【聖なる経済学】 古い資産の新たな目的
訳者コメント:
国債の長期金利が30年ぶりに3%を超え、日本の財政危機がいよいよ現実味を帯びてきました。本書をここまでお読みの方はお分かりでしょうが、資本主義の行き詰まりは必然なのです。金融資産を保全するために外貨を買うという思考は、沈みゆく船から自分だけでも助かろうとするネズミのようなものです。国破れて山河あり。経済破れてコミュニティあり。そこへ投資しておくべきなのです。
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古い資産の新たな目的
「大金持ちは貯め込んだ莫大な資産をどうするのか」という問いは、より広い問いへと繋がります。すなわち、私たちは社会として、何千年にもわたって蓄積してきた富をどう扱うべきか、という問いです。そもそも、この富は一体何なのでしょうか。実際には「先送りしておいた消費」でないのなら、あるいはもうそれが成り立たなくなったとしたら?
お金の本質についても改めて考えてみましょう。蓄積した膨大なお金の中に、蓄積されているものとは一体何なのでしょうか。お金とは、人間の意図と活動を調整するための儀式的な護符です。お金を蓄積した者は、社会の労働を集中させ組織化する手段を、思い通りに使うことができます。お金の増加は、お金に取り込まれていない領域を犠牲にして初めて成り立ちますが、お金を使えばその領域を回復させることができます。ただしそのためには、社会や自然のコモンズのさらなる商品化を目的とした投資でないことが必要です。お金を使って、森林を皆伐するための伐採機械を購入することもできますが、同じお金を使って、その森林を保全し、守ることもできます。前者の使い方がお金を生み出すのに対し、後者の使い方はお金を破壊します。なぜなら、そこでお金は新たな財やサービスを生み出さないからです。どちらにしても、蓄積されたお金は、大規模な人間活動を調整する能力を与えてくれます。
何世紀にもわたる搾取によって蓄積された富の上に座っているというイメージは、ベビーブーム世代〔1946~1964年生まれ〕にとって特に意味深いもので、私たちの文明の絶頂期に成人した最後の世代です。彼らの片足は旧世界にあり、もう片足は新世界に立っています。彼らの多くは旧世界の富の山から恩恵を得ていますが、彼らはまだ若いため、意識は新世界と調和するように変化しています。しかし、かつてジェネレーションXと呼ばれた私の世代〔1960年代半ばから1970年代生まれ〕は違います。私たちの多くは、教育を受けた家庭出身であっても、旧世界に足を踏み入れたことがありません。私たちが成人する頃までに、旧世界はあまりにも明らかに破綻していたため、そこで富を築く気にはなれませんでした。1960年代や1970年代に成人した人にとって、「上昇の企て」を信じることはまだ可能でした。宇宙を征服し、原子を征服し、全宇宙の支配者となって、前進し上昇し続けるという「人々の物語」に、全面的に参加することはまだ可能でした。もし私が1967年ではなく1957年に生まれていたら(あるいは、もし父が10代の私に『沈黙の春』、『1984年』、『アメリカ人民の歴史』を読ませていなかったら)、私は「プログラム」されたとおりに、今頃はどこかの大学で数学の教授になっていたでしょう。しかし、そうはなりませんでした。私が80年代に成人する頃には、私たちの「人々の物語」はもう魅力を失っていました。私を含め何百万人もの人々が、社会から根本のところで脱落しました。もちろん、これはかなり大雑把な一般化ですが、50年代と60年代の子供たちがマイクロソフトで億万長者のプログラマーになったのに対し、70年代と80年代の子供たちはLinux〔無料OSの代表格〕で遊んでいる、と言っても過言ではないと思います。マイクロソフトの億万長者たちに道徳的な欠陥があると指摘するわけではありません。彼らの時代には、活動的で先見の明のある20代の若者が、商用ソフトウェア業界で起こっていることに興奮することはまだ可能だったのです。政治、学問、芸術、科学、医学など、あらゆる中心的な制度についても同様です。もちろん当時でさえ、〈上昇の物語〉の必然的な結末は、物事を見通す目を持つ者には明らかでしたし、何千年にもわたり神秘主義者たちには分かっていたことです。しかし多くの人々にとって、危機はあまりにも遠い未来のことであり、人間による支配というイデオロギーがあまりにも深く根付いていたので、上昇の企てへの全面的な参加から目をそらすことはできませんでした。
私がここで述べる社会動態は、ある意味ではアメリカ中心の現象ではありますが、新たな時代の幕開けを迎えようとしている世界全体に当てはまるものだと考えています。アメリカのベビーブーム世代と同じように、世界は1万年にわたる文化とテクノロジーの集大成である莫大な富の上に成り立っています。私たちが手にしたのは、強大な産業インフラ、道路や飛行機、そして既に何世紀にもわたり存在する巨大な装置が、人類の領域拡大と自然征服に捧げられてきました。今こそ、分断と支配と統制の道具を再合一に、世界の癒しという目的に向けるべき時なのです。裕福なベビーブーマー世代や過去の富を相続した人が、その富の起源が何らかの形で汚れていることを気にすることなく、美しい目的に富を向けることができるのと同じように、私たちにも地球の支配によって蓄積してきた果実を美しい方法で活用する機会と責任があるのです。これは遺伝子工学や核分裂といった、コントロールの計画を傲慢の極みにまで高めた、最も凶悪で搾取的な技術にも当てはまります。利子の時代、すなわち成長の時代において、あらゆる新技術の原動力は、自然や社会の富をお金に転換するための新たな領域を切り開くことでした。遺伝子工学がゲノムを搾取可能な天然資源へと変えたのは、蒸気機関が深層炭の採掘を可能にし、鉄製の鋤が重い土壌の耕起を可能にしたのと同じです。では、テクノロジーが地球の健康回復という正反対の目的に向けられたとき、それはどのような姿になるのでしょうか。
