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YouTubeで他人を批判する武術家を見て、悲しくなった理由

YouTubeで他人を批判する武術家を見て、悲しくなった理由

押忍!武マーシャルアーツです。

最近、YouTubeを見ていると、武術家が他の武術家を名指しで批判したり、技術を否定したりする動画を目にすることがあります。

もちろん、間違った情報や危険な指導を指摘することは必要です。 しかし、その伝え方が「相手を倒すこと」や「再生回数を稼ぐこと」が目的のように見えてしまう瞬間があります。

私は、その光景を見るたびに少し寂しい気持ちになります。

武術とは、本来何を学ぶものなのか

武術は「勝つ技術」だけではありません。

礼節、自分を律する心、冷静さ、相手への敬意。

こうした精神も含めて受け継がれてきた文化です。

だからこそ、多くの人は武術家に対して「強い人」だけではなく、「人間としても尊敬できる人」というイメージを抱いています。武道の価値を精神性や礼節の継承にも見いだす人は少なくありません。

批判ばかりでは、器の大きさは伝わらない

本当に実力がある人は、自分の強さを証明するために、誰かを必要以上に下げる必要はありません。

自分の技術を磨き、 弟子を育て、 結果で語る。

その姿のほうが、何倍も説得力があります。

一方で、他人を批判する動画ばかりが続くと、

「この人は相手に勝ちたいのか、それとも視聴者の心を動かしたいのか」

そんな疑問を持ってしまいます。

YouTubeという環境も影響している

忘れてはいけないのは、YouTubeは「注目」を集める仕組みだということです。

穏やかな技術解説よりも、 対立や論争のほうが再生されやすい。

そのため、本来は穏やかな人でも、強い言葉を使う誘惑が生まれやすい環境があります。

だから私は、「武術家だから人格も立派」と決めつけることもしません。

武術を学んでいても、一人の人間である以上、感情やプライドはあります。

それでも、私は武術家に期待してしまう

武術家だからこそ、 怒りを抑える姿。

相手を尊重する姿。

静かに自分を磨き続ける姿。

そんな背中を見せてほしい。

強さとは、相手を言い負かすことではなく、自分自身を律することでもあると思うからです。

画面の向こうで誰かを批判して勝つよりも、道場で黙々と稽古を積み重ねる姿のほうが、私は何倍も美しいと感じます。

まとめ

武術家同士が技術について議論すること自体は悪いことではありません。

しかし、その目的が真実の追求ではなく、相手を貶めたり注目を集めたりすることになってしまえば、多くの人が抱く「武術家らしさ」からは離れてしまいます。

武術とは、人を打ち負かす技術だけではなく、自分の心を磨く道でもある。

だから私は、強さよりも「人格で語れる武術家」が、これからの時代にこそ多くの人の尊敬を集める存在になると信じています。

最後まで読んで下さりありがとうございます。
            武マーシャルアーツ


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