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【経営理念は現場から生まれる①】松下幸之助は、本当に「理念」から経営を始めたのか

『実践経営哲学』を「現場から理念へ」という視点で読み直す




松下幸之助の『実践経営哲学』を読むと、最初に出てくるのが、
「まず経営理念を確立すること」
です。

私は長年、松下電器で仕事をしてきました。
だからこそ、この言葉には非常に納得しています。

会社を経営するうえで、経営理念は大切です。

何のために会社を経営するのか。
社会に対して、どのような役割を果たすのか。
社員に何を大切にしてもらうのか。

経営が難しい局面に入れば入るほど、最後の判断基準になるのは理念です。
ところが最近、私は一つのことを考えるようになりました。

幸之助は、本当に経営理念から経営を始めたのだろうか。
私は、そうではないと思うのです。

『実践経営哲学』は、経営を始める前に書かれた本ではない

当たり前の話ですが、『実践経営哲学』を書いたのは、若き日の松下幸之助ではありません。
長年、経営の現場を経験した後の幸之助です。

商売を始める。
商品を作る。
売る。
資金繰りに苦労する。
人を雇う。
人が辞める。
社員との関係に悩む。
不況が来る。
会社の存続を考える。
販売店との関係に悩む。
事業が大きくなれば、今度は自分一人では何もできなくなる。

そうした現実と何十年も向き合ってきた。

その経験を振り返ったとき、
「やはり経営には理念が必要だ」
という結論にたどり着いたのではないでしょうか。

つまり、
「まず経営理念を確立すること」は、幸之助の経営人生の最初にあった言葉ではなく、長い経営人生を振り返った結果として導き出された第一原則なのではないか。

私はそう考えています。

現場で苦労したから、理念や倫理の大切さが分かる

これは理念だけではありません。
職業倫理も同じです。

約束を守る。
人を大切にする。
お客様を裏切らない。
社員を育てる。
目先の利益だけを追わない。

言葉にすれば当たり前です。
しかし、経営の現場では、この「当たり前」がなかなかできません。

人に裏切られることもある。
自分の判断を間違えることもある。
売上が欲しくて、無理な仕事を引き受けることもある。
社員に任せられず、自分で全部抱え込むこともある。
短期的には正しいと思った判断が、数年後に大きなツケとなって返ってくることもあります。

そういう経験を重ねるから、
「人を大切にしなければいけない」
「信用を失ってはいけない」
「会社には理念が必要だ」
ということが、腹に落ちる。

理念や倫理は、頭で理解するだけのものではない。
現場でもがき、失敗し、痛い思いをしたからこそ、その大切さが分かるのだと思います。

大学を卒業したばかりの人が理念を掲げても、商売は回らない

少し極端な例を考えてみます。

大学を卒業したばかりの若者が、経営学の本をたくさん読み、
立派な経営理念を作ったとします。

「社会に貢献する」
「お客様第一」
「社員の幸福を追求する」

どれも間違っていません。
しかし、それだけで商売ができるでしょうか。

お客様を見つける。
商品を売る。
値段を決める。
代金を回収する。
人を採用する。
社員に仕事を任せる。
資金を回す。
クレームに対応する。
競争相手と戦う。

そして、最後は自分が責任を取る。
経営は、こうした現実の連続です。

理念が立派だからといって、商品が売れるわけではありません。
理念は、商売の代わりにはならないのです。

もちろん、最初から理念を持つことが悪いと言っているのではありません。

問題は、
理念を持っていることと、理念が自分の血肉になっていることは違う
ということです。

孔子も、最初から『論語』を持っていたわけではない

このことを考えていて、私は孔子も同じではないかと思いました。

私たちは孔子を『論語』から学びます。
仁。
礼。
孝。
徳。
君子。
そうした言葉を読み、孔子の思想を理解しようとします。

しかし、孔子本人は『論語』を読んで孔子になったわけではありません。
当然です。

人と接する。
政治に関わる。
弟子を育てる。
思うようにならない現実にぶつかる。
人間というものを観察する。
そうした経験の中から、人として大切なものを見つけていった。

