定例読書報告(第14報)20251130
(1) 読書進捗状況
悪魔が来りて笛を吹く(横溝正史/角川文庫/2023):472/472(100%)(+31%)(2025/11/16読了)
ひらがなの世界 ―文字が生む美意識(石川九楊/岩波新書/2024):225/225(100%)(+27%)(2025/11/18読了)
あかあかや月 明恵上人伝(梓澤要/新潮文庫/2025):344/344(100%)(+63%)(2025/11/22読了)
シモーヌ・ヴェイユ まっすぐに生きる勇気(シモーヌ・ヴェイユ著、鈴木順子編訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2025):181/181(100%)(+57%)(2025/11/28読了)
グリーン家殺人事件(S・S・ヴァン・ダイン著、日暮雅通訳/創元推理文庫/2024):332/441(75%)(+75%)
昭和歌謡イイネ!(横山剣/小学館/2025):193/285(68%)(+20%)
ミステリな建築 建築なミステリ(篠田真由美(文)、長沖充(イラスト)/エクスナレッジ/2024):150/222(68%)(+11%)
伝奇集(J・L・ボルヘス著、鼓直訳/岩波文庫/1993):177/282(63%)(+6%)
ニッポン珍供養(鵜飼秀徳/インターナショナル新書/2025):148/251(59%)(+59%)
現代「ますように」考 こわくてかわいい日本の民間信仰(井上真史/淡交社/2024):124/223(56%)(+56%)
生物を分けると世界が分かる(岡西政典/ブルーバックス/2022):124/243(51%)(+51%)
性と芸術(会田誠/幻冬舎/2022):93/212(44%)(+44%)
※数字部分は、
読了ページ数/総ページ数(全体進捗%)(+前回からの進捗%)
(2) 所感
・「悪魔が来りて笛を吹く」読了。金田一耕助シリーズは、もっぱらテレビで、石坂浩二・古谷一行などの演じた映画・ドラマで得た記憶ばかりで、原作小説は読んでいなかった。映像の印象が強すぎて、もっとおどろおどろしいホラーじみた代物かと思っていたが、案外、読みやすい小説だった。また、現実の戦後混乱期の日本とリンクする情報が(小説の本筋とは関係なしに)差し挟まれているのが目につき、意外とリアリティ志向のシリーズだったようだ。たとえば「一年ほどまえにも、さる凶悪な変質者の殺人が行われた場所だった」(p.377)は小平事件を、「昭和二十二年秋のその颱風こそは何十年ぶりともいわれるほど大きなもので」(p.390)はカスリーン台風を指していると思われる。きっと、事件の舞台となる屋敷があった麻布六本木という場所も、当時は小説に書かれたような土地だったのだろう(現在の六本木ヒルズ近辺の景色からは想像しづらい暗さ)。気になった点は、トリック(p.427)と動機(p.463)とが、どうも噛み合わないように見えたところ。入念な準備なしには致死の確信が持てなさそうな不自然な姿勢での絞殺方法になる(ちゃんと力が入るのだろうか?)と思うのだが、それを「とっさに」決心して実行したって?
