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「海に眠るダイヤモンド」を何度も見返している その8(余韻)

いかがお過ごしでしょうか?

ついに「その8」です。前回で終わるかな、と思ったら文が長くなりすぎたのと、話題が少し変わるので、余韻として分けた次第です。「その7」でのまとめから話は少し広がりますが、端島関連情報の余韻をどうぞ。そして「その6」で紹介した模型が届きました!!最後の方に、、、大きな余韻が。

そして、私の端島の探究はさらに続きます。この記事の後は、、少し間が空きながらになると思います。夏には軍艦島上陸ツアーにいきます!阿久井先生の実測調査時の模型は明治村にあるそうなので、それも見に行きたい。まだまだ先は長いです。やはり広い意味でこれを発端としたライフワークになりそうです。


実測調査の阿久井先生設計の「三王閣」について

「その6」で紹介した「軍艦島 海上都市に住む」の文章にほんの少し載っていた、先生設計の国民宿舎、土木と建築が融合したという「三王閣」(1965)について、ものすごく気になったので調べ、その廃墟となった写真は「その6」でリンクを貼りました。これです。

残念ながら、そのサイトによるとさまざまな経緯と老朽化によって2010年に取り壊されたそうです。
「その6」では、「三王閣」が載っている専門誌の古本を見つけた話までを書きました。その雑誌を入手したお話を書きます。その専門誌は「建築」1970年12月号で、55年前!!です。

表紙。今はない雑誌です。
スケッチはモン・サン・ミシェル

図書館で検索をしても出てきませんでしたが、ネットで探して古本屋にあることがわかったので行って来ました♪神田の南洋堂!建築専門の古本屋です。数十年ぶり💦神田のスキー屋街はかろうじて面影があるように思いましたが、古本屋街は相変わらずそれなりに賑わってました!ネットの時代になっても古本は人気なのかな。レトロブームみたいのもあるのでしょうか。古本屋は映画「PERFECT DAYS」の世界でした。

さて、その雑誌の表紙の絵、、端島と面積が同じ、世界遺産の島、モン・サン・ミシェルです!

神田の古本屋で他のお宝発見!!!

そして、神田の古本屋街で、端島に関するお宝を奇跡的に大発見!!!!自然科学系、建築系の古本が多数ある明倫館に寄り、地下に降りる階段の途中、横積みになっている古色然とした分厚い専門書の山の上に、真っ白い表紙の建築士会の薄い機関紙が、1冊。ポツンと置いてあって、エライ目立っていたので、何気に手に取って表紙の小さな文字を読んで「!!!!!」となりました。

左上に‼️

何と「特集 軍艦島・保全のゆくえ」と。!?!?
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
クラッとしました!?!?
何で一冊だけここに置いてある??しかも端島の特集!なんで?!?!

ドキドキしながら、どうせ数ページだろうと開いたら、何と29ページも。56ページ中過半!さらにびっくりしました。3000円くらいするかな、、、どうしよう、と、お店の人にきいたら、500円!いや、ありがたい話です。しかし冷静になれば、500円は妥当な値段だと思ったり。

結構な情報量です。
キレイな写真です。

ちなみにコレは士会の機関誌なので、図書館にも無いでしょうし、Amazonにも無いと思います。端島情報を探している身としては、なんともレアな本と出会ってしまいました。足で稼ぐとはまさにこのことか。偶然にも程がある!!

その特集では、「その5」で紹介した「海上の建築革命」の著者中村享一さんや、元島民の中村陽一(元清水建設)さんの文章も載ってました。お二人とも一級建築士ですもんね。わぉ。長くなるので、その特集の保存等の話は割愛します。

元に戻して「三王閣」

さて、さて、話を本題に戻します。「三王閣」。下の写真は、先の「建築」という雑誌からの引用です。

崖の上に小さく写っています。
なかなかいい写真かと。
建築写真家;村井修(1928-2016)さんの撮影ですね。
村井さんは1975年に丹下健三の作品集も出しているようです。
崖の上に力強く建っています。
この両ページが建築計画の全てを物語っています。

客室部は地面に埋まっています。左中の断面図と平面図でわかりますが、エントランスは客室棟の屋上からです!アプローチから見ると、小さなボリューム(左上の写真)なのに、その下に眺めの良い客室群がある。阿久井先生が実測調査で、端島の日給住宅の屋上を地上階と捉えたのは、この概念があったからか!!ガッテンです。


