【聖なる経済学】 贈与の中でのビジネス
訳者コメント:
ギフト経済を現在のビジネスに導入することは可能でしょうか。究極的には支払額をお客が決定することですが、著者が提案するのは、請求書の金額に、お客の側が指定できる「感謝の額」を導入することで、これはアメリカのレストランでお馴染みの「チップ」と似たような感覚です。
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贈与の中でのビジネス
このモデルを他の種類のビジネスに当てはめる前に理解しておきたいのは、贈与の中で働く上で最も根本的な違いは、お金の扱い方ではないことです。より重要なのは、その仕事の背後にある意図です。その仕事自体が、贈与の精神、すなわち世界の向上と美のためにという考えから出たものでしょうか。それとも、お金を稼ぐための手段に過ぎないのでしょうか。自分自身や家族を養うためにお金を稼ぐことを恥じる必要はありませんが、心と状況が許す限り、ほとんどの人はより大きな善のためにも働きたいと願っています。そのような仕事こそ、贈与経済の中で行われるのが自然の流れです。しかし、多くのビジネスにとって理にかなっているのは、従来の「サービス対価」モデルに従って運営し、その傍らで割引を提供したり、プロボノ活動〔専門家の無償奉仕〕を行ったりすることかもしれません。
今日では、すでに多くの企業が創造的な方法でギフト経済を実践しています。私は自分のモデルが贈与の生き方の最善の方法、あるいは唯一の方法だと主張しているわけではありません。私たちは新しいタイプの経済を開拓しつつあり、それを正しく行うには試行錯誤が必要になるでしょう。これから紹介する人々の事例は、ビジネスを行う上で私が議論したギフトの主要原則の1つまたは両方に従っています。その原則とは、(1) 贈り主ではなく受取人が「価格」(返礼)を決定し、(2) 返礼は最初のギフトを受け取った後に選ばれ、受け取る前に選ばれるのではない、というものです。
「贈与経済」が最も自然に適用されるのは、間違いなくデジタルコマース(電子商取引)の分野です。なぜなら、楽曲、映画、書籍、ポッドキャスト、ソフトウェアといったデジタルコンテンツの場合、最初の一つが作られた後の追加生産コストはほぼゼロに近いためです。供給が実質的に無限である場合、通常の市場の力学は当てはまりません。価格設定は恣意的なものに過ぎないのですから、それを「贈り物」として提供してみてはどうでしょうか。受け取った人が、感謝の気持ちやクリエイターを支援したいという思いに基づいて、価格を決めるようにすればよいのです。
私や私がアドバイスしている人々は、このやり方のほうが、機能制限や広告だらけの無料版など、人為的に課金の壁を設けようとする試みよりも効果的だと感じています。そのような手法は顧客との間に敵対的な関係を生み出してしまうからです。私のオンライン講座では、受講者がいくら支払っても(あるいは全く支払わなくても)、すべてのコンテンツを確実に利用できるようにしています。「有料コンテンツ」や有料会員限定の特典といったものは一切ありません。そこに込められた暗黙のメッセージは、「この講座に感謝してくださるなら、この活動を支援して頂けると信じています」というものです。
もちろん、インターネット上でこのようなことをしているのは私だけではありません。インターネットには贈与で提供されているものが溢れています。主要な生産性ソフトウエアのほとんどは、無料版が利用できます。私は、もっと多くのミュージシャンやプログラマー、その他のクリエイターにも、このモデルを取り入れてほしいと思います。そうすれば、支払いが困難な人々も、支払う余裕のある人々からの支援によって豊かさを享受できるようになり、「皆が互いに支え合う」という精神と現実が育まれていくのです。
「でも、経費の請求書があるじゃないですか」という反論が聞こえてきそうです。私たちが乗り越えなければならない思考の習慣は、例えば何かを制限するといった強制がない限り、人は与えるわけがないというものです。献金が真摯なものであり、寄付の機会が友好的で、公正で、罪悪感のないものであるとき、その結果が裏付けるのは「与えることと頂くことは釣り合うように向かう」という真実です。
多くのバンドがオンラインで「無料」の音楽も提供しています。録音音楽における贈与ビジネスモデルの最も注目すべき先駆者はレディオヘッドで、2007年のアルバム『イン・レインボウズ』を「価格一任制」でダウンロード販売しました。ダウンロードした人の約3分の2は全く支払いをしませんでしたが、数十万人が数ドルを支払い、iTunesやCDなどのルートを通じてさらに数百万枚が購入されました。批評家はこの成功をレディオヘッドの象徴的な地位が可能にした例外的なものとして片付けましたが、この基本的なモデルが普及を続けているのは、特に音楽業界でほとんどのバンドにとって従来の流通チャネルがますます現実的ではなくなっているからです。
