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カラオケでは負けたが麻雀は勝った

人は、ときどき得意な場所で少し勝ちすぎたあと、別の日に見事に笑われることがある。牌の音が静かにこちらへ流れていた夜は、後日のマイクの前で急に形を変えた。勝負というものは、強い順に並ばず、場面が変わるたびに人の輪郭を少しずつ見せてくる。

牌の音が、先に夜を整えた

先日、大阪へ出張した夜、仕事がひと区切りついたところで、部下がふいに声をかけてきた。少し砕けた顔で、「社長、今晩麻雀行きましょうよ」と、昼間とは違う声で笑っていた。

私はその誘いに、いつもの社長らしい顔でうなずき、何でもないように雀荘へ向かった。ただ、ひとつだけ黙っていたことがあり、それは卓に着くまで言う必要もないことだった。勝負の前に実績を並べるほど、夜の空気は少しだけつまらなくなる。

実は高校時代から麻雀を続けていて、ネット麻雀の黎明期には全国4位まで上がったことがある。そんな昔話を先に出すと場が固くなるので、私はただ普通のサラリーマンの顔をしていた。

蛍光灯の下で、空気が少し傾いた

雀荘の蛍光灯は少し白く、牌を混ぜる音だけが、妙に落ち着いて耳へ入ってきた。部下たちは楽しそうに席へつき、こちらの腕前をたぶん少し軽く見ていた。

最初の親が流れ、点棒が少しずつ動き始めると、卓の上の空気がゆっくり変わっていった。笑い声はまだ残っていたが、誰もが少しだけ捨て牌を見る時間を長くしていた。仕事中とは違う沈黙が、4人の手元に静かに落ちていた。

結果は、少し申し訳ないほどはっきりした勝ち方になり、4半荘の終わりには空気も変わっていた。点棒の動きだけは、こちらに静かに集まり続け、冗談の声も少し低くなっていた。

勝ったというより、余計なことをせず、危ないところで手を止めていただけだったのかもしれない。派手な一撃ではなく、小さな判断が何度も積もって、気づけば差になっていた。勝負の輪郭は、強い役よりも、置かなかった1枚に出ることがある。

強い手より、危ない牌を置かない

私の麻雀は、派手な役を追いかけるより、まず振り込まないことを大事にしている。ロンされないだけで、勝負の景色はだいぶ穏やかになり、相手の焦りも見えやすくなる。

捨て牌を眺めていると、相手がどこへ向かっているのか、少しずつ卓の上に表れてくる。序盤に中張牌がぽんぽん切られれば、七対子の気配がうっすら混じって見えてくる。字牌の切られ方ひとつにも、その人が急いでいるのか、待っているのかがにじむ。

字牌が早めに離れていく時は、平和系へ寄せているのかもしれないと、手の中で少しだけ警戒する。もちろん外れることもあるが、外れた時ほど、次の一打を静かに直せばいい。

一方で、自分の捨て牌から手を読まれないように、捨て方にも少しだけ細工をしていた。素直に並べすぎると、こちらの行き先まで卓の上へ置いてしまうことになる。だから迷っているふりをしたり、先に切る牌を少しずらしたりして、景色を濁していた。

読みが当たった時より、読みを外したあとに慌てないことのほうが、長い勝負では効いてくる。いい手を作るより、悪い手を広げすぎないほうが、夜は案外こちらへ傾いてくる。麻雀は、前へ出るゲームに見えて、退く場所を知るゲームでもある。

勝ち急ぐ人ほど、卓に気配を残す

勝ちに急ぐ人ほど、いい手を見せたくなり、危ない牌を少しだけ甘く置いてしまうことがある。私はそこで無理をせず、細い勝ちを拾いながら、場の温度が傾くのを待つ。

麻雀に限らず、勝負には前へ出る力と、出ないで済ませる力があるのだと思う。どちらが強いというより、その夜の空気がどちらを求めているかを、少しだけ見る必要がある。仕事でも遊びでも、強く出る人ほど、どこかに小さな隙を置いていく。

その隙を責めるというより、隙が出るまで待つほうが、私の性分には合っている。急がないでいると、相手の焦りが先に卓へ置かれ、こちらはその横を通ればよくなる。

後日、マイクの前で帳尻が合った

麻雀では気持ちよく勝たせてもらったが、勝負の話はそこで終わらなかった。後日、今度は部下たちに誘われるように、カラオケの部屋へ向かうことになった。

雀卓では静かに見えていた勝負が、マイクを渡された瞬間、まったく別の顔になった。点棒を集めた手が、今度は音程の前で妙に頼りなくなり、部屋の空気も少し軽くなった。牌を読む目は残っていても、画面に流れる歌詞だけはどうにも読めなかった。

採点画面の数字は、こちらに気を使うこともなく、やけに正直に点数を映していた。イントロの時だけは少し強気だった顔も、サビに入るころには静かに行き場を失っていた。

結果は、麻雀とは逆に、こちらがしっかり笑われる時間になった。歌の下手さはごまかしようがなく、あの日の勝者の顔は画面の光の前で薄れていった。マイクを置いたあと、部屋の中には拍手より先に、少し遠慮した笑い声が残っていた。

それでも不思議なもので、笑われる側に回った瞬間、麻雀で勝ちすぎた空気が少しやわらいだ。部下たちの笑い声は遠慮を含みながらも、どこか安心したように部屋へ広がっていた。勝負のあとに必要だったのは、もうひとつの勝ちではなく、少し下手な歌だったのかもしれない。

最後は、笑われたくらいがちょうどいい

大阪出張の締めとしては、思っていたよりも悪くない夜だったのかもしれない。麻雀で勝ちすぎた記憶を、後日のカラオケで少し返したような、不思議な帳尻が残っていた。

社長という立場は、勝つよりも、勝ったあとにどう笑われるかのほうが難しいのかもしれない。強いところだけを見せると距離ができ、弱いところだけを見せると少し頼りなくなる。その間にある妙な人間臭さが、あとになってちょうどよく残っていた。

また誘われた時に手加減するかどうかは、その日の牌と、部下の顔を見てから考えればいい。勝ち負けより先に、また声をかけてもらえる夜があるだけで十分なのかもしれない。

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