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「伝わる文章」とは、才能ではなく、目線の変化で生まれる📕|「超かぐや姫!」は「具体と抽象」の塊だった⁉️|【細谷 功さん】の本「13歳から鍛える具体と抽象」とは何か!?


【読書回顧録 No.R00030】
タイトル: 13歳から鍛える具体と抽象
 著者 : 細谷 功
出版社 : 東洋経済新報社
読み方 : 通読
書籍種類: 一般書
読書回数: 1回目
  AI使用  : GeminiとNotebookLM(画像作成)、ChatGPT(文章精査)




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 「伝わる文」は、才能ではなく、目線の上げ下げで生まれる

上記画像は書籍・著者とは一切関係ございません
(AI画像生成によるイメージ)

序論

 「うまく書いたつもりなのに、なぜか相手の心に残らない」

 そんな苦しさを持つ人は多いと思います。

 話はわかりやすい。

 けれど浅く見えるときがあります。

 反対に、言いたいことは深い。

 けれど、難しくなって伝わらない。

 この行ったり来たりの悩みは、文を書く人なら一度はぶつかるはずです。

 細谷功さん(著者)の『13歳から鍛える具体と抽象』は、その悩みの根を、驚くほどすっきりした形で見せてくれる本です。

 この本は、「具体」と「抽象」という二つの目線を行き来する力こそが、ものの見方の土台だと伝える本です。

 東洋経済の紹介では、「たった2つの目線の上げ下げで、見える世界は劇的に変わる」とされています。

上記画像は書籍・著者とは一切関係ございません
(AI画像生成によるイメージ)

 この本は、子ども向けのやさしい本に見えて、実は、文章を書く大人にも深く刺さります。

 とくに、noteで「人の心に残る文章」を書きたい人には、書き方の小手先の技術ではなく、何をどう見ればよいかという視点を教えてくれる一冊だと感じました。

 また、個人的に、この本を読んだ後、最近、Netflixで観た「超かぐや姫」を思い出しました。

 理由は、「超かぐや姫!」の作品が「具体と抽象」の塊だったことに気づいたからです。

 こちらが視聴後1回目の考察記事です。

 こちらが2周目視聴後の2回目の考察記事です。

 この後、「方法」「結果」「各章の結果と考察」で、「超かぐや姫」の「具体と抽象」の例を説明していきます。


方法

 この本を、私は「文章を書く人のための本」として読みました。

 ただ内容を追うのではなく、次の三つの見方で読みました。

  • 一つ目は、わかりやすさに役立つか

  • 二つ目は、心に残る深さに役立つか

  • 三つ目は、作品を読む力にもつながるかである

 つまり今回は、この本の考え方が、書くことにも、作品を読むことにも使えるのか、という見方でこの本を読みました。

上記画像は書籍・著者とは一切関係ございません
(AI画像生成によるイメージ)

結果

 読み終わって、まず強く感じたのは、この本が「賢さ」を難しい知識としてではなく、「目線を上げたり下げたりする力」として教えていることです。

 具体とは、手で触れられるような話です。

 だれが、どこで、何をしたのか?

 抽象とは、その出来事の上位にある意味です。

 なぜそれが大事なのか?

 そこから何が言えるのか?