デジタルではない商品の場合、贈与型のビジネスモデルはもっと複雑になり、より大きな「信頼」が求められます。とはいえ、成功例は数多く存在します。私の妻ステラは、他の多くの治療者や治療センターと同じようにギフト制で施術を行っています。
寄付モデルはレストランにも応用されています。2003年から営業しているソルトレイクシティのワン・ワールド・カフェ〔2012年に閉店〕、2008年から営業しているデンバーのSAME(So All May Eat:誰もが食べられるように)カフェ、2009年にオープンしたニュージャージーのア・ベター・ワールド・カフェ、バークレーのカルマキッチンなど、多くのレストランが寄付のみで運営されており、その多くはオーガニック食品を提供しています。他にも数え切れないほどあるので、ここで全てを挙げることはできません。インターネットで「Pay What You Want〔PWYW=支払いたい分だけ支払う〕」のレストランを検索してみてください。
驚くべきことに、料金を自由に決められる仕組みを十年以上にわたりビジネスに取り入れている法律事務所さえ存在します。シカゴに拠点を置く訴訟専門の法律事務所、ヴァロレム・ロー・グループは、請求書に「金額調整」欄を追加しました。請求書の下部、空欄になっている「合計金額」欄の上に、「金額調整」と書かれた欄があります。依頼者はそこにプラスまたはマイナスの数字を記入し、最終的な料金を決めます。この事務所には感服するばかりです。なぜなら法律尊重主義の観点から言えば、この方法は本当に常軌を逸しているからです。誰かが請求額を全額「調整」して何も支払わないことも可能であり、その場合、事務所にはおそらく法的手段は何もないでしょう。
デジタルではないビジネスを「贈与」という形で運営する方法について、私はどこにでも通用する公式を示すことができません。一つのやり方として、直接費用のみを賄うために料金を請求するという方法があります。これには限界費用と配分された固定費が含まれますが、埋没費用〔原価〕は含まれません。ですから例えば、誰かのために配管工事をする場合、請求するのは材料費(利益はゼロ)、現場までの燃料代、そしておそらく設備投資(トラックローン、事業ローンなど)の半日分の支払額でしょう。明示されるのは、あなたの時間、労力、専門知識が贈り物だということです。請求書には合計費用が記載され、その下に「贈り物」と書かれた空白行、さらにその下に「合計」と書かれた行が続くでしょう。
このモデルの変種として、ヴァロレム式に倣って市場価格を反映した通常の料金を表示し、その下に「価値調整」または「感謝調整」と記した行を作る方法があります。ほとんどの人は市場価格を支払うでしょうが、作業内容に特に満足した場合や不満があった場合は、料金を調整できることを説明できます。
もう一つ方法としては、料金を一切請求せず、「材料費」「事業経費の按分額」「労働時間」「このサービスの市場価格」など、さまざまな項目を明記するという方法があります。こうすれば、受け取った側は材料費も含めて一切支払わないという選択肢もありますが、少なくともこうした情報は得られます。この情報が先に述べた「贈り物の物語」です。伝統的に、しばしば贈り物に添えられていたのは物語で、受け取った側がその価値を理解するのに役立つのです。
贈与ビジネスモデルは、あなたが想像するほど標準的な商慣行からかけ離れているわけではありません。今日あたりまえの交渉戦術は、「原価はこれだけですから、これ以上値引きできません」と言うことです[3]。ならば、「原価はこれだけですから、あなたが受け取ったと思う価値に応じて、もっと支払っていただいても構いません」と言うのも、それほど大きな視点の転換ではありません。多くの場合、顧客はあなたが提供する商品やサービスの市場価格をかなり正確に把握しているでしょうから、ビジネス関係に本当の人間味が少しでもあれば、おそらくその価格に近い金額を支払うでしょう。もし顧客が基本コスト以上の金額を支払った場合、それは感謝の気持ちの表れと解釈できます。誰かがあなたの与えたものに感謝していれば、あなたはもっと与えたいと思うでしょう。もしその人が感謝を感じていなければ、贈り物が十分に受け入れられていないことがわかり、おそらくあなたはその人に二度と贈与をしないでしょう。
