践を変えることで、私たちはこれから起こる大きな変化に備えるだけでなく、その変化が現れるための土台を築くことにもなるのです。聖なる経済の概念を実践することで、私たちはすべての人々がそれを受け入れやすくし、この世界にそれを迎え入れることができるのです。
第18章:贈与文化を学び直す
恋人たちは、高利貸しのように自分だけの人生を送ってはならない。彼らは最終的に、互いの視線から目を離し、コミュニティへと目を向けなければならない。
―ウェンデル・ベリー
現代において、私たちは金銭のやり取りと贈与を区別してきました。前者は合理的な自己利益の領域に属し、後者は少なくとも部分的には利他的、あるいは無私なものです。経済を二つの領域に分けるこの考え方が映し出しているのは、私たちの文明を特徴づける他の二分法で、そこには、人間と自然、精神と物質、善と悪、聖なるものと俗なるもの、心と体という区別があります。しかし、これらのどれも深く考えれば存在しないことがわかり、〈分断〉の時代が終わりを迎えるにつれ、すべて崩壊しつつあります。ですから、物質と精神の区別を消し去り、すべての物質を再び神聖なものにするのと同じように、自然を超越しようとする努力を諦め、自分たちが自然の一部であることを認識するように、私たちはお金が関わるか否かにかかわらず、人間経済のあらゆる側面に贈与の精神を取り戻すことになるでしょう。
本書で述べられている貨幣進化のあらゆる側面は、お金に贈与の性質を与えます。
1. 長期的には、与えることと受け取ることのバランスが取れていなければなりません。生態系のコストを内部化することで、私たちが与えることのできる以上のものを地球から取ることがなくなります。
2. 贈与の出所は明示しなければなりません。コモンズの回復とは、万人に属するものの利用に対して、万人に支払われる対価によってその利用を明示することを意味します。
3. 賜物は蓄積されるのではなく循環します。劣化する通貨によって、富は所有ではなく流れによって決まるという原則が維持されます。
4. 賜物は最も必要としている人々向かって流れます。社会配当によって、すべての人々の基本的な生存ニーズが満たされます。
したがって、神聖な経済の基盤は贈与の意識にあります。本書の残りの部分では、来るべき世界を育み備えるために、私たち自身の生活の中で贈与の精神を取り戻す方法を探求します。
聖人になって利己心を捨てろと言っているわけではありません。贈与文化はそう単純なものではありません。かつて精神のものとされていた性質を物質に与えることで、私たちは精神にも物質の混沌とした性質を与えようとしているのです。もはや私たちが思い描く精神世界は、完全な秩序と調和と善と正義の場所ではありません。同じように、お金に贈与文化の特徴を与えるなら、贈与の世界はこれまでも、これからも、純粋で無私無欲な世界ではないことを、認識しなければなりません。
ジャック・デリダが次のように特徴づけた、無償の贈与という理想について考えてみましょう。「賜物が存在するためには、相互性、対価、交換、返礼、負債があってはならない。」これは、贈与者に生じるいかなる利益、例えば社会的地位、賞賛、感謝の表明、さらには自分が何か徳のあることをしたという感覚さえも排除することになります。現実生活でこれに最も近い例は、匿名の慈善行為、あるいはジャイナ教の苦行者に差し出される施しでしょう。苦行者は差し出された食べ物に感謝も賞賛も示しません[1]。ジャイナ教の宗教的信念は、無償の贈与と純粋さ、精神性、非世俗性との結びつきに強く関連しています。ジャイナ教徒は、苦行を通して業を焼き尽くし、自らを浄化しようと努めますが、俗世との新たな繋がりを作りません。そのため、彼らは同じ家を二度訪れず招待にも応じないように気を配り、俗世の絆に汚されていない純粋な慈善を受ける予期せぬ客という理想を目指します。
ジャイナ教徒は極端な例ですが、他の世界宗教にも同様の理想が見られます。例えば、キリスト教徒に推奨されるのは、断食、祈り、そして人知れず施しを行うことです。菩薩の道を歩む仏教徒は、すべての生き物の解放に人生を捧げ、自分よりも他者を優先することが求められます。ユダヤ教では、ヘセド・シェル・エメト(最高の慈愛)の原則は、見返りや感謝を期待せずに施しを行うことであり、最高位の施しとは、与える者も受け取る者も、誰が与え、受け取るのかを知らない状態です。匿名の施しはイスラム教の五行の一つであり、大規模なイスラム教の慈善団体は匿名で資金提供を受けています。利他主義と匿名の施しが宗教と結びついていることを読者に納得いただくのに、これ以上多くの例を挙げる必要はないでしょう。