 読者はそこに価値を感じます。

 この本のよさは、この二つを対立させず、行き来するものとして見せてくれるところにあります。

 東洋経済の記事でも、「具体と抽象」は、人の考え方の土台であり、人間関係や学びにも役立つ力だと説明されています。

 この考え方は、noteを書く人にそのまま当てはまります。

 たとえば、「私はつらかった」とだけ書くと、気持ちはわかりますが、その背景が見えません。

 これでは抽象に寄りすぎます。

 反対に、「夜中の二時に白い机で冷えた茶を飲んだ」とだけ書くと、絵は見えますが、何が言いたいのかが残りにくいです。

 これでは具体に寄りすぎます。

 人の心に刺さる文章は、たいてい、この二つを両方持っています。

 まず、具体で読者を連れていき、次に、抽象で意味に落とします。

 あるいは、抽象で問いを立ててから、具体で腹に落とします。

 この本は、その動きを「才能」ではなく「練習できる見方」として示してくれています。

 そこが、読み手にとって、とても大きい価値があります。

 そして、この見方で『超かぐや姫!』を見ると、作品の立ち位置もよく見えてきます。

 この作品には、少女たち、歌、仮想空間、配信の場といった、今の時代に近い具体の姿があります。

 けれど、その背景に流れているのは、つながり、さみしさ、あこがれ、別れ、自分は何者か、という問いのような、もっと大きな意味です。

 つまり『超かぐや姫!』は、具体の服を着た抽象として観ることができます。

 そしてこの本は、その見方を支える道具になります。

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(AI画像生成によるイメージ)

第1章 「具体と抽象」ってなんだろう?

結果

 この章は、本書の出発点であり、「具体」と「抽象」は何が違うのかをつかむ章だと読みとれます。

 本書全体は、「たった二つの目線の上げ下げで、見える世界は劇的に変わる」という考えを土台にしています。

 ここで大事なのは、具体と抽象をただ反対のものとして見るのではなく、同じものを別の高さから見る二つの目線としてつかむことです。

 具体は、目の前の出来事、人物、場面、言葉の細かさに近いです。

 抽象は、その出来事の意味、共通する型、大きな流れに近いです。

 文章を書く人にとっては、この章ではまず「具体は景色を見せる」「抽象は意味を渡す」という基本が見えてきます。

 読者の心に残る文章は、このどちらかだけではもの足りません。

 場面だけあっても浅くなり、意味だけあっても遠くなります。

 そのことに気づかせてくれる章です。

 『超かぐや姫!』で言えば、少女たち、歌、仮想空間「ツクヨミ」、配信という見えやすい要素は具体です。

 いっぽうで、そこに流れる「つながり」「あこがれ」「別れ」「自分は何者か」という大きな意味は抽象です。

考察

 この章の価値は、文章の巧さを「言い回し」ではなく「見方」の問題としてとらえ直してくれるところにあります。

 noteで人の心に刺さる文章を書きたい人は、つい気の利いた表現を探してしまいます。

 けれど、本当に足りないのは、言葉の飾りではなく、具体と抽象の行き来なのだと思います。

 『超かぐや姫!』もまさにそうで、作品の表面はとても具体的で今っぽい作りになっています。

 けれど、それだけなら一時の勢いで終わります。

 人の胸に残るのは、その背景にある抽象の層、つまり「誰かとつながりたい」「届かないものに手を伸ばしたい」という、人が昔から抱えてきた想いがあるからです。

 この章は、書き手にこう教えているように思います。

 心を動かす文章は、目に見えるものと、目に見えない意味の両方を持つということ

上記画像は書籍・著者とは一切関係ございません
(AI画像生成によるイメージ)

