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【経営理念は現場から生まれる④】孔子も最初から『論語』を持っていたわけではない



前回の記事では、
経営者の哲学は、成功体験よりも、失敗や苦労の中から見えてくる
という話を書きました。

経営理念は、きれいな言葉を並べて作るものではない。
社長が実際に経営してきた中で、何を失い、何を学び、何を守ろうと決めたのか。
その経験の中から、あとで言葉として掘り起こされるものだと思っています。

このことを考えていると、私は孔子のことを思い出します。

孔子といえば『論語』です。
立派な教え。深い言葉。人生や組織の原理原則。
まるで最初から完成された思想家のように見えます。

しかし、当たり前ですが、
孔子も最初から『論語』を持っていたわけではありません。

先にあったのは、立派な本ではなく、
人生そのものです。

迷い、試み、失敗し、人と関わり、世の中を見て、
その中から少しずつ言葉が育っていった。
私は、経営理念もそれと同じだと思っています。

先にあったのは、理論ではなく人生である

私たちは、偉人の言葉に触れると、つい完成された思想だけを見てしまいます。

孔子なら『論語』。
松下幸之助なら『実践経営哲学』。
稲盛和夫なら『生き方』や『京セラフィロソフィ』。

どれも立派です。
だからこそ、読む側は勘違いしやすい。

「まず、立派な理念がある」
「その理念に沿って行動したから、成功した」

この順番で理解してしまうのです。

しかし実際には、そう単純ではないはずです。

孔子も、若い頃からずっと順風満帆だったわけではありません。
政治の世界で理想通りにいかなかったこともある。
各地を巡りながら、自分の考えがすぐ受け入れられたわけでもない。
多くの現実を見て、思うようにいかない人間や社会を見て、それでも考え続けた。

その積み重ねが、後に弟子たちによって『論語』として残ったわけです。

つまり、先にあったのは人生の格闘であり、
本として整理された思想は、その後なのです。

経営者も同じである

これは経営者もまったく同じです。

会社を始めたばかりのときから、
「私の経営理念はこれです」と明確に言葉にできる人は少ないでしょう。

最初は、とにかく売上をつくる。
仕事を取る。
資金繰りに苦労する。
人を採る。
辞められる。
お客様に鍛えられる。
失敗して、恥をかいて、やり直す。

現実はきれいごとではありません。

その中で社長は、知らず知らずのうちに判断基準をつくっています。

この仕事は受ける。
この仕事は受けない。
この人とは付き合う。
この人とは距離を置く。
売上が欲しくても、ここは譲らない。
苦しくても、人としてこれはやらない。

こうした判断の積み重ねが、その社長の経営哲学です。

ただ、本人はそれを最初から「理念」とは呼んでいないだけです。

『論語』は孔子の経験の整理である

『論語』というと、ありがたい言葉の集まりのように見えます。

しかし、見方を変えれば、あれは
孔子の経験と考え方が、言葉として整理されたもの
とも言えます。

弟子たちは、孔子の言葉を聞き、行動を見て、やりとりを残した。
そこには、理想だけではなく、人間関係の難しさや、学び続ける姿勢や、社会との向き合い方が詰まっています。

