#15 コンビニはクビになった。でも、Web制作なら働けた
弁当を電子レンジで温めた。別添えのマヨネーズの袋を、外していなかった。
お客さんに謝り、このまま渡してもよいか尋ねた。了承してもらい、そのまま渡した。店長には報告しなかった。
温め方を間違え、そのあとの判断も間違えている。今振り返っても、ずいぶんポンコツだったと思う。
高専の頃、三つのアルバイトをした。コンビニ、ファストフード店、旅行代理店。学校で勉強していることとは別に、働いてみなければ分からない自分がいた。
かわいい同級生が、そこで働いていた
コンビニで働き始めたのは、高専2年頃だったと思う。きっかけは、中学の同級生がその店で働いていたことだった。背が高く、僕が学年で一番きれいだと思っていた子だった。
その子がいるから、僕もそこで働きたい。そんな理由で応募した。面接では、とりあえず来てくれるか、という趣旨のことを言われ、採用してもらった。
ところが、店に立つと、できないことが次々に出てきた。
耳の中から液体が出て、相手の言葉が聞き取りづらい。レジに立っていても、お客さんが何を言ったのか分からないことがあった。液体を取り除こうと、冷蔵庫のあるバックヤードへ入り、指で拭った。それでも聞こえ方は戻らず、ごそごそしていると先輩に注意された。
声もうまく出せなかった。「いらっしゃいませ」を、ちゃんと言うように言われた。相手の言葉を聞き、その場で返し、必要な作業をする。その一つ一つについていけなかった。
ただ、失敗を全部、耳のせいにできるわけでもない。
冒頭の弁当もそうだ。何の弁当だったかは、もうはっきりしない。覚えているのは、マヨネーズを外し忘れ、お客さんに「このままお渡ししてもよろしいでしょうか」という趣旨のことを聞いたことだ。
お客さんは了承してくれた。でも、店長に相談したわけではない。僕は、その場で自分なりに処理して、終わりにしてしまった。
働き始めて約1か月で、勤務後にバックヤードへ呼ばれた。
店長からは、続けるのは厳しそうだと言われた。オーナーとも話した。同級生がいるから一度採用してみたけれど、ごめん。正確な文言ではないが、そんな話だったと覚えている。
「わかりました」
それしか返さなかった。
かわいい子がいるからと働き始めたコンビニを、僕は約1か月でクビになった。
裏方へ回っても、「早く、早く」と言われた
ファストフード店でも働いた。順番は正確には覚えていないが、コンビニの後だったと思う。今度は、バーガーをつくる裏方だった。
「早く、早く」
あの仕事を思い出すと、その声が出てくる。
いろいろな注文が入る。バーガーをつくり、ポテトも揚げる。複数の作業を、周りと同じ速さで進めなければならない。一つのことだけを見て、ゆっくり終わらせるわけにはいかなかった。
そこでも、耳の中から液体が出ることがあった。周囲の動きに合わせられず、僕のミスで廃棄や作り直しが出た。そのたびに、「ロスト」と言われた。これも、何度も聞いた言葉だ。
一つの大失敗を鮮明に覚えているわけではない。何をどう間違えたかより、とにかく、みんなの速さについていけなかったことが残っている。
接客をしなければ、それだけで働けるわけではなかった。注文を受けて、聞き取り、判断し、ほかの人と足並みをそろえて手を動かす。裏方にも、その難しさがあった。
こちらは、クビになったのではない。自分から辞めると伝えた。
「そうですか。ありがとう」
そんなふうに返されたと覚えている。
実習では、同級生に腕を払われていた
仕事を選ぶ怖さは、アルバイトをする前にもあった。
高専1年か2年の頃、はんだごてを使う実習があった。電子回路をつくる実験だったと思う。同じテーブルの同級生と座って作業していた。何をつくっていたのかは、もう覚えていない。
そのときも耳の中から液体が出ていて、声を聞き取りづらかった。音がどちらから来たのかも分かりづらかった。
僕の腕が、はんだごての熱い部分へ触れかけた。同級生が、腕を払った。
「危ない!」
何が起きたのかをすぐにつかめず、混乱した。何も返せなかったと思う。そのとき、これは仕事にしてはいけない、と思った。
いったん耳の中から液体が出ると、1か月ほど続くことが多かった。あの日だけ気をつければ済む、という感覚ではなかった。腕を払ってもらわなければ、熱い部分に触れていたかもしれない。
それで、はんだごてを使う仕事からは気持ちが離れた。その後に働いたコンビニでも、ファストフード店でも、うまくできなかった。
では、自分は何ならできるのか。
その頃、別の場所でもアルバイトをしていた。
同じ頃、旅行代理店には何度も呼ばれていた
三つ目は、旅行代理店だった。二つの店を辞め、それからWeb制作へたどり着いたわけではない。この仕事は、ほかの二つと並行していた。
中学の同級生の父親と、旅行代理店の社長が知り合いだった。コンピューターに詳しい友達がいる、という話が伝わり、僕へ声がかかった。
最初の仕事の前には、食事に連れて行ってもらった。その後、旅行のパンフレットをWebサイトへ入れる仕事をした。料金が表になって並んでいる、普通のパンフレットだ。
ホームページ・ビルダーを使い、紙に載っている内容を、手で入力していく。特別なシステムを開発する仕事ではなかった。料金表を見て、一つずつ画面へ移していく作業だった。
僕には、その手順が分かった。分からなくなれば、元のパンフレットへ戻って見直せる。レジで聞き逃した言葉を追いかけるときとは違い、いま必要な情報が、紙の上に残っていた。その作業なら続けられた。
Webサイト以外のことも頼まれた。パソコンを見てほしいと言われ、壊れていれば修理した。機器の選定や発注も任された。デスクトップPCだったことは覚えているが、機種や最初に直した故障までは思い出せない。
いつから何を任されるようになったのか、細かな順番は曖昧だ。ただ、また来てほしいと呼ばれ、何度も行ったことは覚えている。
ほかの店では仕事が続かなかった僕が、同じ頃、ここでは何度も呼ばれていた。
料金表を入力しに行って、Linuxを教わった
旅行代理店には、IT機器を管理していた年上の人がいた。小柄な人だった。その人が、これからはサーバーでLinuxが使われる、ITの仕事をするならコマンドを使えるようになっておいた方がいい、と教えてくれた。
目の前には、コマンドだけの黒い画面があった。その人が、カタカタと入力していた。Red Hatを使うよう勧められたことも覚えている。
高専では、Vine Linuxが入った学校のPCに触り、コマンドを覚えていった。旅行代理店で見た画面と、学校で触るものがつながっていった。
仕事を紹介してくれた同級生がいた。任せてくれる人がいて、次に何を覚えればよいか教えてくれる人もいた。自分にできる作業があっただけでなく、それを頼んでくれる人たちがいたから、僕はここで働けた。
封筒に、5,000円が入っていた
一回の対価は5,000円だった。最初は、現金を入れた封筒で受け取った。勤務回数や総額は覚えていない。来てほしいと言われたときに、何度も行った。
コンビニは、約1か月でクビになった。ファストフード店は、周りの速さについていけず自分から辞めた。でも、旅行代理店では、また来てほしいと呼んでもらえた。
Webサイトを作って受け取った5,000円は、交通費にもなった。
僕には、会いに行きたい人がいた。
オンラインゲームで知り合った、初めての恋人だった。
次の#16では、その人と知り合い、初めて会うまでのことを書きます。
追記(2026年9月15日)
この連載の16記事目を公開しました。