風光明媚なロケーション
増築計画はその後、少し形を変えながら実現しています。
模型の崖の造り込みがすごいですね。雰囲気出ています。
自然景観への敬意を感じられる模型です。

なるほど、🧐このように特異な地形に土木的な擁壁と一体的に、また建物ボリュームを半分埋めるように計画したのですね。建築のデザインは当時のモダニズムの正統派と見受けました。斜面に建築を計画する際、このような半埋め形態は良くあるのですが、海のそばでコレだけの断崖絶壁ではなかなか難しい設計ですし、何よりも建築の設計に土木的な要素を持ち込むので、その調整も大変だったと思います。自然環境をうまく取り込みながら、そこに屹立する建築は、自然との対峙と融合を同時に果たしているように思います。この建物の設計、空間の構成もなかなか素晴らしいものと見受けました。もっと有名になっても良さそうなデザインです。当時はどのような評判だったのか気になります。阿久井先生は、あの丹下研究室に居て、丹下事務所でも働いておられます。そして、この国民宿舎等は30代前半の設計です。すごい若い!!その歳で、この雑誌で作品5題(しかも公共的建築)とは、かなりの仕事量です。しかしその後は、先生の設計した建物は見当たらず、教育職に落ち着いておられます。

そして、世界の集落の調査を経て端島の実測調査。当時、集落調査、デザイン・サーベイは一つのブームだったと思いますが、その流れで端島にまで行き、実測図。阿久井先生のスタートがこのような素晴らしい設計だとすると、その哲学をぜひ知りたくなります。しかし、もういらっしゃいません。何か、とても実直な考えを感じます。

その時代、ここまで大胆に半分を埋めて、さらに地上部(パブリックスペース)と地下部(宿泊室と大浴場)の空間をバッサリと分けている建築は他にあるでしょうか?私が不勉強なだけか。菊竹さんのパサディナハイツは、これの10年後の1975年で、もっと緩い斜面を利用した作りで、ここまでは埋め込まれていないのと、集合住宅なので、地上部のパブリックスペースような空間はありません。しかしきっとその時代を横断的に調べれば類似は何かあるのかもしれませんが。パサディナハイツについて、詳しい記事がありましたのでリンクを貼っておきます。

1960年代。色々な意味で日本が一番アツかった時代かもしれません。まだまだ学習が必要です。この時代の国民宿舎、トイレと浴室は各室にはなく、トイレは各階に集合トイレ、浴室は全体で大浴場です。端島の集合住宅と同様ですね。

断崖とがっぷりと四つに組んだ三王閣は日給住宅に通ずるものも感じます。阿久井先生が端島を調査する10年前の設計です。そういうこともあって、先生は端島に惹かれたのでしょうか?これもさらに深掘りが必要かもしれません。

自然と対峙し調停する建築

そして、端島から少し離れますが、自然と対峙し調停する建築の代表と私が思うのは、山口文象(1902-1978)氏の黒部川第二発電所(昭和11年)です。以下のリンクに詳しいので貼っておきます。建築の意匠設計をしている人の間では有名ですが、世間的にはどうなのでしょう。この頃になると、クラシカルな装飾が消えたモダンなスタイルになっています。しかし、これは端島の30号棟の20年後です。

その山口文象氏の文章の中で、、発見したのは、全く予想もしていなかった、「戦艦陸奥」!!また軍艦つながり。自分の不勉強を恥じるばかりです。当時の陸奥は、大和や武蔵と違い、公開されていて慕われていたようです。

しかし富士の霊峰を背景にして海洋に浮く「陸奥」の姿もまた得難い風景の一つであるに違ひない。
 コンクリートであるがために、又は鉄の構造物であるがために、「自然」にうけいれられないとは謂へない。問題はその構造物の機能的性格が偽りなく自然に表現されているかどうかに懸かっているのではあるまいか。

https://bunzo-ria.blogspot.com/p/1936kurobe2.html

若干、言葉遊びの感がしないでも無いですが、機能を自然(=素直)に表現できれば、自然(=nature=素直)に受け入れられる。と理解しました。どうでしょうか?その言葉の意味は、深く考えると、人が考えることも大きな自然の一部。なので、しっかりと考え、その答えを自然の中に置いていくこと、それが人の営みであり、大自然に受け入れられる。という風にも捉えられると思いました。

