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【交換書簡】⑯AYAKOさん

この交換書簡も16回目となりました。そんな中、前回のAYAKOさんの書簡はもっとも深い精神性を備えた回になったのではないでしょうか。

人としてこの地球に生まれたことの意味は、人と人との間に起こるあらゆることを体験することだそうです。その醍醐味とも言える 「何」 をたくさん体験するかはそれぞれ。生まれる前にしてきた魂の約束です。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

この部分は大変惹かれますが「長くなるのでまたの機会」とのことなので、その機会を待つことにします(笑)。

AYAKOさんは家族経営(親族経営)の経営者をされております。英語でいうところのFamily Businessです。私のEMBAのクラスメートにもFamily Businessのオーナーが複数いました。一見、「家族や親族なんだから、通常の経営より楽なんじゃないか」と思いがちですが、AYAKOさんの書簡を読めばわかる通り、そうもいかないようです。いくつか、示唆的な記述がありましたね。

そしてこれは同じ経営者でも家業という親族経営の特徴なのかもしれませんが、仕事上のトラブルが家族や親族間のトラブルでもあり、かなりな高確率でそうなりやすいということです。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

身内というものは時に遠慮や配慮という歯止めが効かず、または頭が上がらないなどの強弱の関係性を持ち合わせる場合もあり、トラブルになるとある種、他人同士よりも卑劣です。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

そしてこれはあくまでも私の感覚としてお話しさせていただくのですが、家業からの離脱≒家族・家系からの離脱と感じざるを得ないということです。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

よくミステリー小説の古典などでは、莫大な遺産を巡る親族間での骨肉の争いが描かれたりします。また遺産相続で「事実は小説より奇なり」を地で行く壮絶な実話などもあります。これくらいは容易に想像できるものの、しかしながら親族経営におけるトラブルやその波及範囲、そして及ぼす結果までは、経験者でないとなかなか想像もつかないのだなと、AYAKOさんの書簡を読んで思いました。さらに、こうもあります。

私は自分の責務として家業仕舞い、もっと大袈裟に言えば血縁整理を担っているのではないかということも感じています。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

こんなAYAKOさんの感覚は、残念ながら弟さんには伝わり切らなかったようですが、しかしこれは大いにあり得る気がします。

ここからは想像でしかありませんが、親族経営であれ商売というのはネットワークがなければ成立しません。非親族の関係であれば、ある程度はビジネスライクに対応できるかもしれません(それも地域によっては義理や人情を重視しなければならない場面もありそうですが)。

だが親族となると、そうもいかなそうです。感情、立場、関係性などが複雑に絡むからです。話し合いで、全員が納得する形で収まればいいのでしょうが、そうもいかないのが世間の難しいところです。

例えば「何も手伝ってこなかったくせに、口だけは出す」とか。「自分の権利だけは一丁前に主張する」とか。時間と労力をかけて家業を回してきた人物への敬意や思慮があればいいのですが、最悪のパターンはそんな人がないがしろにされることです。「今まで、誰がここまで経営してきたと思っているんだ!」というような叫びが生まれてしまう状況です。

私が子供だった頃に比べて、現代は親族のつながりはさほど強くないかもしれません。それはそれで法事が少なくなったり、親族であろうと自己責任(各家庭の責任)ということで、割り切った親戚関係ができて便利な面もあるでしょう。その反面、だからこそいざというときに、これ見よがしに「親族関係」を持ち出す人がいないとも限りません。まして、そこに利害が絡めばなおさらです。

また、これは親戚関係に限ったことではありませんが「誰が矢面に立つのか」という問題もあります。親族たちに、都合の悪いことやいいニュースではないことを伝えなければならない。その時に、誰が表に立って伝えるのか。伝えた者が相手のリアクションを受けるわけで、下手をすると恨まれ役にもなりかねません。つまり矢面に立つ人間は、そんな役回りを背負わされる可能性があるのです。そのために報酬をもらえればまだましですが、親族関係ではそうもいかないでしょう。

ビジネス、経営者と一言でいっても、その業態によって実情は本当に様々だなと痛感させられます。


次に、前回の書簡では「生物学上のDNAを分ける」存在についても触れられています。こちらも、非常に深い問題であると思います。

芥川賞作家の宮本輝さんの小説に「草原の椅子」という名作があります。私は長いこと、この小説をバイブルのように思ってきました。この本さえあれば、生きていけると本気で思ってきたのです。ネタバレを避けるために詳細には触れませんが、この作中の登場人物たちは、それぞれが抱える人生の困難を「神様がお許しにならなかった」として、静かに受け入れて生きています。

宗教的な意味ではなく、人間はその人生において、特に「生物学的」人間という観点において、いくつもの「神様がお許しにならなかった」ものがあります。それは達成したくても叶わない、欲しいけど手に入らないといったことから、なぜこのタイミングでとか、なぜ私たちがこんな目に遭わないとならないのかなど、いわゆる理不尽と言われる出来事も含みます。さらには「親ガチャ」という近年の言葉が象徴するような、自分では選択の余地がない、生れ出るときの環境や状況もあるでしょう。

その点においては、AYAKOさんは「親族経営」の荒波をたくましく乗り越えつつ、さらには「神様がお許しにならなかった」ことへもしっかりと向き合い、歩んで来られたようにお見受けします。これは、一緒に音楽ユニットを組んでいた20代前半ではなかなか思い至ることのできない領域です。そんな彼女が、ある時こんな思いに至ったというのは、なんとも示唆的です。

「スピリチュアリストとして生きる」
あぁ、なるほど。それでいいんだと。これをベースにしてさえいられれば、何をしている私でもスピリチュアリストでいられる。以前からなるべく柔らかく、できるだけ広いスペースで物事を捉えられるようにと願ってきたけれど、このこともそうだったのだと感じた瞬間でもありました。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

「親族経営」も「神様がお許しにならなかった」ことも、そこには底知れぬ苦悩があったはずです。今でもあることでしょう。それはまるで一時はなりを潜めても、どこかのタイミングで何度も湧き上がってくる、寄せては返す波のような苦悩の連続なのかもしれません。それをどう受け止めるのかは、個人の価値観や人生観が最も色濃く表れる部分ではないでしょうか。そのような精神の奥底部分を、AYAKOさんは前回の書簡で書き綴ってくださいました。そこには、感謝しかありません。

さて、ここで冒頭の引用に戻りましょう。AYAKOさんの言葉です。

人としてこの地球に生まれたことの意味は、人と人との間に起こるあらゆることを体験することだそうです。その醍醐味とも言える 「何」 をたくさん体験するかはそれぞれ。生まれる前にしてきた魂の約束です。

【交換書簡】⑮松本忠之さんより

どうやら、この中に彼女の人生観の一旦が垣間見えそうです。
この書簡、ますます目が離せなくなりますね…。


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