これまでのこと|学生時代|勉強ができるって、何なんだろう

「勉強ができる」という言葉に、私はずっと小さな違和感を抱えてきました。

勉強ができる=成績が良いこと。
テストで点が取れること。
偏差値の高い学校に進めること。

多くの場合、そう理解されていると思いますし、私自身も、その文脈の中で育ってきました。

私は、いわゆる「勉強ができる側」でした。
成績で困ることは少なく、進学でも大きな壁はなく、結果として法学部に進みました。
就職活動では、学歴が有利に働いた場面もあったと思います。

それ自体を否定したいわけではありません。
学歴は、一つの手段になり得ます。
選択肢を広げてくれることもあります。

ただ、今の私は、こう思います。
「それで、何を学んでいたのだろう」と。
すぐには答えが出ません。

中学受験を経験しました。
当時の私は、それを特別なことだとは思っていませんでした。
ただ、選択肢がそれしか見えていなかったのだと思います。

振り返ると、そこには迷ったり立ち止まったりする余白はなく、
与えられたレールを進む以外の道が、見えていなかったように思います。

学ぶことは、テストのため。
点数を取るため。
評価され、次に進むための条件を満たすため。

学ぶ → 点数になる
点数 → 評価になる
評価 → 次の進路が決まる

この構造の中では、「学ぶとは何か」を考える必要はありませんでした。

社会に出て、働き方や生き方に迷い、立ち止まり、選び直す時間を経て、
ようやく問いが浮かびました。

学ぶって、何だったんだろう。

役割や肩書きがいったん外れ、
自分の体や生活を優先する時間に入ったとき、
その問いは、初めて、私の前に現れた気がします。

見えたのは、明確な答えではなく、「空白」でした。

学んできたはずなのに、
何を学んでいたのかを、自分の言葉で説明できない。
学ぶ目的を、自分で決めた記憶がほとんどない。

だから私は、
「学んだのに活かしていないこと」や
「学ぶ目的が曖昧なまま、肩書きだけを持つこと」に、
少し敏感なのだと思います。

どんな学校に入るか、よりも。
どんな問いを持てるか。
どう考え直せるか。

学歴は、持っていてもいい。
でも、それをどう使うかは、結局、本人次第です。

やりたいことや、学びたいことがないまま、
選択肢だけが増えても、それは必ずしも力にはなりません。

人生は、あとからでも組み替えられる。
でもそのためには、
「考えていい」という感覚と
「どう考えるか」の手がかりが必要だと思っています。

だから私は、正解を早く出すことよりも、
問いを持ち続けられることを、大切にしたいと思います。

この考えも、一つの正解ではありません。
ただ、私自身が自分の人生を辿ってきた中で、
どうしても外せなくなった視点です。

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