そうか、だからか。端島の建築群に惹かれるのは!端島が軍艦島と呼ばれ、機能の象徴である30号棟や日給住宅に見られる高層集合住宅。端島全体に何か通ずるものが感じられます。人工の極みではあるけども、それは人の生死も関係した生活と仕事の場。それが大きな時間の流れで自然に還っていく姿。そういうものに惹かれているのかもしれません。

土木的な発想と建築的な表現や解釈。そこに通底する考えは、共に自然を相手に人間の空間を構築すること。まだ上手く言えていませんが、今後も考えていきたいと思います。その先に内藤廣さんの建築や土木的な発想があると思うので。端島の探究も落ち着いてきたので「建土築木」をそろそろ読みます。ちなみに、山口文象さんは、内藤さんのお母様の実家のお隣だったようで、内藤さんは幼いころから学生時代そして山口さんが亡くなるまで交流があったそうです。

ここに山口文象氏を書くのは時期尚早にも思いましたが、端島の建築群と何か近い空気を感じたので、調べてみたら「戦艦陸奥」が出てきたので、書いた次第です。追って、別でさらなる深掘りを書いてみたいと思います。しかし、話が私の手に負えない、大きな話になりそうで、書き切れるか自信は全くありません。

映画「メトロポリス」

そして、突然ですが、、、端島の余韻に浸りながら1927(昭和2)年のドイツの無声映画「メトロポリス」にも少しだけ触れます。なぜに?と思われるかもしれませんが、これも私の直感的には何か端島と似た匂いがするのです。

私の趣味のリサイクルショップ巡り(お宝探し)で、そのリメイク版映画(1984)のパンフ(200円!!)を最近偶然見つけました。昭和2年(1927)は端島の映画館「昭和館」ができた年です。

リサイクルショップで大量のパンフの山の中から。
1984年当時の定価は300円で、リサイクルショップでは200円でした。

初公開の1927年の数年後には日本でも公開されています。それなりの話題作だったようです。そしてなんと映画内の未来の設定年は当時の100年後の2026年!!来年!!です。わぁ!今年、出会ってよかった。今、そのパンフの映像を見ても、この空間やストーリーがその時代に!?!?と思います。そして、これは端島の昭和館でも上映されたかもしれません。私は未だその映画は見ておりませんが、今度探して見てみます。タイトルや映像はなんとなく知っていました。パンフによると当時としてはあまりに未来的で、しかし現代に通ずる高層ビル等の空間や当時のブラック企業ぶり。また、そのパンフには解説文を手塚治虫(1928-1989)氏!が見開きで書いています!

都市のイメージの空中ブリッジはSFのお手本おような。
右上のビルの屋上の表現や、金色ロボットは!!
確かに原点ですね。
スターウォーズか?ブレードランナーか?

あらためて、この情報に出会うと、端島の高密度空間(労働環境や住環境)との同時代性を思わずにはいられません。クラシカルなデザインや表層のモダニズムを模倣していた建築界とは裏腹に、土木界の必要に迫られた質実剛健な設計思想や、映画界の自由な未来像の映画。それらの方が当時の建築界より、大胆に正確に未来を示していたと思わざるを得ません。この辺り、まだまだ私は学ばねばなりませんが、あえて先に直感的に書いておきます。いつかこの辺りも深掘りしたいと思います。(直感的に書く。。こういうのはAIでも書くのでしょうかね。)


集める軍艦シリーズ(フジミ模型)

さて、話を端島に大きく戻して、1/3000の模型が届きました!!!

パッケージの絵が精緻です。
シリーズ99??
ホントの軍艦シリーズは30番台が最後なので、
えらい番号が飛びますね!
やはり軍艦つながりの番外編的な位置付けかと。
粋なラインナップです!
サヨナラハシマのデカールや
日給住宅の部品が見えます。
組むと、、、本格的に調整しないと
若干失望してしまいそうなデフォルメとスケールなので、、
組まないで積みプラしようかな。

端島のサイズは15cmくらいで、手のひらサイズ!
いやー、よく模型にしてくれました。


実測図での探究!縮尺1/700!

