かかりつけの歯医者さんと、次回検診までにお互い人間ドックに行くことを約束した。
文字にすると、かなり大人なタイトルである。そんなことないか。
少なくとも、27歳の僕がする約束としては、思っていたよりも渋い。
飲みに行こうでもなく、旅行しようでもなく、また野球しようでもない。
人間ドックに行こう。
健康意識が、ついに約束の形をして現れた。
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そもそもの始まりは、草野球だった。
中高野球部の同期で、今は医者をしているペイと、試合前のアップでキャッチボールをしていた。するとペイが、ボールと一緒にこんな言葉を投げてきた。
「なあ、まじで歯医者行った方がいいよ」
27歳のキャッチボールで、まさかそんな球が飛んでくるとは思わなかった。
〈フォークより落ちる忠告〉
「どうしたん」と聞くと、どうやらペイは歯周病が進んでいたらしい。
歯はすぐに治るものではないから、定期検診に行った方がいい。
そんな話を、試合前のアドレナリンが高まっているタイミングでしていた。
組み合わせとしては、かなり不思議だった。
でも、医者の友人がキャッチボール中に言う「歯医者行った方がいいよ」には、妙な説得力がある。
ちょうど僕は結婚式を控えていた。
せっかくだし、少しでもかっこよくなりたい。というか新郎の歯が黄ばんでいたら流石に嫌だよね。そう思って、ホワイトニングを検討していたところだった。
なら、まずは検診に行ってみよう。
妻に話すと、妻は妻ですでにホワイトニングの準備を進めていた。
結果、夫婦で同じ歯医者に通うことになった。
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僕は、歯磨きをちゃんとやっているタイプではなかった。
毎食後に磨いてはいる。寝る前に磨かないと気持ち悪いタイプなので、歯磨きそのものをサボることは少ない。ただ、毎回きっちり3分磨いているかと言われると、まったくそんなことはない。
面倒な時は、サクッと磨く。
歯ブラシを口に入れたことで、なんとなく責任を果たした気になっている日もある。
そのせいなのか、歯茎は弱かった。よく出血していた。
〈これは歯磨きではなく、歯茎との小競り合いでは〉
そう思うくらいには、歯茎からの物理的に赤信号が出ていた。それでも、数年、いや十数年、歯医者には行っていなかった。
不思議と歯医者さんに悪い印象はなかった。
怖い、痛い、行きたくない、というより、ただ生活の中から抜け落ちていた。
久しぶりの歯医者さんは、思っていたより現代だった。マイナンバーカードを機械に通し、問診票を書き、次回以降の予約はLINEでリマインドされるらしい。最先端、、、は言い過ぎかもしれないが、少なくとも僕の記憶の中の歯医者よりはかなり進んでいる。
小学生の頃に通っていた歯医者さんとは景色が違った。
少し古い漫画が並んでいて、待合室の空気がどこか地元っぽかったあの場所ではない。今通っているのは、高層ビル群の中にテナントとして入っている、綺麗めの歯医者だ。待合室も広すぎない。なんとなく、街の速度に合っている。
名前を呼ばれ、診察室へ入った。
担当してくれたのは、同い年くらいの女性の先生だった。
明るくて、ハキハキしている。
検査をして、映像を見せながら、効率の良い磨き方や、おすすめのうがいの水分量をロジカルに説明してくれた。歯磨きについてロジカルに説明されると、なんだか少し大人になった気がする。
「歯磨きについてロジカル」ってもう一生言わない言葉だと思うが、言葉の通りの意味で、自分の苦手(?)な歯を知ることができた。
案の定、磨き残しは指摘された。"あの"ピンクに塗るやつで視覚的にも示されたし、担当者にも面と向かって言われた。
なんか歯医者さんって意地悪だよね。うん。
ただ、虫歯はなかった。
定期的に通えば、歯茎からの出血も止まるとのことだった。
結婚式を控えているのでホワイトニングをしたいと伝えると、先生はやんわりと、でもはっきり言った。
ーまずは歯周病予防を優先しましょう
白さより、土台。見た目より、歯茎。
結婚式前に覚えるには、少し渋すぎる教訓だった。