第2章 「具体と抽象」で頭を鍛えよう

結果

 この章は、具体と抽象を知識として知るだけでなく、考える力として使う章だと読みとれます。

 本書は「勉強も人間関係もスムーズになる『考える』トレーニング」とされています。

 ここで鍛えられるのは、目の前の話をそのまま受け取るのではなく、
「つまり何か」
「ほかにも同じ形はないか」
「反対に、それをひとつの場面にするとどうなるか」

 と考える力です。

 たとえば、ひとつの失敗をただの失敗で終わらせるのではなく、そこから型を見つけます。

 反対に、大きな考えをただのきれいごとで終わらせず、ひとつの場面に落とすことです。

 この往復が「頭を鍛える」ということなのでしょう。

 文章を書く人にとって、この章はかなり重要です。

 なぜなら、人の心に刺さる文章は、思いつきではなく、ものごとの形をつかむ力から生まれるからです。

 よい書き手は、ひとつの出来事から大きな意味を見つけます。

 そして大きな意味を、読者がわかるひとつの場面に戻します。

 それができる人の文章は強いです。

 『超かぐや姫!』にも、この往復が見えます。

 古典の「かぐや姫」という古く大きな型を、現代の配信仮想空間という具体に落としているからです。

考察

 この章を読むと、「考える」とは難しい言葉を使うことではないとわかります。

 むしろ、見たものを少し高い場所から見直すことであり、また高い場所の話を地面まで下ろすことです。

 noteで読まれる文章を書きたい人は、ここをつかむだけでもかなり変わるはずです。

 自分の体験をそのまま書くだけでは日記になりやすいです。

 逆に、学んだことをそのまま書くだけでは説明になりやすいです。

 そのあいだを行き来して、はじめて、読者は「これは私のことでもある」と感じるのです。

 『超かぐや姫!』が、ただの設定勝負で終わらないとしたら、それはこの往復があるからだと思います。

 古典の型を借りながら、今の感情に届く場面へ落としています。

 この仕組みは、作品づくりにも、文章づくりにも共通しています。

 つまりこの章は、頭を鍛える章であると同時に、表現の土台を鍛える章でもあるということです。

上記画像は書籍・著者とは一切関係ございません
(AI画像生成によるイメージ)

第3章 「具体と抽象」は勉強にどう活かす?

結果

 この章は、学校の勉強や知識の整理に、具体と抽象をどう使うかを見る章だと考えられます。

 この本では、「学校の勉強よりも大切なものの見方の超基本」とされています。

 勉強で苦しくなるとき、多くは細かいことがバラバラに見えています。

 けれど抽象の目線が入ると、「これは同じ仲間だ」「ここに共通の型がある」と見えてきます。

 反対に、抽象だけでは曖昧になるので、具体の例に戻るとよくわかります。

 つまり、勉強とは暗記だけではなく、細かい事実をまとめる力と、まとめた考えを例で確かめる力の両方で進むのだとわかります。

 これは文章にも、そのまま使えます。

 書きたいことが多すぎてまとまらない人は、抽象の目線が足りていません。

 きれいなことは言えても中身がない人は、具体の目線が足りていません。

 この章は、その整理のしかたを教えてくれる章として読みとれます。

 『超かぐや姫!』の作品と重ねるなら、この作品をただ「歌のある作品」「映像がきれいな作品」と見るだけでは浅い認識です。

 そこから一段上がって、「古典を今の表現に置きかえる作品」「歌を通して関係と自己を描く作品」と見られると、理解が深まります。

考察

 この章を読んで感じるのは、勉強ができる人とできない人の差は、記憶の量だけではないということです。

 大きいのは、どこでまとめ、どこで戻るかの感覚だと思います。

 noteを書く人にとっても、これはとても大事です。

 読者は、知らないことを教わりたいだけではありません。

 「ばらばらだったものが一本につながる感じ」を求めています。

 そこに満足感があります。

 そこに「これが知りたかった」があるのです。

 『超かぐや姫!』も、もし見る側にこの目線がなければ、情報の多い、薄い内容の作品という認識で終わるかもしれません。

 だが具体と抽象の目線を持つと、歌、舞台、人物、神話の下にある一本の線が見えてきます。

 そのとき作品は、ただの出来事ではなく、自分の中で意味を持ち始めます。

 この章は、勉強の章でありながら、実は読み手に「深くわかる喜び」を教える章だと思います。

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(AI画像生成によるイメージ)

第4章 「具体と抽象」はコミュニケーションでどう活かす?