そして、そして!この一連の記事の最後は、阿久井先生の実測図をお借りして、ちょっと探究してみました!

まず、実測図に載っていた端島の1/600の立面と平面を1/700に縮小しました。

軍艦島 実測調査資料の図から縮小




そして、なぜ、1/700にしたかといえば!もうお分かりですね!







艦船模型!それを並べて写真を撮りました!合成っぽく見えるかもしれませんが、一緒に撮ったものです。写真は、余計なものをマーカーで消しています。

端島(軍艦島)と戦艦武蔵(三菱つながり) シルエット比較
実測調査でこのアングルの立面図とされたのは、
一番軍艦らしく見えるからでしょうか?
メガネの階段が、艦橋と煙突の間に見えています。
その向こうが地獄段、日給住宅、端島神社。
島の立面図に模型を寄せて大きさ比較
艦橋の高さが際立ちます。ほぼ10階建てです。
そして武蔵はでかいです。後ろの集合住宅と比較しても。
主砲は住居数軒分の大きさです。



そして、ほい!オールスターです。




全部同じ1/700です。
空母赤城の甲板に変なものが。F-4/F-14/F-15/ファルコ。
ギガント(素組みです)はバカでかいです。
1944竣工のミズーリは湾岸戦争(1990)状態
(トマホーク増設)です。
湾岸戦争はミズーリのトマホーク発射から始まった??
Boeing747+スペースシャトルとB-29爆撃機
国際宇宙ステーションも。

端島の平面は生活空間の部屋割りまで描かれています。外勤詰所、銀座(厚生)食堂、昭和館、泉福寺、などなど。



最後に、余韻



もう一つ、写真を載せます。ふと閃いて、、軍艦島の模型の箱の上に置いて撮りました。「奇跡のメダイ」と「少年ナイフ」(本物)です。なぜ、これらがここに!?

「奇跡のメダイ」と「少年ナイフ」
軍艦島の模型のパッケージの上

「少年ナイフ」は昭和12(1937)年生まれの父親のものです。おそらく、小学生から中学生くらいにこれで鉛筆を削ったりしていたと思います。それは昭和20年を跨ぐ、1943〜1952年(約80年前!!)くらいのことでしょう。私が高校生くらいの時に、家で大事にしまってあった(その時で既に約40年前のモノ)のを発見して、もらい受け、大切に保管(約40年で計80年前!!)していました。調べると「肥後守」が本家(映画「君たちはどう生きるか」にも出てきました。)で、これは廉価版のよう。ですが、それにしてはしっかりした作りで、この写真のは磨いて錆を落として(約2年前)いますけど、普通にナイフとして鉛筆を削れます。折りたたみ機構もがたつきは全くありません。

そして「奇跡のメダイ」!ドラマでも出てきましたね。賢将が台風の中で拾って、百合子に返すシーンは涙が出ました。何と!私もたまたま道端で数年前に拾って、大事にしていたのです!ドラマでのそのシーンの時は、涙もさることながら、自分も拾っていたので、まさに奇跡的な感じで、1人、頭の中がぐるぐるしていました。どういうこと?どういうこと?ここにも拾ったメダイがあるんですけど!と。百合子の「奇跡は人が起こす。」を全力で信じます。エネルギーをいただきました。

さて、自分が25歳の時は、25年前=四半世紀で大昔!ましてやその時は、30年後なんて想像もつかない遠い未来!と思っていたのが、今55歳超えて、30年前がつい最近なので、父が、私が子供の頃に戦争時代の話を少々していたのが、今はよく分かります。こうやって、自分が生まれた頃を軸にその前のことを一生懸命書いている。。明治維新から太平洋戦争敗戦までは77年?1945(昭和20)年+77年=2022年。そして今年は昭和100年。歳をとるというのはそういうことなのね。明治維新は、意外と最近なのだな、と思う今日この頃。

そして、「海に眠るダイヤモンド」で感動して、掘り下げて「その8」まで、書いた記事を誰かに届けたい。そしてまた、まだまだあるたくさんの興味関心ごとを深く掘り下げていきたい。時間が足りない。

ここまで、長々と読んでいただきありがとうございます。
また、次の記事でお会いできれば。


つづきはこちら。


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