つまり、『論語』とは、単なる名言集ではありません。
孔子という一人の人間が生きた軌跡の中から生まれた言葉の集積です。

ここが大事です。

言葉だけを読めば立派に見える。
しかし、その背景には必ず、現実の経験があります。

これは経営理念にも当てはまります。

「お客様を大切にする」
「人を育てる」
「信用を重んじる」
「本業に徹する」
「無理な成長を追わない」

こうした言葉も、単独で見ると立派ですが、
本当に力を持つのは、その裏に経験があるときです。

立派な言葉から入ると、薄くなる

ここでよくある間違いがあります。

それは、言葉から先に作ろうとすることです。

経営理念を考えよう。
ビジョンを作ろう。
ミッションを定めよう。
バリューを言語化しよう。

もちろん、整理すること自体は悪くありません。

しかし、社長の実感が伴っていないまま立派な言葉だけを作ると、どうなるか。

薄くなります。

社員にも伝わりません。
お客様にも響きません。
社長自身も、いざというときの判断基準として使えません。

なぜか。
その言葉が、自分の人生から出ていないからです。

孔子の言葉が二千年以上残っているのは、
言葉が上手かったからだけではありません。
その言葉の背後に、人としての経験と問い続けた時間があったからです。

経営者の理念も同じです。

借り物の言葉では弱い。
自分の経験から出た言葉でないと、肝心な場面で役に立ちません。

思想は、後から言葉になる

私は、経営者の理念づくりも、こう考えた方が自然だと思っています。

最初から完成された思想を持つ必要はない。
まずは現場がある。
経験がある。
迷いがある。
判断がある。
失敗がある。

その積み重ねをあとから振り返ったときに、

「自分は、こういうことを大切にしてきたのだな」
「こういう痛い経験があったから、これだけは譲れないのだな」
「これが、自分の経営の軸なのだな」
と見えてくる。

そして初めて、それが言葉になる。

つまり、
現場が先。理念は後。
経験が先。言語化は後。
この順番です。

『論語』もそう。
松下幸之助の哲学もそう。
中小企業の社長の経営理念も、本来はそのほうが自然だと思います。

理念が本物かどうかは、行動と時間に出る

理念が本物かどうかは、言葉の美しさでは分かりません。

本物なら、行動に出ます。
本物なら、時間の使い方に出ます。

「人を大切にする」と言いながら、社員と向き合う時間がまったくない。
「未来をつくる」と言いながら、毎日目先の対応だけで終わっている。
「任せる経営」と言いながら、全部自分で判断している。
これでは、理念が生きていません。

一方で、多少言葉が不格好でも、
「昔、大口先に依存して痛い目に遭った。だから、うちは分散を大事にする」
「社員を疲弊させて失敗した。だから、売上より先に人を守る」
「何でも自分で抱えて会社が止まりかけた。だから任せる」

こういう言葉には重みがあります。
なぜなら、経験から出ているからです。

孔子の言葉も、経営者の理念も、
本物なら必ず生き方に表れます。

コンサルタントの役割は「作ること」ではなく「見つけること」

ここで、コンサルタントの役割もはっきりします。

コンサルタントは、立派な理念文を作る人ではありません。
本来やるべきことは、
その社長の中にすでにある原則を見つけることです。

何に悔しさを感じたのか。
何を失ってきたのか。
何を後悔しているのか。
何があっても守りたいものは何か。
どんな相手とは付き合いたくないのか。

そこを聞いていく。
そこを整理していく。
そこから言葉を掘り起こしていく。
そうやって出てきた言葉なら、その社長の言葉になります。

逆に、外からもっともらしい言葉を与えても、長続きしません。

理念は、社長の人生の中から出てこなければ弱いのです。

まず棚卸しすべきは、立派な言葉ではなく、自分の歩みである

だから私は、経営理念を考える前に、まず社長自身の歩みを棚卸しした方がいいと思っています。

どんな苦労があったか。
どんな判断をしてきたか。
何が間違っていたか。
誰に助けられたか。
何を守ってきたか。
何を二度と繰り返したくないか。

ここを整理すると、理念の原石が見えてきます。

最初から「理念を書きましょう」ではないのです。

孔子も最初から『論語』を書こうとして生きていたわけではない。
まず人生があり、その後に言葉が残った。

社長も同じです。

まず経営がある。
現場がある。
苦労がある。
そのあとで、理念が言葉になる。

私は、この順番を大事にした方が、経営理念はずっと強くなると思っています。

理念は、人生のあとに立ち上がってくる

経営理念は、ゼロから考えて作る標語ではありません。

社長が生きてきた経営の中で、
迷い、苦しみ、選び、守ってきたものが、
あとから言葉として立ち上がってくるものです。

だから私は、こう考えています。

孔子も最初から『論語』を持っていたわけではない。
社長も最初から完成された経営理念を持っているわけではない。

しかし、どちらにも共通するものがあります。

それは、
経験の中で問い続けたことです。

問い続けた人の言葉は強い。
現場をくぐった人の理念は強い。

経営理念は、頭の中だけで作るものではありません。
現場を生きた人の中から、あとで掘り起こされるものです。

私は、そこにこそ、本当に使える経営理念の出発点があると思っています。


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