寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第4回 イタリア・プーリア州篇(10)
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(10)プーリア州という映画の主役、レッチェ
「プーリア州という映画があるなら、主役はレッチェだろう」(ロンリープラネット=ガイドブック)
17世紀の建築家たちがこの小さな街に惜しげもなく残したバロック様式の建物には、他の南イタリアにはない完全な建築美があるという。建築に限らず全方位に無学な人間ながら、わくわくする気持ちが抑えられない。
まずはリュックを預けようとホテルを探す。居住用マンション一角の4部屋しかない個人経営B&Bで、サンタ・クローチェ聖堂の眺望と直前セールの価格に惹かれて選んだ。
エレベータなしの階段を4階まで登った先の扉をノックすると、質素ながらどことなく貴族的な雰囲気を漂わせた経営者のジャンニが、そつのない歓待のしぐさと明瞭なイギリス英語で出迎えてくれた。
共有リビングで飲み物を上品かつフランクに勧めてくれる雰囲気に、まるで旧知の知人の家に招かれたような気分になる。
宿泊客をそういう気持ちにさせるのが彼のビジネススキルなのだろう。案内された部屋もまたすみずみまで磨かれ、鏡やコンセントの考え抜かれた位置にも彼のこだわりを感じた。

明朝9時に去るまでにこの魅力的な街をどう歩けばいいだろう。
ガイドブックのアドバイスに従い、なにはともあれ歴史的建造物の共有拝観券を買った。
見学希望の施設とその数によって用意された数種類から選んだチケットをweb購入し、入場はそのQRコードで管理されるしくみだ。そういえば街角のあちこちで見かけた観光案内もみなQRコード読み取りになっていた。旅行者の多い古都ほどいまやスマホなしには歩けないのだ。
最初にレッチェ・バロックの宝石と讃えられるサンタ・クローチェ聖堂へ。1548年に着手された建設の完成は約100年後の1646年。終わらない工期で知られるバルセロナのサグダラ・ファミリアさえ現時点(2024年)で着工から142年めだから、この聖堂もかなりの長丁場。かかわった職人や美術家は多世代でバトンをつないだのだろう。
気が遠くなるほど長く、忍耐強い仕事のさまはファサード(外観正面)を見上げただけでしのばれた。大きなバラ窓(円形窓)縁を飾る彫刻の緻密さ。その下に並ぶ、鳥と獣とも人とも、聖か邪かもわからない13体の “獣” 像のただならぬ迫力。精神に障害のある人の悪夢を再現した、と表現されることもあるそう。細部を見ようと見上げているうちに、像が放つオーラだか魔力だかに照射されてその場に倒れそうになった。

たんなるバロック建築とは差異化され、“レッチェ・バロック” という独自の呼称を持つ華麗で緻密な細工を可能にしたのは近郊産のレッチェ石とよばれる柔らかな石灰岩だ。マテーラやアルベロベッロで見た石灰石よりさらに水分が多く、粒子のキメが細かいため、あらゆる細工が可能だそう。
聖堂内に入ると、壁沿いの礼拝堂、円柱の一本一本に施された入念な装飾のすばらしさに息をのむ。いや、息をのむというよりその緻密さが放つパワーに飲み込まれ、いやでもそこから目を離せなくなる感覚だろうか。
その感覚は、サンタ・クローチェ聖堂を出て数分内に点在する、やはりレッチェ・バロックの象徴的な建築物であるサンタ・キアラ教会、サン・マッテオ教会でも続いた。
主要3教会を見終えた時点でヘトヘトだった。学術的側面からレッチェ・バロックを理解するまでには至らなかったけど、それがどのようなものか、映像として頭にはっきり思い浮かぶ程度の認識は持てたと思う。
つまりそれはイエス・キリストとその世界へのこれでもかというほどの憧憬、称揚、賛美のすべてを、一分の隙も許すまいとする緻密で過剰な、ある意味クドい装飾を石灰石に彫りつけた美と建築の世界……。
接した者は、その圧と密に圧倒されて、好きとか嫌いとかの感情を超越した場に否応なく連れていかれる。
神を信じようが信じまいが、世俗を離れ “天” に近づける場であることは間違いないと思う。


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