優しさって何だろう
あっ、と一瞬思ったときには、もう遅かった。
手にしていた書類が、ふわりと崩れる。
近くの席の方の足元へ、紙が踊るように落ちていく。
その一瞬だけ、時間が少しゆっくりになる。
自分と、その人と、同じものを目で追っていた。
床に落ちる。
慌てて拾おうとする。
その人も、一瞬だけ手を差し伸べかけて、
そして、引っ込めた。
なぜか、その瞬間にモヤッとした。
何気ない日常。
よくある光景。
何も特別なことは起きていないのに、
心にだけ、うすく雲がかかる。
少しだけ立ち止まって考える。
——紙を拾おうとする気持ちがないのなら、
その手は、伸ばしてほしくない。
今日は、そんな話。
⸻
別に聞いたわけではないし、確かな根拠があるわけでもない。
ただの直感に過ぎない。
それでも、自分はそこに「優しさ」を感じられなかった。
むしろ、その中に、わずかな濁りのようなものを感じた。
人はきっと、自分を一番大切にしたい生き物だ。
それは生存のための、ごく自然な本能だと思う。
一方で、人は誰かに手を差し伸べることもできる。
守りたい、助けたいという、これもまた本能に近い感覚で。
その、理由を持たない温かさこそが、
人間らしくて、どこか尊いものに思える。
けれど最近、その温かさが
少し見えにくくなっている気がする。
見られているから優しくする。
評価されるから手伝う。
「〇〇だから」という理由を通った優しさは、
どこか濁って見えてしまう。
助けたい、という気持ちが先にあって、
どう見られるかなんて後からも来ない。
そんな動きが、きれいだと感じる。
だから自分は思う。
優しさとは、
理由を持たずに行動まで届いた衝動のことだと思う。
衝動とは、
何も挟まっていない動きだ。気づいたときには、もう体が動いているような。
ただ、それがすべて正しいわけでもない。
踏み込みすぎてしまうこともある。
相手の領域を越えてしまうこともある。
それでもいいと思う。
少なくともそこには、濁りがない。
視線がよぎることはある。
それでも、最初に動いた気持ちを裏切らないようにしたい。
自分が感じた気持ちにに対してまっすぐに誠実に向き合っていきたい。
完璧な優しさじゃなくていい。
自分に対しても
濁りに気づいて、それでも純度を上げようとする、その姿勢でいたい。
⸻
最後にこの問いを投げかけてこのnoteを終える。
あなたが差し伸ばした手の先にあるのは
優しさですか。それとも視線ですか。
最近、春になって鼻がムズムズしてきました・・・
そんな花粉症の皆様へ、この記事もよかったらどうぞ↓↓↓
では、この辺で~
(書きたいときに書きたいことを書くのがnoteのいいところ!!!)
