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第3話:届いたのは言葉ではなく、想いだった

『言葉がうまく伝わらなかったとしても、たった一人から認められたことが何より嬉しかった』
新しい国で現地の言語を覚えるとき、挫けそうになっても、現地の人の励ましや何気ない会話が支えてくれました。

人生2回目のタイは、2017年6月。
大学を卒業した後、2年2ヶ月のタンザニア活動、そして日本に帰国して3ヶ月後にタイで仕事をすることに決めました。

『いつかタンザニアへ戻る』

そのために選んだタイでの仕事。

タンザニアとは異なる気候、文化、宗教、そして新しく覚える言葉と方言。
現地の農家さんとビジネスを通して向き合う難しさ。
タイが抱える格差とすぐには解決できない問題の数々。

タイの現地農場で過ごした最初の1年半は、野菜を生産しながら、雇用を生み、それを継続することの大変さを知りました。

今振り返れば、努力と諦めない気持ち、そして一人の農家さんの理解があったからこそ乗り切ることができたのだと思います。

ですが、タイに着いたばかりの私は、タイ語を話すこともタイの文化や習慣も全く知りませんでした。
ここから始まる1年半は、農業ビジネスだけでなく、言葉を通して人と向き合う日々の始まりでした。


赴任当初は言葉が分からず、一人で農作業する毎日



現地農場を管理する日本人のSさんと合流。
タイ人の農家さんとも再会を果たしました。

「帰ってくるような気がしていたわ」

と、Sさん経由で翻訳してもらい、ここでの生活が始まったことに気持ちが高ぶりました。

農場では、バンコクへ野菜を送る作業と、野菜を栽培する作業を毎日朝から夕方まで行います。

農作業そのものは、言葉がなくてもできますが、管理するとなれば、

『何を、どこで、どれくらい栽培するのか。
栽培計画を立て、農家さんに伝えて、問題が起きたら対処する。』

常にタイ語でやりとりをして、細かい指示を出さなければなりません。
つまり、タイ語を話せない、ということは、農場を管理できない、ということと同じでした。

赴任した当初は、現地のやり方に慣れるため、農作業をする側でも問題はありませんでしたが、その仕事は農家さんでもできること。

やはり、仕事としては指示を出す側になる必要があります。

まだ言語が上達していないときは、図に書いて説明したり、辞書であらかじめ作成した文章で伝えたり、工夫次第で何とか乗り切ることはできましたが、突発的な問題の対処にはやはり言語力は必須

早くタイ語を上達しなければと思い、日中の農作業はタイ語でやりとりし、夕方はご飯屋さんやローカルな市場へ行ってタイの方と話しをする。

夜は、自宅に帰ってきて、ひたすら単語を書いて覚え、タイ語を聞き流しては耳から音を入れて、声に出しての繰り返し。

自分は、語学が上達するまで時間がかかることを知っていたので、とにかく反復することに時間を使っていました。

ですが、話せない、聞き取れない、という日が続くと気持ちが落ち込んでくる時もあります。
それでも、自分にできることは限られていて、同じことを積み重ねる粘り強さと諦めない気持ちで毎日を乗り切っていました。


気持ちが酷く落ち込んだときは、タンザニアでの生活を思い出していました。

なぜならタンザニアの時も、現地の言葉を話せるようになるまでが一番辛く、その気持ちを抱えながら、話し続けた先に現地の人と会話することができる、と経験的に分かっていたからです。


仕事では、言葉の問題から農場の管理を任されることはありませんでした。
その悔しさもあり、前にも増して、外に出ては現地の人にひたすら話しかけに行く毎日。

気づけば、タイに着いてから半年が経過していました。


言葉が分からなくても一緒に農作業をするようになる



「日本の人がこんな田舎で生活してくれてとても嬉しいよ、タイには慣れたかい?」

『あーマイペンライ』

「いつもこのメニューを注文するよね?日本人は好きな味?」

『あーマイペンライ』

どれだけ勉強を重ねても、会話が上達せず、返すことができるのは、「問題ない」という意味の「マイペンライ」という単語だけ。

そして、会話が続かないことが分かると現地の人はみんな去ってしまう。

タンザニアでも同じ経験をしていたので、話せるようになるまでの過程の一部であることは知っていました。
ですが、タンザニアとタイでは、言語の発音が異なり、タイ語の方が難しい。

タイでの生活が半年を過ぎても、全く聞き取れず、聞き取れないから話せない、話せないから会話が成立せず、気持ちが落ち込む。
気持ちが落ち込むと、人に話しかける気力もなくなっていきました。