・「ひらがなの世界」読了。「高野切」や三色紙(「寸松庵色紙」「升色紙」「継色紙」)の内容をもとに、和歌の世界にある修辞技法「掛詞」のように、かなの書にも一字レベルの「掛字」、一筆レベルの「掛筆」があるのだという自論を展開する一冊。ひらがなの書において時折見かける文字の欠落や重複を「技法」とする主張なのだが、書道門外漢の私ながら「そうだったのかー!」とはならず、腑に落ちていない。
昔は紙が貴重品だったというし、(かなの書ではないけれども)王羲之の「蘭亭序」にある書き損じがそのまま写されて遺されていたりする例などを思うと、「昔の書の文化では、書き損じに寛容だった」と言われた方がすんなり納得できたりする(というか、私自身がそういった認識でいたので、「技法」という整理の仕方からは、今までの認識を上回る納得感がなかったということ)。
・「あかあかや月」読了。推理小説とSF小説は幾らか読んだから、もう一つの大きなジャンル「歴史小説」にも手を出してみよう、と思ったときに、新潮文庫の新刊として書店の棚にあったので取ってみた一冊。鎌倉時代の僧・明恵上人と高山寺にまつわる逸話を並べた小説。上人の入寂後、他の弟子たちにせがまれて、長く上人に仕えてきた従者・イサの視点から、上人の半生の出来事―耳切り事件、天竺行きの断念、高山寺の開山から整備、承久の乱等々―を語る歴史小説…のはず。明恵上人という人は、達観した超能力者のようでありながら、ときに過集中で子どものような行動に走る。前回読了した「あらゆることは今起こる」の記憶の新しい私は「現代ならADHD傾向でとても苦労するタイプだな」という印象を抱いた。
先に「はず」と書いたのは以下の2点から。
小説で語られる逸話や絵画・彫刻は、この小説を読む前から幾らか知っていたが、名僧にまつわる逸話というのは、どうにも史実かどうか怪しい。こういうものでも、作家の外側に客観的にある素材ならば歴史小説と言えるのだろうか。と気になって著者のプロフィールに当たれば「本格派の歴史作家として評価される」(本書カバー裏にある著者略歴)だったり、「主に女性を中心に据えた時代小説を執筆」(Wikipediaの記事「梓澤要」)だったりと、一定していない。これは歴史小説でなくて時代小説だったかもしれない。
語り手・イサによる一人称視点の小説のはずなのだが、このイサが知りすぎているように思う。明恵上人の見た夢については「夢記」という文書が現代まで伝わっているとはいえ、他人の見た夢を事細かに語る第三者というのが不自然に見えた。また、イサは、猟師の子として生まれ、8歳のときに親に捨てられて以来、上人に仕えるも出家はせず、上人の身辺の世話と薬草園の管理を主な仕事として37年を過ごしてきた寺男。当時の社会情勢(上皇の皇女が誰それで、その母御が誰それで、その方の実家が○○家で、そこでは何年にこういうことがあって…)を語る箇所も多いのだが、語り手・イサがそんなことを熟知するキャラクターに見えない点もひっかかった。そんなことにひっかかる私は、もしかしたら歴史小説の読者には向いていないのかもしれない。
・「シモーヌ・ヴェイユ まっすぐに生きる勇気」読了(ページが振られていない本なので、報告では各ページ冒頭につけられた通し番号をページ番号として計上した)。箴言集といった体裁で、多くの場合前後の文脈が見え辛い短文なので、どういう意図でそんな言葉になったのか読み取りにくい。曰く「人間には、一方で権利があり、他方で義務があるというように考えるのは、間違いである。(中略)一個人としての人間にはとにかく義務しかない。」(No.035)とか。「見つめることと待つこと。これが、美にふさわしい態度である。私たちが思考したり、意志したり、願ったりできているあいだには、まだ美は現れない。」(No.108)とか…私にとっては反抗したくなるご託宣が多く目につく本だった(私はただ「待つ」ということが大の苦手)。
・「ミステリな建築 建築なミステリ」で採り上げているミステリー小説を読む、第2弾。「グリーン家殺人事件」を読み進めている。「ミステリな建築 建築なミステリ」では、「悪魔が来りて笛を吹く」の後、篠田真由美作「翡翠の城」、ディクスン・カー作「髑髏城」が扱われるが、前者は書店で見当たらず(Amazonでも中古本の扱いのみ)、後者は「城の構造自体違って読めてしまう箇所が複数あって、ペーパーバックを入手して原文に当たらざるを得なく」なる(p.130)ようなものらしく、翻訳本を併読する気にはならなかった。
以上、報告終り。
※今回読了した本のリンクを以下に貼り付けておく。