結果

 この章は、人と話すとき、伝えるとき、すれ違いを減らすときに、具体と抽象がどう役立つかを見る章だと読みとれます。

 この本全体が「人間関係もスムーズになる」とうたっていることからも、この章はかなり実用的な部分だと考えられます。

 人がかみ合わない理由の多くは、話している高さがずれているからです。

 片方は具体の話をしているのに、片方は抽象の話で返しているということです。

 あるいはその逆です。

 たとえば、だれかがつらかった体験を話しているのに、「つまり人生とはこういうものだ」と早くまとめすぎると、相手はわかってもらえません。

 反対に、大事な考えを伝えたいのに例がなく、話がふわふわしても伝わりません。

 ここで必要なのは、相手が今、どの高さで話しているのかを見る力です。

 そして、必要なら一段上げる、あるいは一段下げる必要があります。

 その調整ができる人は、話が伝わります。

 文章でも同じです。

 読者の心に刺さる文章は、自分の言いたいことを押しつける文ではありません。

 読者が入れる高さまで、うまく言葉を動かす文章です。

 『超かぐや姫!』と結びつけるなら、この作品は「歌でつながる少女たちの絆の物語」と説明されています。

 「つながる」ということ自体が、ただ言葉を交わすことではなく、気持ちや意味の高さを合わせることだと考えると、この章とよく響き合います。

考察

 この章は、書き手にとってとても痛いところを突いてきます。

 なぜなら、伝わらない理由を、読者のせいにできなくなるからです。

 心に刺さる文章を書ける人は、感情が深い人というより、相手がどこでつまずくかを見て、言葉の高さを変えられる人だと思います。

 具体で寄り添い、抽象で広げるということ。

 あるいは、抽象で問いを置き、具体で抱きしめるということ。

 その順番や強さを調整することで、文章はやっと人の胸に届くのです。

 『超かぐや姫!』も、古典そのものの言葉づかいではなく、現代の人が入りやすい歌や映像や場を通して物語を開いています。

 それは、昔の大きな物語を現代の感覚へ訳し直す行いでもあります。

 つまり、この章は、会話の章であるだけでなく、どうすれば人に届く形へ言いかえられるかを学ぶ章でもあります。

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第5章 「具体と抽象」の使用上の注意

結果

 この章は、本書のまとめであり、同時にブレーキでもあると考えられます。

 ここまでで、具体と抽象の力を学んできたからこそ、その使い方をまちがえないための注意が置かれているのでしょう。

 章名そのものが、それを示しています。

 具体と抽象は、便利だが、便利だからこそ危ういのです。

 抽象に上がりすぎると、わかった気になります。

 具体に寄りすぎると、目の前のことにとらわれて全体が見えなくなります。

 また、抽象は人を動かす力が強いぶん、きれいな言葉だけで中身のないことも言えてしまいます。

 文章を書く人にとって、これはとても重要な注意です。

 「深いことを書きたい」と思うほど、抽象へ逃げやすい。
 「わかりやすくしたい」と思うほど、具体を並べすぎやすい。

 この章は、その両方への気づきを与える章だと読みとれます。

 『超かぐや姫!』に例えるなら、この作品を「今っぽい歌の作品」とだけ見れば浅くなるし、「神話的な意味の作品」とだけ見れば地に足がつきません。

 作品の力は、そのどちらかではなく、両方を抱えているところにあります。

考察

 私はこの章が、書き手にとっていちばん大事かもしれないと思います。

 なぜなら、書く力は、知ることよりも、使いすぎないことで差がつくからです。

 具体と抽象を覚えると、世界が急によく見えます。

 だが、そのあとに起こりやすいのは、何でもすぐまとめたくなることです。

 「要するに」で片づけたくなるということです。

 けれど人の心は、そんなに早くまとめられません。

 作品もまた、ひとことで終わらないからこそ心に残るのです。

 noteで人の心に刺さる文章を書きたい人は、この章をとくに大事にするとよいと思います。

 巧い文章とは、何でも言い切る文章ではありません。

 具体をちゃんと置き、抽象をちゃんと差し出し、それでもなお、残る余白を持つ文章のことです。

 『超かぐや姫!』も、その余白があるからこそ作品になるのです。

 歌や人物や舞台の具体があり、そこから大きな意味が立ち上がります。

 けれど意味をひとつに閉じません。

 その開きがあるから、見る人は自分の思いを重ねられます。

 この章は、そうした「考える力の節度」まで教えてくれる章として読みとれます。

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章ごとに見えてくる、この本の全体像

