続篇『還る温もり』を出しました。一作目も、全部書き直しました
四月に『だれも呼ばない名前』という小説をKindleで出して、書くまでのいきさつをこのnoteに書いた。あれから三ヶ月と少し経つ。そのあいだに続篇『還る温もり』を書いて七月の末に出し、あわせて一作目を、題名から本文まで作り直した。実際に手を動かしていたのは二ヶ月ほどで、二冊は並行して進めた。今回はその報告と、途中で考えたことをいくつか書いておきたい。
AIと書く手順そのものは前回の記事と変わっていない。文体設計書を作り、場面ごとに書かせて、直させて、最後は自分の目で通す。変わったのは主人公で、主人公が変わったことで、書き方の大半が変わった。
「悲しい」を使わずに書く
続篇の主人公はオオカミの子である。イグナという。人間は脇に退き、物語は巣穴の中でイグナが生まれ落ちるところから始まる。
オオカミは「悲しい」という言葉を持っていない。言葉を持たない生き物の内面を「イグナは悲しかった」と説明してしまえば、それは獣の皮をかぶった人間の話になる。一作目の主人公は十五歳の人間の少女だったから、この問題は起きなかった。今度はそうはいかない。それで、心の中を言葉で説明する文を作品全体で使わないことに決めた。「思った」「感じた」「悲しかった」を書かない。書けるのは、匂いと、呼吸と、体温と、体の動きだけである。
生まれた直後の場面は、こう始まる。
温かいものに包まれていた。それが、ふいに終わった。
外側に冷たいものが現れて、体は狭いところから広いところへと押し出された。全身を包んでいたものが肌から剥がれ、かわりに乾いた空気が肌に触れてくる。初めての冷たさだった。
「生まれた」とは書いていない。イグナは自分が生まれたことを知らない。母親に舐められる場面も、「母が舐めた」とは書けない。イグナはまだ、母も舌も知らない。
大きくて、温かくて、湿ったものが、ゆっくりと押すように体の上を通っていった。一度、二度。ざらりとして、けれど痛くはない。

こういう文章を、AIは長くは続けられない。人間が書いてきた膨大な文章で学習しているから、油断すると「悲しみが胸を満たした」の類いをすっと差し込んでくる。指示に「心情語を使うな」と書き足しても、三千字ほど進むと戻ってくる。途中から、言い聞かせるのをやめて検査に切り替えた。使ってはいけない語の一覧を作り、原稿の全文を機械的に走査して、一件でも見つかったらその場面を書き直させる。人に頼むような調子でAIに頼んでいるうちは守られず、数えられる形にしたら守られるようになった。最終稿に違反は残っていない。
この書き方は読者を選ぶと思う。心情の説明がないまま十一万字続く小説である。それでも、この話はこの書き方でしか書けなかった。
一作目のほうが大工事になった
続篇を書いている途中で、一作目の売れ行きをあらためて見た。旧版『だれも呼ばない名前 ——アシエラ戦記——』は、無料キャンペーンのあいだは二十人近くに手に取ってもらえたものの、有料に戻ると動きが止まった。
理由を数えあげればきりがないが、看板の問題は確かだと思えた。「戦記」は合戦の記録という意味の言葉で、この看板を見て開いた読者が中で出会うのは、少女とオオカミが匂いと沈黙でやりとりする静かな話である。合戦を求めた人には物足りず、静かな話を探している人は「戦記」の字面で手を引く。入口で両側を取りこぼす作りになっていた。
シリーズ名から「戦記」を外し、『だれも呼ばない名前 アシエラⅠ』に改めた。本文も全部見直して、設定の食い違い、時系列の穴、重複した説明を直した。物語の結末は変えていない。Kindleでは題名を公開後に変更できないので、旧版を出版停止にして、新版を第2版として登録し直している。
売れていない本に手をかけるより次を書くほうが早い、という考え方もあると思う。ただ、続篇が出れば一作目はシリーズの入口になる。入口の看板が違っていれば、その奥までは誰も来ない。そう考えて、手を入れることにした。
白紙のAIに読ませる
原稿ができてからの検品も、前回とはやり方を変えた。
以前は「この原稿を評価してほしい」と頼んでいた。すると褒める。厳しくと頼んでも、やはり褒める。しばらくして原因に気がついた。こちらが企画の意図を先に渡していたのである。温もりの循環という主題で書いている、読者には見えて登場人物には見えない仕掛けがある、と説明したうえで読ませていたから、AIは「その狙いが達成できているか」を採点する。狙いが読者に伝わるかどうかは、誰も見ていなかった。
それで、何も知らないAIを立てることにした。あらすじも意図も渡さず、原稿だけを読ませる。構成を見る係、人物を見る係、主題を読み取る係、ただの一読者として感想を言う係、というふうに分けて、五つ並べた。
何も知らせずに読ませると、評価は下がる。そして下がった点にこそ用がある。一読者の係は五段階の三をつけてきて、理由のひとつに「主人公が自分の意志で何かを選ぶ場面がない」を挙げた。これは狙いどおりの作りで、イグナは最後まで選ばない生き物として書いているから、この指摘は採らなかった。ただ、採らないと決めるためには、まず指摘されてみる必要がある。意図を渡した読ませ方では、この指摘は一度も出てこなかった。
指摘のうち受けるものだけを直し、また何も知らないAIに読ませる。これを三度繰り返した。五つのうちひとつは文章をまったく読まない係で、禁止語が混ざっていないか、変えてはいけないと決めた文が一字も動いていないか、それだけを数えている。終章の最後の一文は、この物語でいちばんの文だと自分では思っているので、改稿のどさくさで整えられてしまわないよう、この係に見張らせていた。
指摘を採るか採らないかは、私が決める。それとは別に、私自身も序章から終章まで、場面ごとに通しで読み直した。引っかかった箇所を挙げ、直し方を相談して、直させて、また読む。AIの査定は穴を見つける網として使い、最後にどう直すかの判断は手元に残した。
娘のノート
前回の記事は、娘が一作目を一気に読んだところで終わっていた。その娘は、続きの注文を出すようになった。次はこういう話が読みたい、あの狼たちはその後どうなったのか。ノートに書きためたアイデアを見せてくることもあって、二作目の場面のいくつかは、そこから生まれている。一作目は娘のために書いたが、二作目は娘と一緒に書いたような格好になった。できあがった二作目を、娘はもう読み終えている。一作目より気に入っている。
私のほうにも、一作目を書き終えたときから引っかかっていたことがひとつあった。あの結末で流れ出していった温かいものは、どこへ行ったのか。人の側から書いていては届かない気がして、今度はオオカミの側から書いた。書き終えて、自分の中ではひとまず答えが出た。娘の注文は、まだ残っている。
お知らせ
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。最後にお知らせです。
一作目『だれも呼ばない名前 アシエラⅠ』の無料配布は、8月3日で終了しました。いまは250円です。Kindle Unlimited なら、引き続き読み放題で読めます。
▼ 一作目『だれも呼ばない名前 アシエラⅠ』(250円・Kindle Unlimited 対象)
▼ 続篇『還る温もり アシエラⅡ』(450円・Kindle Unlimited 対象)
続篇から読んでも、一頭の命の物語として読めるように書いてあります。一作目を先に読むと、還ってきた温もりの来歴がわかります。
なお一作目は新版(第2版)です。2026年4月に『だれも呼ばない名前: アシエラ戦記』として出したものを、シリーズ名の変更にともない改題し、全編を改稿しました。物語の結末は変わりません。旧版をお持ちの方が買い直す必要はありません。
このあと、家族が毎日使うアプリをAIと作った話を書きました。