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そこから、通院生活が始まった。通院生活、と言うと大げさだが、定期的に歯医者に行くようになった。
歯は大事にしなきゃな、とずっと思ってはいた。思ってはいたのに、なかなか動かなかった。人は、自分の身体のことなのに、自分だけでは意外と動けない。
友人ペイの一言。結婚式。
妻のホワイトニング。歯茎からの出血。
いろいろなものが重なって、ようやく僕は歯医者の椅子に座った。
何回か通って、歯石率が減ってきた。
嬉しい。素直に嬉しい。
おすすめされたガムを食べ、少ない水で口を濯ぎ、苦手な歯を重点的に磨いた。今までなんとなく磨いていた場所を、ちゃんと意識するようになる。
歯ブラシの角度を気にする。水の量を思い出す。歯茎の様子を見る。
歯を磨くという毎日の行為に、少しだけ目的が生まれた。
ー俺、歯茎と向き合ってるな
そう思う瞬間がある。
身体が急に説教を始める前に、こちらから話を聞きに行く。
たぶん、それが大人のメンテナンスなのだと思う。
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5〜6回通って、思うことがある。
担当してくれている先生、アイスブレイクがうますぎる。
歯医者を嫌う人が多いからこそ、最初の会話段階で敬遠されないように身についたスキルなのか、天性の才能なのか。
なんとなくどちらも正解な気がしている。
結婚式を終えたあとに通院した時は、結婚式の話を聞いてくれた。
別の日には、歯医者は出会いがないという話を聞かされた。周りの結婚ラッシュに焦っているそうだ。
また別の日には、よにのチャンネルの話をした。どうやら僕と同じく動画を追っているらしい。
そして今日は、健康の話になった。
歯医者に通い始めてから、少し健康に対する意識が変わった。
歯だけでなく、身体全体もそろそろ見てもらった方がいいのではないか。
そんな流れで、僕は初めて人間ドックを受けてみようかな、と話した。
すると先生が、まさかの激しく同意をしてくれた。
「私も行かなきゃと思ってるんですよ」
そこから、治療前に5分くらい話が盛り上がった。
歯医者の診察台に座る前に、人間ドックの話で盛り上がる。
なんだか、不思議な大人の青春である。
そして最終的に、僕たちは約束した。
3ヶ月後の次回検診までに、お互い人間ドックに行く。
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約束というのは、不思議だ。
自分ひとりだと後回しにしてしまうことが、誰かとの約束になるだけで急に輪郭を持つ。
人間ドックに行かなきゃな。
健康診断、ちゃんと受けなきゃな。
歯医者、そろそろ行かなきゃな。
そう思うだけでは、なかなか動けない。でも次回の検診で、先生に聞かれるかもしれない。
「人間ドック、行きました?」
その時に「いや、まだです」と言うのは、ちょっと悔しい。
歯の磨き残しを指摘されるのはまだいい。
生活の磨き残しまで見つかるのは、少し恥ずかしい。
だから僕は、たぶん人間ドックに行く。
健康意識が高いから、ではない。もちろん、それも少しはある。
でも大きいのは、歯医者さんと約束したからだ。
キャッチボール中にペイから投げられた「歯医者行った方がいいよ」が、まわりまわって、人間ドックの予約画面まで僕を連れてきた。
人生、どの球がどこまで転がるかわからない。
次回の歯科検診で、僕は口を開ける前に言いたい。
「人間ドック、行ってきました」
そう言えたら、たぶん少しだけ誇らしい。
虫歯がないことより、歯石率が下がったことより、もしかするとその報告の方が、大人の検診らしい気がしている。
ちなみに5~6回通ったのに、担当してくれている方の名前を覚えてないことをここに謝罪して終わろうと思う。
ごめんなさい。
【登場人物】
僕 (とん / 伊温)
中高野球部、現在は草野球のキャプテンを務める。
決して綺麗なフォームではないが、のらりくらり野球を続けてきた。
ペイ
もはや腐れ縁。中高野球部の同期。今は医者をしながら、筆者の運営する草野球チームに所属。チームドクターとして活躍する。
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