そんなある日、一緒に働いている農家のおじさんが

「Sさんはタイ語があんなに上手なのに、君は半年経ってもまだまだだね」

笑いながらそう話す彼の冗談に、笑えない自分が心の中にいることに気づきました。

道ゆく人からの言葉ではありません。
半年間、毎日一緒に働いてきた人からの言葉でした。
だからこそ、その一言は重く感じました。

結局、その日は誰とも会話を交わすことなく仕事を終えました。

その日の夕方、農家さんの中のリーダー格の女性の方と話す機会がありました。
その方だけは、いつもゆっくりと話しかけてくれて、私が理解できるまで同じ単語を繰り返すなど、いつも気にかけてくれる人でした。

その日も、

「夕飯は食べたの?」

と言葉をかけてくれましたが、おそらく落ち込んでいる私に気づいたのだと思います。
私が何かを言う前に、

「大丈夫。あなたはタイ語が上手くなっているわ。」

その言葉だけを何度も繰り返し伝えてくれました。

『この人ともっと話がしたい、そしてちゃんと感謝を伝えたい。』

それだけを目標に、タイ語をもっと話せるようになろうと、気持ちを持ち直しました。

そして、農場の管理はまだ任されることなく、1年が経とうとしていました。


農家さんの子どもからタイ語を教えてもらう



「都市部まで行って、資材を買ってきてください」

Sさんにそう頼まれて、車で1時間かけて都市部まで農業資材を買いに行きました。
買い物も終わり、農場へ戻るとき、電話が鳴りました。

電話の相手は、子供を持つ女性の農家さん。

「今どこにいる?」

『まだ市内にいるよ、これから帰るところ』

「実は子供の教材を買いに行って欲しいのだけど、頼める?」

『いいよ、写真を送ってくれますか?』

「後で写真送るね、ありがとう」

この会話だけは、とてもハッキリと覚えています。
タイ語で会話しているのに、頭の中では単語の意味を日本語に変換することなく文章として理解できた瞬間だったからです。

そして、驚くほど冷静だった自分がいました。

『いま会話ができていたな』

その時は、1年間一緒に仕事してきた農家さんだから、だと思いました。
でも、初めて入った市内のご飯屋さんでも、

「どこから来た人?
タイ語うまいね!」

と言われ、

『それほどでもないよ』

と笑って返せるようになっていました。
農場に戻り、買ってきた教材を農家さんに渡しました。

その人が、私を見て

「ありがとうね、ところで何か嬉しいことでもあった?
良い顔してるよ」

電話の件があってから、劇的にタイ語が話せるようになったわけではありません。
それでも、会話が成立したという経験が、自分に自信をもたらしてくれました。

その日を境に、いろんな人に話しかけに行くことが多くなりました。
相変わらず、言葉が通じないときもあります。
でも、

「タイ語上手だね」

「話せるようになったね」

と言ってもらう機会が増えました。

私の場合は、語学に費やしてきた時間が報われて、急に話せるようになったわけではありません。
それでも、本気で向き合ったからこそ、言葉が通じたときの喜びは、とても大きなものでした。

そして、農場に赴任してから1年。
タイ語も話せるようになったということで管理も任されることになりました。

ですが、農場で過ごす時間はそれほど多くないことを知りました。


いつも親身になってくれたリーダー格の女性の農家さん


農場の管理を任されてから半年後、生産したお野菜をバンコクで販売するために部署を異動することが決まりました。

「本当にバンコクに行くの?」

リーダー格の女性の農家さんが、信じられないというような表情で私に聞きました。

『会社の命令だから仕方ないよ。
今度はみんなが生産した野菜を、お客さんに売ってくるよ。』

その言葉を聞いた後も、納得したようには見えませんでした。
いつもなら、私にわかるようにゆっくりとしたタイ語を話す彼女が、その時だけは少し早口になっていました。

1年半、仕事から生活のことまで一緒に過ごしてきたからこそ、彼女が何を思っているのか、私にもなんとなくその気持ちを察することができました

私も、お世話になったこの女性に最後何か伝えなければならない。

そして思い出していたのは、まだタイ語がうまく話せなかったときのこと。
彼女は、私の目を見て、相槌を打ち、理解しようと努めてくれました。
私は、その姿勢に何度も救われてきました。

私が言葉に詰まっていると、彼女は私の想いを汲み取り

「大丈夫、あなたならどこに行ってもやっていけるわ」

と何度も繰り返し伝えてくれました。
私は、タンザニアのときと同様に、言葉で自分の想い以上のものを伝えきれない難しさを感じました。
だから、最後に伝えられたのは、ただ一言。

『ありがとう』


農場で生活した1年半は、言葉に苦労した期間でした。
時には心ない一言に傷つき、気持ちが落ち込むこともありました。
それでも、たった一人の励ましに支えられて、前を向くことができました。

タイ語が話せるようになっても、そこがゴールではありません。
農家さんの笑顔のために、バンコクで農家さんが栽培した野菜を販売する。

私にとって、それが次のスタートでした。


ここまでお読みいただきありがとうございました。


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ヒロ丨アフリカ・アジアで暮らして11年目 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 もしこの記事が、あなたの何かを考えるきっかけになったなら、応援していただけると嬉しいです。