これを取引関係に当てはめるなら、原価からほとんど、あるいは全く上乗せしてくれない相手とは二度と取引をしないということであり、お金という形で感謝の気持ちを表明してくれる相手と優先的に取引をするということです。これは当然のことです。私たちの贈り物を他の人より必要としている人がいるのです。あなたがパンを持っているなら、お腹を空かせている人に分け与えたいと思うでしょう。感謝の気持ちを表すことは、贈り物を最も効果的に形にする方法へと私たちを導いてくれます。ですから、現代と同じように、将来の企業は最も多くのお金を支払ってくれる相手と取引をするようになるでしょう(とはいえ、金銭以外の感謝の表現も影響を与える可能性があります)。これは、最安値を提示する相手と取引をする傾向とは異なります。この違いが重要なのです。贈与の精神に沿うなら、価格が事前に提示されることはありません。まず贈り物が贈られ、受け取った後に初めて返礼の贈り物が贈られるのです。
このやり方と、利他主義や「反復囚人のジレンマ」問題に関する様々なゲーム理論的研究との間には、類似点があることに気づかざるを得ません。この問題の背景については、ウィキペディアで「しっぺ返し戦略」を検索してみてください。基本的に、協力と裏切りに対する報酬が異なる相互作用が、個別の主体間で繰り返される多くの状況で、最適な戦略は、最初は協力し、前回協力しなかった相手にのみ報復することです。同様の推論から、私が概説したビジネスモデルは、標準モデルよりも長期的に見て経済的な勝算が高いと考えるようになりました[4]。
現代において「贈与」という概念は私たちにとって馴染みの薄いものとなっているため、贈与という形でビジネスを行うには、時に多少の啓蒙が必要となります。私が気付かされたのは、「寄付制」と告知したイベントが軽視されてしまうことで、それは人々が「料金がかからないということは、それほど価値のあるものでも重要なものでもないに違いない」と考えるからです。その結果、時間に遅れて来場したり、あるいは来なかったり、来たとしても期待値が低くなってしまうのです。料金を支払うことは、無意識の心に対して「これは価値のあるものだ」「私は本気で取り組んでいる」というメッセージを送る一種の儀式のようなものです。私を含め、多くの人々が模索を続けているのは、贈与の精神に忠実でありながら、支払いのメリットをより効果的に引き出す方法です。私たちは新しい時代の幕開けにいるのですから、実践と試行錯誤を重ねていく必要があるでしょう。
もちろん、本書を執筆している時点で、ほとんどの企業や経営者は贈与に基づくビジネスモデルに移行する準備ができていません。でも大丈夫です。少し後押ししてあげましょう。例えば、楽曲、映画、ソフトウェアなどのデジタルコンテンツを違法にダウンロードしたりコピーしたりして、彼らの製品を「盗む」ことで、このモデルを一方的に導入すればいいのです[5]。そして、その制作者に感謝の気持ちが湧いたら、いくらかお金を送ってあげましょう。この本にも同じようにしていただければ、私はとても嬉しいです。ただし私は通常の著作権を主張していないため(著作権ページをよく読んでいないかもしれませんが、一般的な文言ではありません)、違法に行うのは難しいでしょうし、無料で全文をオンラインで読むことができます。それでも、もしあなたがこの本を「盗む」ことができたなら、私や出版社があなたにとっての価値として想定している金額ではなく、あなたの感謝の気持ちを反映した金額をいただければ幸いです。読書体験は人それぞれで、ある人にとっては時間の無駄かもしれませんし、別の人にとっては人生を変えるような体験になるかもしれません。全員から全く同じ返礼を頂戴するなんて、ばかげていると思いませんか。
注:
3. もちろん、実際のコストは通常、公表されるよりも低く、合意に至らない場合は、遊休設備や従業員の固定費などの他の要因も入ってきます。
4. これらの原則は、取引関係がコミュニティの中で行われている場合にのみ通用します。すべてのやり取りが見知らぬ人との単発的な取引である場合、贈与モデルはあまり実効性がありません。古代の贈与文化においても、これは概ね当てはまりました。物々交換が行われるのは見知らぬ人同士の間でした。しかし私の見るところ、ほとんどの人が単発的な取引であっても贈与の精神を尊重しています。私たちは皆、全てを包んだコミュニティの一員であり、私たちの贈与が、たとえ匿名のものであっても、そのコミュニティの注視のもとで行われていることを、私たちは確かに感じているのではないでしょうか。
5. この行為は、ダウンロードしたファイル1件につき5年の懲役および15万ドルの罰金に処される可能性があるため、もしこれを行う場合、「私がそう言った」と言わないでください。私が財産に対する犯罪をそそのかしたなどと誰にも言わせないでください。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-21-working-in-the-gift/