社会的な絆を生み出さない自由な贈与という宗教的な理想は、皮肉なことに金銭取引と非常によく似ています。それは義務も束縛も生み出しません。お金が支払われ、商品が届けられれば、どちらの側も相手に負うものは何もありません。しかし、先に述べたような理想化された真の贈与という例外を除けば、贈与は大きく異なるものです。あなたが私に何かを贈ったなら、私は感謝の気持ちを抱き、今度はあなたに、あるいは社会慣習に従って他の誰かに、何かを与えたいと思うのです。いずれにせよ、義理が生まれ、贈与コミュニティの中で経済循環が続くことを保証します。匿名の贈与はこのような絆を生み出さず、コミュニティを強化することもありません。受け取った人は感謝するかもしれませんが、その感謝には対象がなく、あるのは普遍的あるいは抽象的なものだけです。
さらに、感謝の念は贈与を受けることからだけでなく、それを目にすることからも生まれます。他者の寛大さが、私たち自身を寛大さへと導きます。私たちは寛大な人に与えたいと願います。彼らの率直さ、無防備さ、信頼に心を動かされます。私たちは彼らを世話したいと思うのです。匿名の慈善活動を別にすれば、贈与は社会的な真空の中で起こるものではありません。贈与は自己の輪を広げ、私たちの自己利益をあらゆる人の利益と結びつけます。誰かが必要以上のものを持っているなら、その人が私たちに必要なものを与えてくれるのです。無条件の贈与という宗教的な理想は、その結果として生じる感謝を普遍的なレベルにまで薄めてしまいますが、私たちがすべての存在のコミュニティに自分を重ねたいと願う限りにおいて意義を持ちます。しかし、私は〈分断〉の時代の終焉が、すべて融合した一体の状態であるとは考えていません。むしろ私たちが足を踏み入れるのは多次元的な自己で、すべての存在に自分を重ねるだけでなく、人類、自らの文化、生物圏、共同体、家族、そして自我のそれぞれが、自分なのだと認識することになるでしょう。したがって匿名で何の制約もない贈与が来るべき経済において果たす役割は、重要ではあっても限られたものになるでしょう。
これは原始的な贈与文化に確かに当てはまることです。普遍的で無条件の贈与に相当するものは、神々への供犠という形で確かに存在しましたが、ほとんどの贈与は社会的な性質のものでした。マルセル・モースは、1924年の古典的名著『贈与論』の中で、原始社会に無償の贈与が存在したという考えに強く反論しています。モースによれば、一般的に言って、適切な贈与と返礼は非常に厳密に定められており、社会的承認と非難、地位と追放、その他の形の社会的圧力によって強制されていたのです。これは望ましい状態で、贈与とその期待される返礼から生じる義理と責任は、社会を一つにまとめる糊となるのです。
今日、私たちに感じられるのは、そうした社会的な糊の欠如です。「我と我が物」という論理では、あらゆる義理、あらゆる依存は警戒すべきものです。贈与は必然的に義理を生み出すため、〈分断〉の時代において人々は与えることを恐れ、受け取ることをさらに恐れるようになりました。私たちが贈り物を受け取りたくないのは、誰にも義理を負いたくないからです。誰にも何も借りを作りたくないのです。誰かの贈り物や慈善に頼りたくないのです。「自分で払えますから、結構です。あなたは必要ありません」。そのため、私たちは匿名の慈善行為を崇高な道徳という地位にまで高めます。見返りを求めず何も期待せずに与えることは、偉大な美徳であるとされているのです。
(②に続く)
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注:
1. レイドロー、ジェームズ。「無償の贈り物は友を生まない」、『贈り物の問題:分野横断的なエッセイ』所収。マーク・オルスタイン編。ニューヨーク:ラウトレッジ。(2002年):46-7頁。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-18-relearning-gift-culture/
翻訳メモ:
vulnerability:無防備さ。
