掌編 オムライスと円運動についてのエトセトラ
遅く起きた日曜日、キッチンの窓からまっすぐに光りが差し込み、ステンレスの作業台にくっきりと彼の影を落としていた。
彼はエプロンの腰ひもをきゅっと締め、冷蔵庫の材料を吟味している。ひとつひとつの動きが静かで迷いがない舞台役者のような所作を、食卓に座って眺めている時間がわたしは好きだ。日曜日は彼がランチを作ることになっていた。今日はオムライス。
彼は、鶏もも肉を一枚と玉ねぎ、ピーマンを置き、それからトマトの赤みがしっかりとしみる冷ご飯をバットに移す。卵は白と黄の境がくっきりとした新鮮なものを三つ、軽く振って音を確かめてからボウルに割る。
まな板の上に鶏肉をのせ、皮目から刃を入れていく。包丁の刃が吸い込まれるように肉を裂いていく。筋と余分な脂を丁寧に落としひと口大に揃えて切りわける。続けて玉ねぎピーマン。縦にそして横に切りこみをし、薄く均一なみじん切りにする。彼は指先を丸めて刃の動きに合わせてリズムを刻む。
彼の料理には、厳かな集中が宿っている。火をつける前にすべての材料が下ごしらえされて順に整列していく様子はまるで楽団の音合わせのようで、これから奏でられる交響曲の前奏だ。
フライパンにオリーブオイルをひき、熱が通るまでのわずかなあいだに、彼はキッチンの壁に寄りかかり小さく息を吐く。
ベランダでは洗濯物が風に揺れている。隣のビルのコンクリートに陽が当たり、わずかに色のグラデーションが生まれている。お隣さんが網戸を開ける音がした。郵便配達のスクーターが通りすぎていく。窓を伝って入ってくる街の匂いと、まな板の上に残るタマネギの甘辛い香りが混ざりあい、キッチンを満たす。
長い不妊治療をやめてから、わたしの臭覚は甦った。
油が十分に温まったところで塩コショウで下味をつけた鶏肉を皮目から投入する。じゅっ、と心地よい音が上がり、瞬間に香ばしさが立ちのぼる。余計な水分を飛ばしながら肉の表面がこんがりと焼けていく。そこにみじん切りした野菜、ご飯を加え、木べらでリズムよく炒める。
トマトケチャップは加熱すると甘みが立つことを彼は充分に知っていて、フライパンの隅で煮詰めてから全体に馴染ませる。ケチャップの酸味が飛び、奥行きのある味にしあげてゆく。
キッチンはすでに懐かしい洋食屋のような香りで満たされている。猫のゾラが現れ、鼻をひくひくとさせて床に座りこむ。彼は目だけでそれを追い、フライパンを操る指揮者に徹する。小さくハミングするのも忘れない。
次は卵。ボウルの中でしっかりと溶かれた卵に少量の生クリームと塩をひとつまみ入れる。フライパンを新しくし、バターを溶かす。熱と香りが交差するタイミングで彼は迷いなく卵液を流し込む。フチから火が入っていくのを見守りながら箸で中心をすばやくかき混ぜ、ふわりと半熟になったところで火を止め、余熱で表面だけを整える。
あらかじめ皿に整えておいたケチャップライスの上に、卵をすくい上げてのせる。彼はその皿を持ってテーブルに向かい、座っているわたしの前に置く。ペティナイフの刃で真ん中をそっと割ると、半熟のオムレツがとろりと広がる。陽の光が卵の黄色をいっそう濃く輝かせる。
わたしはこの瞬間をいつも、奇跡のように感じてしまう。
彼とわたしの言葉はなく、料理がすべてを伝えてくれる。丁寧に作られたものだけが持つ、穏やかで強い説得力に細胞レベルから満たされてゆく。
わたしはスプーンを手にとる。銀色の小さなカーブに昼の光が柔らかく反射している。そっと卵の中心をすくい上げる。ふわっとした温かい蒸気とともに、バターとケチャップの混ざった濃厚な香りが鼻先に立ちのぼる。
口に運ぶ。まず、舌のうえでとろける卵のやわらかさ。そのあとすぐに、炒めたご飯のほのかな焦げと鶏肉の旨み。玉ねぎの甘さが遅れて追いつき、ピーマンの青みが全体を引き締める。何層にも重なった味が、ひと匙ごとに変化する。治療中避けていた食材を思いきり食べる。
わたしは時間の輪郭が少しずつ曖昧になっていくのを感じる。躰の輪郭と心の重さが薄くなり、ひとつのスプーンがその広がりを導いている。
思考はとりとめもなく流れていく。
むかし読んだ「宇宙の起源について」の文章を思い出す。ビッグバン以前の宇宙は、点にも面にも形容できない、ただの「揺らぎ」だったという。それがある瞬間、膨張し、時間と空間を生んだ。もしかすると、オムライスの黄身が割れる瞬間にも同じようなことが起きているのではないか。無数の分子が互いの距離を知覚し、そこに「味」という宇宙を創る。なんて。
視線を上げると彼がグラスの水を飲んでいる。愛おしい指。ひとつひとつの動作に無言のやさしさが宿っている。彼は宇宙の一部であり、同時にわたしの生活の重力でもあると想う。人の躰は神秘と呼びたくなるくらい素晴らしい能力を秘めていて、彼の安定した引力に、わたしは今日も引き寄せられている。
不妊治療中の7年間、彼もつらかったと想う。子どもには恵まれなかったけれど、それも宇宙の揺らぎが決定したこと。だとしたら、わたしたちの関係は最高傑作なのに違いない。心から、そう信じられる。
スプーンが皿の底をかすめると、陶器の音が小さく響いた。メキシコのプエブラという街でふたりで選んだ青い鶏の絵皿。南米の混沌を孕んだ土の音。
外の光はもう初夏の気配が充満している。わたしの膝で眠るゾラの背中にもその粒子が浮かんでいる。たぶん、宇宙もこんなふうに柔らかく、気まぐれに、でも決して離れないものでできている。
食べ終わったわたしの手の上に彼の掌がそっと置かれる。鶏肉を捌いていた同じ手に、わたしはあたたかく包まれる。ごちそうさま。どういたしまして。
地球は今日も太陽の周りを静かに回っていて、その円運動の中でわたしたちは小さな食卓に向かっている。宇宙の果てではまだ見ぬ星が生まれ、いくつかの星は生涯を終えている。その無数の出来事のうちのひとつとして、この日曜日の食卓がある。それは奇跡とは呼ばれずただ “在る” だけなのに、地球上で最も純粋な幸せのかたちをしている。
わたしは、やっと泣く。
〈了〉
短い物語りとエッセイを書いています。お時間がるときにぜひ。
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