後世の儒学者は、
テキスト → 理論 → 解釈 → 現実
という順番で孔子を学びます。

しかし孔子本人は、
現実 → 経験 → 苦労 → 気づき → 原則 → 思想
という順番だったのではないでしょうか。

ここに、大きな違いがあります。

私たちは「偉人の答え」から勉強してしまう

松下幸之助についても同じことが起こります。

幸之助が何十年もかけてたどり着いた経営哲学を、私たちは本を読めば数時間で知ることができます。
これは素晴らしいことです。

先人の経験を学ぶことによって、同じ失敗をしなくても済む。
だから学問や教育には大きな価値があります。

しかし、落とし穴もあります。
答えを知ることと、その答えが分かることは違う。

幸之助が60年かけてたどり着いた言葉を読んで、
「なるほど。経営理念が大切なのか」
と理解する。

それと、
何十年も人と金と商売に苦労した末に、
「やっぱり経営理念がないと会社はダメなんだ」
と腹の底から思う。

同じ「経営理念が大切」という言葉でも、重さが違います。

大企業やコンサルは「頭から入る」

私はここに、大企業の経営教育や経営コンサルティングの一つの限界があると思っています。

経営理念を決めましょう。
ビジョンを作りましょう。
戦略を作りましょう。
KPIを設定しましょう。
そして現場に落としましょう。

論理的には正しい。
私自身もコンサルタントですから、その有効性はよく分かっています。

しかし、中小企業の経営者に、本当にこの順番だけでいいのでしょうか。

中小企業の社長は、もっと泥臭いところから会社を作っています。
お客様から電話が来る。
自分で営業する。
自分で納品する。
社員が休めば自分が穴を埋める。
資金繰りを考える。
クレームが来れば頭を下げる。
売上が足りなければ、自分で何とかする。
そこから始まっています。

だったら私は、中小企業経営者には、
現場から始めてもらえばいい
と思っています。

理念がないのではない。まだ言葉になっていないだけ

経営者と話をしていると、
「うちには大した理念なんてありません」
と言われることがあります。

私は、そうではないと思っています。

10年、20年と会社を経営してきた人なら、その人なりの経営哲学を必ず持っています。
ただ、言葉になっていないだけです。

「この仕事だけは絶対に手を抜かない」
「こういうお客様とは長く付き合いたい」
「社員にはこんな思いをさせたくない」
「昔こんな失敗をしたから、これだけはやらない」
「どれだけ儲かっても、この仕事は受けない」
こういう言葉の中に、経営理念の原石があります。

だから私は、
「あなたの経営理念は何ですか?」
から始めなくてもいいと思っています。

むしろ、
「これまで経営してきて、一番苦労したことは何ですか?」
「そこから何を学びましたか?」
「今でも絶対に譲れないものは何ですか?」
と聞いた方がいい。

そこから、その社長自身の理念を掘り起こしていけばいいのです。

現場から理念へ。そして、もう一度現場へ

私は、中小企業経営はこの循環なのではないかと思っています。

現場

苦労

失敗

気づき

原則

理念

ここで終わりではありません。
今度は、その理念を使って、

理念

未来

戦略

組織

時間の使い方

現場

へ戻していく。
一周するのです。

だから私は「理念不要論」を言いたいのではありません。
むしろ逆です。

本気で経営をすればするほど、最後には理念の大切さにたどり着く。

幸之助が「まず経営理念を確立すること」と言った重みも、そこにあるのではないでしょうか。

時間の使い方にも、その人の経営哲学が表れる

私は現在、経営者の「時間」を中心に仕事をしています。
そこで感じることがあります。

社長が何に時間を使っているかを見ると、その人が本当に大切にしているものが見えてきます。

社員が大切だと言いながら、社員と向き合う時間がない。
未来が大切だと言いながら、目の前の顧客対応だけで一週間が終わる。
人を育てたいと言いながら、全部自分で判断してしまう。

理念として掲げているものと、実際の時間の使い方が一致していないことは珍しくありません。
だから、私は理念だけを見るのではなく、まず現場を見ます。

何に困っているのか。
何に時間を取られているのか。
なぜ、その仕事を手放せないのか。
今のまま3年経ったら、何を失うのか。

そこから経営者本人と向き合っていく。
現場を掘っていくと、その人が本当に大切にしているものが見えてきます。

そして、それを言葉にして理念にまで昇華させる。
さらに、その理念を未来の時間の使い方へ戻していく。

それが、中小企業経営者には自然なのではないかと思っています。

理念を現場に落とす前に、
現場から理念を掘り起こす。

孔子も、松下幸之助も、完成した答えから人生を始めたわけではありません。
現実の中でもがき、人を見て、失敗し、考え続けた。
その先に、後世の私たちが「思想」「哲学」と呼ぶものが生まれた。

私たちは偉人が残した「答え」を学ぶだけでなく、
その答えにたどり着いたプロセス
から、もっと学んでもいいのではないでしょうか。


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