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水たまりと文字数未定の会話劇

僕たちは誰かが執筆する小説の「登場人物」なのか? ゲリラ豪雨をやり過ごした僕と先生の散歩は、プロットの空白欄を埋めるための会話劇へと変わっていく。少し不思議な日常系メタ小説。(本文 2774字)


水たまりと、雨上がりの散歩

水たまり。雨が降れば必ずできると言っても過言ではない代物だ。私と私の担当する大御所作家の先生は、そんな水たまりが出来た街路で散歩を続けていた。

先ほどのゲリラ豪雨がアスファルトのくぼみに残した泥水を見て、隣を歩く大御所作家の先生はふいに足を止め、いつものように真面目腐った顔で言った。

「君、見てみたまえ。これはただの水たまりじゃない。『異界への扉』だ」

また始まった。僕は歩幅を緩め、深い溜息を吐き出した。

「ただの排水不良ですよ、先生。うっかり踏んだら靴下がびしょ濡れになるだけの、ただの茶色い泥水です」

「いいや、違うね。いいかい? このアスファルトに開いた歪な円形。静まり返った水面には、切れ切れの雲と電線が映り込んでいる。我々が今いるこの現実世界とはパラレルな構造をした、もう一つの世界への入り口に他ならないんだよ」

つい十数分前まで、僕たちは突然の雨に見舞われ、近所の公園の巨大なすべり台の下で不本意な雨宿りをしていた。 雨がまるでテレビの電源を切ったように唐突に止み、打ち合わせの合間の散歩を再開した矢先――御年六十七歳の先生は、路面の一角を指差してそんな突飛なことを言い出したのだ。

雲の隙間から差し込む太陽の光が、パソコンのバックライトのようにひどく人工的に、濡れた街路と水たまりをギラギラと照らしている。

「依頼書」の伏線回収

僕の冷ややかなツッコミを受け流し、先生は自身のあごを撫でながらフッとおかしそうに笑った。

「君は本当に素直な読者……いや、登場人物だな。なぜ私が急に、こんなありふれた水たまりを『異界への扉』などと大げさに表現し始めたか、まだ分からないのかい?」

「先生が日頃から、別次元の誰かが僕たちの世界を小説として執筆しているっていう、あの奇妙な世界観に浸っているからじゃないですか?」

「奇妙とは失礼な。これは事実であり、そして今の発言は、次の『展開』に進むためのフラグ立てだ」

先生は水たまりの縁すれすれに立ち、まるで演劇の舞台に立つ役者のように両腕を少し広げた。

「さっきの公園での雨宿りとシロクマのTシャツを着た少年のくだりが物語の『導入』だとするならば、僕たちのこの散歩はすでに『展開』のフェーズに入っているはずだ。しかし、ただおっさんと青年が濡れた住宅街を歩くだけでは、物語としてあまりに起伏がないだろう?」

「はあ」

「想像してみたまえ。僕たちを描いている作者の目の前には今、『小説執筆依頼書』なるプロットシートが置かれている。そこには当然『展開:』という指示欄があるはずだが……驚くべきことに、今回のその『展開』欄には、具体的な指示が何一つ書かれていないんだ! おそらく【空白】で丸投げされている!」

先生の力説に、僕は思わず周囲を見渡した。

言われてみれば、さっきから僕たちの周りには通行人の一人すら通らない。まるで背景のモブキャラを描写する手間を省かれたかのように、ただ静かな住宅街のセットが置かれているだけだ。

「作者は今頃頭を抱えているはずだよ。『展開欄が空白? どうしよう、何かストーリーを動かさなきゃ』とね。だから私というメインキャラクターは、作者への助け舟として、水たまりを『異界への扉』と名づけ、物語にファンタジーやミステリーの要素を足せる余地を自ら提供してあげたのさ。どうだ、気の利くベテランキャラクターだろう」

