テニス上達メモ589.同じ人間なのに、なぜ差が生まれるのか
フェデラーやナダルを「選手」と呼ぶとき、そこに無意識の前提が生まれていないでしょうか。「選ばれた人」――。その言葉の選択が、 私たち自身の可能性を、密かに狭めています。
▶「選手」と呼ぶ違和感
『ベースメソッド』の書式化は、このまま順調であれば、今春4月発刊に向けて進んでいます。
編集者から、赤字も入ります。
私はよく、ロジャー・フェデラーやラファエル・ナダルほか、プロたちについて「彼ら、彼女ら」という言い方をします。
このnoteでも、そう書いています。
その表現について編集者は、「選手たち」と赤字を入れます。
▶「選ばれた人」というバイアス
ジェンダーに配慮した表現だとは言うのですけれども、私としては「選手たち」というより、「彼ら、彼女ら」。
というのも「選手(選ばれた人)」と言うと、一般プレーヤーとは違う、ひとつ上の存在だと錯覚しがちだからです。
しかし、変わりません。
人として同じです。
私たちも、「彼ら、彼女ら」と、何ら変わらないのです。
その前提に立たないと、「選手たちは特別だからできる」という見方になる。
これはバイアス(思い込み)です。
▶進化を止めるのは能力ではなく思い込み
思い込むと、敗れたはずの記録も、破れなくなります。
もっと上達できるはずなのに、頭打ちになる。
こちらで述べている、瓶に閉じ込められた蚤や、鎖につながれた子象の話と同じです。
できるものも、できなくなります。
逆に言えば、同じ人間です。
フェデラーやナダルにできたのであれば、もちろんフィジカル差などがあるからまったく同じにはならないとしても、同じ(ような)テニスはできるはずなのです。
少なくとも、「全然ラリーが続かない」などは、上達の本質からかけ離れてしまっています。
同じ道具を使い、同じコートでプレーするのですからね。
「あれだけハードヒットするシナーやアルカラスは、もっと大きなコートでプレーしている気がする」ならば、バイアスにはめられています。
▶なぜ「あの人」と差が生まれるのか
というわけで、必ずしも「選ばれた人たち」というわけではなく、「彼ら、彼女ら」。
同じ人間です。
ええ、フェデラーやナダルだとさすがに想像しにくいかもしれないけれど、たとえばこちらの人たちなら、イメージしやすいかもしれませんね。
同じ日本人で、同じ女性で、同じくらいの年齢で、同じくらいの背格好で。
テニス歴もさほど、変わらないかもしれません。
いえ、もしかするとあなたのほうが長いかもしれません。
なのに、なぜ、パフォーマンスの差が生まれるのか?
▶イメージのズレという正体
いつも指摘しているとおり、彼ら、彼女らには、現実に対するイメージのズレが「ない」のに対し、テニスが上手くいかない人には、それが「ある」からです。
ないものを付け足すのは、大変かもしれませんけれども、あるものを取り外すのは、本来簡単なはずです。
だけど、できない――。
断捨離みたいなものでしょうか。
捨てるのは簡単で、誰でもできるはずなのに、凝り固まったイメージのせいで、捨てられなくなるのです。
私は脱洗脳と呼んだりします。
▶大谷翔平が言った、「たったひとつ」
彼ら彼女ら――。
そう言うとき、思い出すシーンがあります。
WBCを前に、これからスーパースターたちと対峙するにあたって大谷翔平は言いました。
「僕から一個だけ。憧れるのをやめましょう」。
あれは精神論ではなく、バイアスの解除でした。
▶「自分にはない」というバイアス
改めまして。
「現実に対するイメージのズレ?」
「そんなもの自分にはないよ!」
そうやって自分には「ない」と思い込むのもバイアスです。
思い込んでいるとすら気づけないのが、思い込みというものの「本質」なのですから。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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テニスゼロ代表
吉田無型(よしだ・むけい)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero