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リクエスト・アワー 03 no.2 沈黙や静けさを聴きたい  夜神楽や声明が気になるお年頃

 先日アップした宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の記事を読んでいて驚いた。こんなふうに書くつもりは全くなかったからだ。どうやら書きながら自分の予定にない方向に進んでいったらしい。なるほど、そう読めば「雨ニモマケズ」は、賢治が仏に祈ることばに思えてくる。自分の書いたものを他人ごとのように読んだ。

 「書く」ことは、どうにも思い通りにいかない。自分でハンドルを握っているつもりだが泥道にタイヤを取られたり強風に流されたりして、ちょっとしたルートのズレが起こり、気がつくと見知らぬ土地にたどり着いている。

 さて、今日もどこに着くかわからぬドライブに出かけよう。

 昨年末から、土取利行さんの『磬石けいせき サヌカイト』(1984 徳間ジャパン)が、我が家のターンテーブルに乗りっぱなしだ。幾度となく聴いている。サヌカイト(讃岐岩)は叩くと高く澄んだ音がする石で、このレコードは土取さんがサヌカイトを演奏したライブ録音だ。

 「最近、夜神楽とか声明しょうみょうとかが気になるんだよねー。何なんだろう?」と家人に聞くと、「そんなお年頃なんじゃない? 歳を取ったということで」と一蹴された。うーん。

 土取さんのレコードを買ったのは発売されて間もなくだった。ぼくが26歳のころ。その前に出ていた『銅鐸』も持っていたので飛びついた感じだ。その頃はいろんな国の民族音楽を聴いていた。ちょうど小泉文夫先生がお亡くなりになったころだ。東欧の合唱曲や雅楽のレコードをよく聴いていた。

 ぼくとしては68歳にして、その20代後半に戻った感覚なのだ。あの頃、どうしてあんなに民族音楽の世界に浸りたかったのかの答え探しというか、答え合わせというか。

 どうして音楽はドレミファに縛られているのか? 一定のbpmに従わなくてはならないのか? ドとレのあいだにある無数の音は、無視されるのか? 曲中でのbpmの変化は唾棄すべきものなのか?

 ぼくが雅楽やサヌカイトに、感動する間もなく引き込まれてしまうのは、どうしてなのか。中国の公園でよく演っていた京劇の、あの叫びのような台詞回しに一瞬身動きが取れなくなってしまうのは、なぜなのか。

 そんなことを、ああでもないこうでもないと考えていた。

 そんな折、note散歩の途中で、Chichimpuipuyさんに出会った。


 絶句、だった。

 アジアの音楽が時代、地域ごとに系統立てられ、整理されている。人の流れ、時代の流れ、音楽の流れがそこで論理づけられ、繋がりが可視化されていた。

 あーっ、こういう人がついに現れた! と感動した。

 Chichimpuipuyさんは、もうひとつの音楽史を、音楽地図を書こうとしている。それは芸術史でもあるだろうが、生活史でもある。Chichimpuipuyさんの挑戦は、蛮勇かもしれない、未熟かもしれない。Chichimpuipuyさんも毎回文末に記しているように、そこには「認識違いや不勉強な点」があるかもしれない。

 でも、それがなんだ! フロンティアとは、そういう試行錯誤を繰り返して道を創るものだ。

 西洋音楽のグローバル化に何の抵抗もしなかったわたしたち、絶対音感や狂いのないビートを礼賛してきたわたしたちに、往復ビンタである(Chichimpuipuyさんは、そのような過激な方ではありません。これはあくまでもぼくがそう感じたというだけです。念のため)。

 それはきっと音楽の話だけではない。音楽以上に、思想、哲学、教育などでは、西欧近代文明のグローバル化が進行しているのではないか。「アメリカでは~」「フランスでは~」「北欧では~」という枕詞をつけることで一定の権威をつけることに、何の疑念も感じないわたしたちである。

 もちろん、それは日本礼賛という話ではない。

 東西両大陸が互いに奇警な批評を飛ばすことはやめにして、東西互いに得る利益によって、よし物がわかって来ないとしても、お互いにやわらかい気持ちになろうではないか。お互いに違った方面に向かって発展して来ているが、しかし互いに長短相補わない道理はない。諸君は心の落ちつきを失ってまで膨張発展を遂げた。われわれは侵略に対しては弱い調和を創造した。諸君は信ずることができますか、東洋はある点で西洋にまさっているということを!

岡倉天心『茶の本』 青空文庫


 夜神楽や声明が気になっているのは、そこに「沈黙」が、「静けさ」があるのではないかと思っているからだ。ぼくの言う「沈黙」や「静けさ」は、決して無音のことではない。それを感じるためには、対となる「音」が必要だ。

 そして「沈黙」や「静けさ」をぼくに導いてくれる「音」は、なかなか見つからない。

 ある種の「快楽」や「批評」を導く音はたくさんあるのに!

 そんななか、Chichimpuipuyさんが毎回貼り付けてくれる音源には、「沈黙」や「静けさ」を感じさせるものがよくあるのだ。逆に爆音で「沈黙」や「静けさ」を感じさせる強者もいたりする。面白い。(Chichimpuipuyさん、毎回聴かせてもらっています!)


 もしかすると、夜神楽や声明にそれがあって、それをリアルに体験できるのではないか。そんな期待を持っている。





 そんなことを思わせてくれた記事をもう二つ。お一人は「宮崎の神楽大好きおじさん」は、先日までnoteに寄稿なさっていたのだが、今は読むことができない。インスタやTikTokでは、今もご活躍のようだ。


 もうおひとかたは、おなじみ堀間善憲さんの少し前の記事。

 ゾクゾクしますよね。声明。生で聴きたい!



 ついでにもう一つ。ぼくは、Chichimpuipuyさんと前に書いた阿部幸大氏につながる気配を書きたくてメモをとったのだ。結局、それはかなわなかったけれど。





 前回のリクエスト・アワーです。


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