「得意げに言うことですか、それ。もし本当にそうだとしたら、作者に対するプレッシャーがえげつないですよ」

空白の展開を埋める会話劇

僕が呆れて水たまりを飛び越えると、先生もまた、ひらりと身軽なステップで水たまりを飛び越えて僕の隣に並んだ。

「まあ、作者もあえて異界のモンスターをこの水たまりから出現させたりはしないだろうね。そんな描画コストのかかる突拍子もないアクションは、僕たちに指定された『日常系会話劇』のトーン&マナーに合わないからだ」

「ええ、もし今ここにモンスターが出たら、僕は編集者として全力でボツを出します。作品の雰囲気がぶち壊しです」

「はっはっは! 違いない。君は本当に敏腕編集者だ」

僕たちは肩を並べて歩き続けた。 地面を叩く雨はとっくに止んでいるのに、僕たち二人の口から紡がれる台詞だけが、まるでキーボードを叩くタイピング音のように、テンポよく軽快にリズムを刻んでいく。

「でも、先生。展開の指示が本当に空白だったなら、なぜ僕たちはこうして滞りなく歩き続けられているんでしょうね?」

「それは作者が腹をくくったからさ。『大きな事件やアクシデントが起きないなら、キャラクター自身の会話だけで展開欄を埋めてしまえ』とね。結果として、今の我々のこの皮肉めいたやり取りそのものが、立派な『展開』として機能しているというわけだ」

先生の指摘に、僕は思わず苦笑した。

もし本当にこの世界が誰かの書いたテキストなのだとしたら、僕たちはなんて燃費の悪い、かつ手のかからないキャラクターなのだろう。

僕たちの日常、あるいは次作のプロット

気がつけば、見慣れたレンガ塀が見えてきた。先生の自宅であり、僕たちの今日の打ち合わせ場所である仕事場だ。

「さてと……。どうやら無事に『結末』のポイントに到着したようだね」

門扉の前で足を止め、先生が満足そうに頷く。

「結局、水たまりから異界の扉も開きませんでしたし、シロクマのTシャツを着た少年の再登場もありませんでしたね」

「あの大げさな伏線から何一つ劇的な事件が起きない。それこそが、この日常系メタ小説のリアルにして醍醐味だよ。しかし、なかなか有意義な散歩だった。ゲリラ豪雨に雨宿り、箇条書きの少年、そして異界への扉……」

先生はポケットから家の鍵を取り出すと、ふふっといたずらっぽく笑った。

「決めたよ。ここまでの散歩での一連の出来事を、君から依頼されたばかりの『次作』の題材にしよう」

「えっ? 今のこのやり取りを小説にするんですか?」

「ああ。タイトルはそうだな……『小説執筆依頼書に操られる僕たち』なんてどうだろう? 依頼書の空白欄に振り回される作家と編集者のコメディだ。君のところから出版されてる作家志望者向けの小説誌にでも掲載すれば、同じように頭を悩ませているクリエイター層にきっとウケる」

「先生、それじゃメタフィクションの二重構造ですよ。読者の頭が混乱してしまいます」

「何、かまうものか。さて、冷えたアイスコーヒーでも飲みながら、さっそく次作のプロットの打ち合わせを再開しようじゃないか」

重厚なドアが開き、先生が意気揚々と自宅の中へと入っていく。 僕は一瞬だけ背後の空へと視線を向け、未だに見えない誰かが僕たちの文字数をカウントしているような奇妙な感覚を振り払うように、一呼吸置いてから先生の背中を追いかけた。

「……もう、お手柔らかにお願いしますよ、先生!」


あとがき

↑コチラへの参加作であり

先月書いた ↑コレの続きになる話。

前回はメタ要素とSF(少し不思議)系が中途半端に混ざった感じでしたが、今回は会話・展開ともにメタ方向に寄せて、結末もその辺を踏まえた結末にうまく落とし込めたと私的には思っています。