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もし自分が、勝手に小説のモデルにされたら

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自分をモデルにした小説が、いつのまにか大ベストセラーになっていたら、あなたはどうしますか。

しかも書いたのは、自分の先生です。

内容は、自分をモデルにしながら、その先生が自分に抱いていた欲望まで赤裸々に書いたものでした。

明治40年に、本当にあった話です

1907年、田山花袋が『蒲団』という小説を発表しました。

去っていった女弟子の蒲団に顔をうずめて、三十六歳の男が泣く。そんな場面で終わる小説です。日本の文学を変えた作品だと言われています。

ただし、書かれたのは花袋自身だけではありませんでした。

女弟子にはモデルがいます。
岡田美知代、当時22歳。

広島の豪家の娘で、書くことを学ぶために上京し、実際に花袋の家に住み込んでいました。実際に恋人ができて、実際に故郷へ帰されています。

作中の名前は「横山芳子」。
地名や学校の名も、少しずつ変えてあります。

それでも文壇では、誰のことか知れわたっていたといいます。

自分の先生が、自分への思いを小説に書いた。しかもそれが評判になった。

彼女は、22歳でした。

実は、彼女のほうが先に書いていた

美知代は、書かれただけの人ではありませんでした。

『蒲団』が出る前の年、恋人との交際が実家に知られて、彼女は郷里の広島に帰されています。

その郷里から、彼女は書きつづけました。
『文章世界』『新声』『文藝倶楽部』『新潮』。
当時の雑誌に、次々と作品を投稿しています。

このうち『文章世界』は、花袋自身が創刊した雑誌でした。

東京から引き離されて、つながりは手紙と雑誌だけになっている。
その状況で師の雑誌に書くのは、まだ弟子である、という確認でもあったのかもしれません。

そして恋人とのことも、彼女はすでに小説にしていました。『蒲団』より先にです。花袋は、それを読んでいます。

研究によれば、『蒲団』には美知代の小説とよく似た表現が残っているそうです。
つまり『蒲団』は、花袋が一人で書き上げた話ではなかったのかもしれません。

翌月、彼女は「横山よし子」と名乗った

『蒲団』が出たあと、美知代はすぐに動いています。

まず、自分の心境を書いた小説「小夜子」の原稿を、花袋に送りました。

これは雑誌に載りませんでした。花袋の手で、送り返されています。

それでも彼女は書きつづけます。

翌月、別の雑誌に「『蒲団』について」という文章を発表しました。

そのときの名義が「横山よし子」。

作中で自分につけられた役名を、そのまま名乗ったのです。

架空の人物のはずだった名前で、本人が出てきてしまったわけです。

ただ、この文章に何が書かれていたのかまでは、私には調べられませんでした。

恋人役の彼は、『不思議の国のアリス』を日本で最初に訳した

『蒲団』には、彼女の恋人として田中秀夫という青年が出てきます。作中では、かなり情けない書かれ方をしています。

このモデルが、永代静雄という人でした。
のちに美知代と結婚します。

その永代が、『蒲団』の翌年に始めた仕事があります。

『不思議の国のアリス』の翻訳です。

「アリス物語」という題で、『少女の友』という雑誌に連載しました。これが、『不思議の国のアリス』の日本語初訳とされています。

当時の少女ブームについては以下の記事で触れました。

彼女は、少女たちのために書く人になった

美知代自身も、書きつづけました。

『蒲団』の翌年には、雑誌『女子文壇』の特集で短編「侮辱」が最高賞を受賞します。

その後、少女雑誌に少女小説を書きはじめます。
『少女世界』『少女の友』などに、たくさんの作品を発表しました。

翻訳もしています。
『アンクル・トムの小屋』の日本初の完訳とされる『奴隷トム』は、彼女の仕事です。

岡田家は、両親とも熱心なクリスチャンでした。
美知代自身も神戸女学院に学び、16歳で洗礼を受けています。

『アンクル・トムの小屋』は、奴隷制を批判した小説であると同時に、徹底してキリスト教の本です。
信仰のある家で育った人にとっては、異国の物語ではありませんでした。

さらに40代で、『主婦の友』の特派記者としてアメリカに渡っています。

そして、五十一年後

美知代が「私は『蒲団』のモデルだった」という手記を発表したのは、1958年でした。

自分がモデルであることは認める。ただし小説はかなりの部分が脚色されていて、事実とは違う。とくに恋人の描かれ方には悪意がある。当時の手紙や花袋との会話を引きながら、そう述べています。

そして、ありのままを描くはずの自然主義から離れているではないか、と花袋の書き手としての姿勢そのものを批判しました。

自分のことより、恋人が不当に書かれたことに紙数を割いています。

『蒲団』が世に出てから、五十一年後のことでした。


永代静雄の『アリス物語』は、1912年に本になっています。国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されているので、無料で読めます。日本で最初のアリスが、どんな日本語だったのか。

今の訳で読むなら、こちらです。

『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル

美知代が訳した『アンクル・トムの小屋』も、今は新しい訳で読めます。

『アンクル・トムの小屋』ストウ

岡田(永代)美知代については、広島大学の有元伸子先生による研究サイトに、詳しい年譜と著作リストがあります。写真も豊富です。

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