人類全体が、過去数十年の間に多くの人々が経験してきたような意識の変容を経て、マトリックスから解放された時、私たちは利益追求のためのテクノロジーをどのような目的に利用することになるのでしょうか。人類がもはや自らの領域を拡大する義務を負わなくなった時、私たちは集合的な創意工夫と、長年にわたって蓄積されてきた知識、情報、テクノロジーを、生態系、つながり、そして癒しの意識に沿った目的に向けるでしょう。これはテクノロジーが変化しないという意味ではありません。今日主流となっているテクノロジーは用途が限定的になる一方で、今日軽視されたり嘲笑されたりしているような、これまであまり注目されてこなかったテクノロジーが前面に出るようになるでしょう。
蓄積されたテクノロジーであれ、蓄積された資金であれ、私たちが心に決めたいと望むのは、それを旧来のやり方、つまり自然からのさらなる分断や、さらなる金融資産の獲得のための道具として使わないことです。だからこそ、私が提案するのは「お金を使ってお金を破壊する」という概念なのです。これはつまり、元々お金を生み出した、自然と社会と文化と魂のコモンズを回復し、保護するためにお金を使うということです。これがもたらす影響は、崩壊を早め、その深刻さを緩和することです。高利貸しのお金は、「成長するか死ぬか」という命令に支配されています。社会資本や自然資本のうち、私たちが商品化の対象から除外したものが、高利貸しのお金の終焉を早めます。「獣を飢えさせる」のです。金銭化された商品やサービスが拡大できる領域は縮小します。一つでも森林が木材にされるのを防ぎ、一か所でも土地の開発を防ぎ、一人でも自分自身や他者の癒し方を教え、一つでも先住民文化を文化帝国主義から隔離するなら、お金が植民地化する場所が一つ減ることになります。自由主義者や改革派の努力は、金融マシーンの前進を止める力がなかったとはいえ、無駄ではありませんでした。例えば汚染規制は、少なくとも大気の一部がお金に転換されるのを防ぎました。労働基準は、少なくとも労働者の幸福の一部がお金に転換されるのを防ぎました。反戦運動は、戦争ビジネスの収益性を低下させました。環境保護、労働者擁護、反戦政策に対する右派の批判は当たっています。それらは経済成長を阻害するのです。もし私が先住民の文化圏に行き、自給自足農業は下品で原始的だと人々に説得し、代わりに工場で働いて市場経済に参加するように促せば、GDPは上昇します(そして私は「投資機会」を作り出したことになります)。一方、もし私が人々に、高給の仕事を捨てて「土地に戻る」よう促せば、GDPは低下します。もし私が作るコミュニティでは、もはや子供の保育料を払わず、代わりに互いの子供を助け合いで世話するなら、GDPは低下します。もし私たちがアラスカの北極野生生物国家保護区を石油掘削から守ることに成功すれば、何百億ドルもの資金が無駄になります。これが、お金を使ってお金を破壊していると言う理由です。時には、親方の道具で親方の家を崩壊させることもあるのです。
別の見方をすれば、こうした共有財産の一部を守ろうとする努力は、新たな世界への変革が具体化する前に私たちが落ちなければならない「どん底」を浅くするものだと言えるでしょう。私は依存症からの回復という言葉を意図的に使っています。高利貸しの力学は依存症の力学と同じで、普通の状態を維持するために(コモンズの)使用量をますます増やす必要があり、幸福の基盤をどんどんお金に変えて、渇望を癒やそうとします。もし依存症の友人がいるなら、いつものような「援助」を与えても何の役にも立ちません。お金や、事故を起こした車の代車、失った仕事の代わりとなる仕事など、そうした資源はすべて、依存症というブラックホールに吸い込まれてしまうだけです。政治家たちが成長の時代を長引かせようとする努力も、同じことです。
何世代にもわたり善意の人々が積み上げた努力のおかげで、私たちは神から授かった遺産の一部を今もなお持っています。土壌にはまだ恵みが残っており、あちこちに健全な森林が点在し、海の一部にはまだ魚が生息し、健康と創造性を完全に手放していない人々や文化が今もなお存在します。この残された自然と社会と魂の資本こそ、私たちがこの変革期を乗り越え、世界を癒すための基盤となるのです。
あなたが投資家ならば、今こそ、人脈の構築、感謝の念の醸成、そして共有財産の回復と保護に全力を注ぐべき時です。富の保全という考え方はもはや時代遅れです。富の保全と聞いて思い出すのは、ネズミの群れが沈みゆく船のマストのてっぺんを目指して互いによじ登る光景です。そんなことをするより、みんなで協力して残された破片を集め、航海に耐えうる筏を建造すべきなのです。私たちの行く先には長い航海が待っています。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-20-right-livelihood-and-sacred-investing/
