第4話:身近な人の死が、人を成長させる
※この記事は、関係者への配慮から、時期や状況の一部を変更して書いており、死別に関する描写が含まれます
『人が本当に亡くなるときは、その人を忘れてしまったときだ』
突然の別れが訪れると、大事な人と過ごした毎日が当たり前ではなかったことに気づきます。
タイのイサーン地方と呼ばれる東北部の現地農場で1年半働き、そのあとはバンコクにて生産した野菜を販売していました。
バンコクで働いたその会社は、今はありません。
その会社を経営していた代表の方が亡くなってしまったからです。
ビジネスのことを何も知らなかった私に、毎日朝から夜まで仕事をしながら、ビジネスのイロハを教えてくれました。
今は、バンコクで自分の会社を経営して5年目になりますが、その方がいなければ、ここまで継続することはできなかっただろうなと思います。
代表の命が、目の前で少しずつ小さくなっていく感覚。
生きているのに、もう話をすることができない虚無感。
『死を乗り越える』
よく聞く言葉ですが、実際に目の前で起こったとき、それを簡単には受け入れることができない自分がいました。
なぜなら、今もまだ心の中で生きているからです。

ガタッドンドン。
オフィスの1階で物音と悲鳴が聞こえました。
いつもなら従業員が退社する時間、オフィスには誰もいないはず。
下に降りてみると、代表と従業員が残って仕事をしていましたが、どこか様子がいつもと違う。
よく見ると、代表がそこに倒れていました。
痙攣が起きていたような気がします。
どうしたら良いのか分からない。
すると、従業員がジェスチャーを交えて、こう叫びました。
『CPR!!』
どこかで勉強しただけの心臓マッサージ。
記憶にある限りのことをしました。
右の手を胸の真ん中に当て、左手を重ねる。
体重をかけて、一定のリズムで、胸を押す。
すると、代表は息を吹き返しました。
すぐに名前を呼びます。
でも、目の焦点があっていない。
息をすることがとても苦しそうで、意識がまたなくなりました。
その度に心臓マッサージをし、息を吹き返しては名前を呼ぶ。
どれくらい経ったのか覚えていません。
遠くからサイレンの音。
救急隊員が到着し、彼らが心臓マッサージを行いました。
ずっと続けていたせいか、代表の胸の真ん中は少し紫色に。
私の手もジンジンと脈打っているのが感じられました。
その後、救急車で病院に搬送されました。
緊急手術の後で告げられたのは、
「もう目を覚ますことは、難しいと思います。」
という一言でした。
今日の朝まで普通に会話していたのが嘘のようです。
会社の仕事を一緒にしながら、事業の組み立て方や始め方、従業員との向き合い方まで教えてくれた人と話すことはもうできない。
その事実が、突然目の前に現れ、受け入れることを迫ってきました。
そして、目を逸らしても現実からは避けられない。
その日は、全員帰宅すべきとの判断で解散となりました。

家に戻っても事実を受け入れることはできませんでした。
目を覚まさないと言われても、もしかしたら代表のことだから、奇跡が起きるかもしれない。
起きて、あの豪快な笑い声をまた聞かせてくれる。
そんな期待を持っていました。
ですが、病院に搬送されてから3日後に、亡くなりました。
全ての器具が外されて、穏やかな姿の状態で対面することになりました。
月並みな言い方ですが、本当に今にも起きてきそうな気配すらあります。
死を乗り越える。
折り合いをつける。
糧とする。
どの言葉で説明してみても、自分を支えてくれるほど強いものなどないことを知りました。
目の前にいる人と話すことは、もう一生できない。
そして思い出しているのは、その人と自分が今まで一緒に生活してきた場面。
私は代表の死とどう向き合ったのか。
今でも、乗り越えたという感覚はありません。
強いて言うなら、共に生きていくことに決めた、という表現が正しい。
乗り越えず、避けるわけでもない、ただ忘れない。
なぜなら、私は生きているから。
自分が生きているうちに、代表の教えや学んだことを生かして、事業を続けていく。
そしていつか、
『自分がここまで来られたのは、代表がいたからだ』
と、誇りに思える日が来るまで、生き続けよう。
そう誓いました。

そこには、お気に入りの服を着て綺麗な状態で眠っている代表の姿がありました。
最後のお別れ。
代表への感謝と会社を残すことができなかった申し訳なさを抱えながら、柩が火葬場に入っていくのを見ていました。
会社は、存続させることが難しく、廃業することが決まりました。
私は、ただの従業員だったのでどうすることもできませんでした。
そして、全ての業務が終了し、私も次の仕事を探さなければなりません。
タイに来てから現地農場で1年半、バンコクで1年半。
計3年の月日が経っていました。
その間、日本に一度も帰国していなかったこともあり、両親から
「一度日本に帰って来たらどう?」
と言われていました。
『確かに、現実的に考えれば日本に戻るべきだよな』
そんな言葉が脳裏によぎります。
でも、一方で、こんなことも考えていました。
『この3年で自分は何をしてきた?』
言葉を話せるようになった。
事業の作り方を学ぶことができた。
でも、自分で一から会社を作って、ビジネスをしたことがない。
『農家さんの笑顔のために働きたい』
そう思って、従業員として仕事をしてきたけれど、今なら自分のビジネスを通してそれが可能になるかもしれない。
そう思いました。
そして、電話越しに両親へ向かって
『ごめん、まだ帰れない
まだ、ここでやり残したことがある。』
そう告げていました。
そこから私は会社を作ることになります。
ですが、ここで世界が変わってしまう出来事が起こります。
そうです、コロナの時期です。
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