 この五章を通して見えてくるのは、この本が単に「具体と抽象を知ろう」という本ではないことです。

 これは、世界の見方を整える本であり、同時に伝わる文章を書くための土台をつくる本だと思います。

 そして『超かぐや姫!』のような作品と重ねると、そのよさがさらにわかります。

 作品の表面にある歌、少女、仮想空間、舞台は具体です。

 その奥にある、つながり、孤独、あこがれ、別れ、自己の問いは抽象です。

 本書を読むと、その両方を感じてとれるようになります。

 つまり、書く力だけでなく、作品を深く読む力まで育つのです。

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考察

 私は、この本を読んで、書くことの苦しさの正体が少し見えた気がしました。

 多くの人は、文章が書けないのではありません。

 具体だけで止まるか、抽象だけで飛んでしまうかのどちらかで苦しんでいるのだと思います。

 noteで読まれる文章には、二つの力があります。

 一つは「その場が見える力」です。

 もう一つは「自分の話なのに、読む人の話にもなる力」のことです。

 前者は、具体の力です。

 後者は、抽象の力です。

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 『13歳から鍛える具体と抽象』の価値は、この二つを同時に手に入れるための土台を、やさしく教えてくれるところにあります。

 しかも、それを、子ども向けの入門書の顔で差し出してくるということです。

 だからこそ、身構えずに読めます。

 そして読み終えたあとで、「これは書く人のための本でもあったのか」と気づかされるのです。

 『超かぐや姫!』との重なりで言えば、この本は、作品を見る目まで育ててくれます。

 たとえば、作品の表面には、歌や映像や人物の動きがあります。

 これは具体です。

 だが、その奥には「なぜ人はつながりを求めるのか」「なぜ別れはこんなにも胸を打つのか」という問いがある。これは抽象です。

 よい作品は、具体だけでも、抽象だけでも成立しにくいのです。

 よい文章も同じです。

 読者の心に残る文章とは、具体で手を引き、抽象で心を開く文のことです。

 そう考えると、この本はただの思考の本ではありません。

 伝わる文章を書くための本であり、心に残る作品を読むための本でもあるのです。

 だから私は、この本を、次のようにすすめたいです。

 「noteで人の心に刺さる文を書きたいのに、何が足りないのかわからない人」へ。

 その足りなさは、表現の飾りではありません。

 もっと手前の、世界の見方にあるかもしれません。

 この本は、そこをやさしく、しかし深く教えてくれます。

 読後に残るのは、「なるほど」という小さな納得ではありません。

 私は「これが知りたかったのか」という大きな満足です。

 書けなかった理由が責める形ではなく、言葉になっています。

 そして、次に書く一文が、少し変わります。

 その一文の変化こそが、この本のいちばん確かな力だと思います。

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(AI画像生成によるイメージ)

おまけ(AI使用実験内容と結果)

【本日のAI使用実験内容】

1. note記事をAIで精査する
2. note記事に挿絵をつくる

【本日のAI使用実験結果】

1.は比較的うまくいきました。
 時間はかかりましたが、プロンプト次第なところですかね🌱
 仕事と一緒で、全体像を掴むことと、指示の解像度を上げれば解決します🌱

2.は、あまりうまくいきませんでした。
 NotebookLMのスライド資料を使って挿絵を作りましたが、思ったようにまとまらず、スライドのデザインがバラバラで、余白の使い方もあまり良くない気がしました🌱


 他にも、AIを活用した事例があります。

 「Plaud NoteとNotebookLMで要約比較」の記事はこちら

 AIをインフォグラフィック生成に活用した記事はこちらです。

 NotebookLMでスライド資料を生成する際の「プロンプト」も配布してます。

 その他のAI活用例は「AI活用録」というマガジンにまとめております。

 また、次の記事をお楽しみに♬


 これからも、日々のライフワークライフスタイルとして、記事を書き続けていきます♬

 ぜひ、コメントなどをいただけるとありがたいです❤️

 みなさまの貴重なお時間をこの記事に、時間を割いていただいて、誠にありがとうございます♬

 これからも、よろしくお願いします❤️


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