見出し画像

母親に、会ってきた。

 先週5日間で、家に6時間くらいしか帰っていなかった。
 夜勤明けそのままロマンスカーに乗り、前に働いていた吉祥寺のスナックの常連さんと女の子たちとの箱根旅行に行き、一泊して帰宅し仮眠して、夕方から起きて新宿バスタに向かい、仙台行きの夜行バスに乗った。

 そう、母親に会いに仙台に戻った。

 前回の投稿(「母に、会いにいく。」https://note.com/toryseico/n/nc29c2c45b95b?sub_rt=share_sb)以来、何をどう話すつもりなんだろうと迷い続けたまま答えは出ず、悶々としたまま眠れない日が続いた。
 いや寝てないわけじゃないんだけど、眠りが浅くてうなされる。寝汗がすごい。睡眠が断続的で、嫌な夢をたくさん見る。大学を休み続けててテストと単位どうするんだとか、また家を出なくちゃとか、清算できていない過去が頭の中で去来して、現実と混乱した。久しぶりに身体がサバイバルモードになってしまって、なんだかやたらと疲れた。

 会いに行って言いたいことが言えなかったら残念だから、先に手紙を書いておこうか。帰り際に渡せばいい。夜勤の仮眠中にそんなことを考えたら眠れなくなり。じゃあ聞きたいことを箇条書きでメモしていく?とか。でもそれも不自然だし、なんだか一方的な尋問みたいになるのでやめた。問い詰めたり、責めたりしたいわけではなかった。

……………………………………….

 すごく絶妙なタイミングで、一冊の本と出会った。「そいつは本当に敵なのか」という本。碇幸恵さんという方の本で、題名がもろに刺さったのでその場で購入した。その中の一文に、「誰かを敵にしない、誰とも戦わないという意志を持つことが、じつは何より強いことなんじゃないかと思ったりする。」という文章があり、彷徨っていた自分の感覚にピッタリはまった。
 私は今、母親に対して持っている、“敵“というラベルを剥がしたいのではないか。なんとなくそんな気がした。“ここ”を越えるために、会いにいくんじゃないか。私がつまずいてしまっている、この”壁”を壊したいんじゃないか。

 そうこうするうちに日々は過ぎ、寝不足と過密スケジュールでよう頭も回らないまま、母と会う時間になった。

……………………………………….

 待ち合わせの14時。藤崎デパートの入り口の椅子に座っている、という。近づくと、少しだけ老けて白髪が増えた母がいた。彼女も、もう73歳なのだった。最初私がわからなかったようだが、目が合うと「そうなのかな?」という感じでこっちを見ていた。

 一番懸念していたのは、精神的な病気がまだ重かった場合、まず一緒にいて話をすることさえ、私自身耐えられないのではないかということ。お茶をして夜ご飯を食べようと話していたので、その時間を一緒に過ごせるかが不安だった。会って「久しぶり、私です」と言いながら、私の表情は相当固かったと思う。母の目の中を見て、様子を探った。思ったより精神状態は安定しているみたいだ。

 前もって調べておいた喫茶店に行く。母はだいぶ変わった私の髪型に驚いていた。「白髪がいい感じだね」と私も返した。喫茶店でコーヒーを飲みながら、なぜ今連絡を取ろうと思ったのかを話し、少しづつ聞きたいことを聞いていく。父が亡くなってからのこと、今はどうやって暮らしているのか、今住んでいる家のこと、おばあちゃんが亡くなった時のこと。自然と会話は繋がっていく形になった。聞かれて嫌なことはない、と母は言った。

 服装や身につけているものの感じから、困窮している感じが見られなかったのは、おばあちゃんが亡くなって多少の遺産が入ったからとのことだった。遺産を相続したのち、生活保護は切り、今は障害者年金と貯金で生活しているとのこと。死ぬまではなんとかそれで持つかな、と話していた。

 今は精神薬にも依存していないと言っていた。「おばあちゃんが亡くなって、気持ちがとても楽になった。支配から解かれた」と話していた。流れで母親の幼少期の話になり、聞くと、おばあちゃんが畑仕事に忙しかったため、母親は2歳までネグレクトを受けていたんだという。朝昼晩、おばあちゃんが畑から戻ってきて、オムツを変えてお乳をあげる以外は、薄暗い部屋でただひとり放置されていたと。「だから時間の感覚がないの、今でも。家にいる時は30分おきにアラームをかけて、今どれくらい時間が経ってるか確認するのよ」。そういった経緯で、大人になっても自分の存在価値を認めることができなかったのだという。生育環境の詳細を聞いたのは初めてだったので、少し衝撃だった。

 話はするものの、父の話はいまだに嫌そうだった。出会いたくなかった、尚絅(高校)の親友に引き合わせられなかったらお父さんは選ばなかったのに…と。父は私にはやはりちょっと甘かったようで、私だけは可愛がっていたんじゃない?と話す。

 宗教はまだ続けているようだ。食事の前には軽くお祈りをしていたし、奉仕活動もしているらしかった。私が無宗教なのは感じとっているようだったが、そのことについては何も触れなかった。

 私の話もした。カメラマンをしながら介護の仕事をしている話、去年離婚したこと、子どもは夫側にいること。世界一周をしたこと。

 合間合間に、唐突に「これ可愛いと思わない?」と指輪やバックを見せてくるあたり、変わっていないなと思った。承認欲求の表現の仕方が昔から子どもみたいなところがあって、いちいち褒められたいのだ。「そうだね、かわいいね」「ちゃんと見てたよ」と返した。

……………………………………….

 喫茶店で3時間くらい話して、ちょっと外を歩こうかと、アーケードの中をうろうろした。仙台がちょうど梅雨入りした日で、雨が次第に強まっていく。「あの店で飲んだね」とか、「まだあの店はあるんだね」とか普通の会話もした。仙台の街並みの中に、私たちの過去はまだ残っていた。

 「こんな風になる時が来るとは思わなかった。もうしばらくは、会えないかと思った」と歩きながら母親が言った。私だって、本当に母親が死ぬまで、会わないつもりでいたのだ。でも、もしそうしていたとしたら、おばあちゃんと母の終わりと同じことになっていたのだと思った。相手が死んでから、やっと「解放」されるんだと。そうならなくてよかった、と思った。

……………………………………….

 結局のところ、憎んでいないと言いつつも、私は母親を、やはり心のどこかで憎んでいたのだと思う。自分が生きづらいこと、普通に生きたいのに生きられないこと、やりたいことが何一つ上手くいかなくて、つまづきまくって生きてきたこと。心のどこかでそれら全てを、母親のせいにしていた。無意識のうちに。

 誰かを悪者にして整理した方が、ある意味人生は簡単に片付くような気がする。母と兄が、父を悪者にしてある時期を生きていたように、私は心のどこかでずっと母親を悪者にしていた。母親がああじゃなかったら、もっとこうしてくれていたら、と。今回私にとっての“ラスボス“である母親に対面した時、自分の中の甘えにようやく気づいた。
 そして、"どうしてくれていたら"なんていう過去のパラレルにはなんの意味もないことを悟った。私は現に、こうして生きているのだから。

……………………………………….

 感情的な対応をせず、できる限りフラットに話し合おう、話を聞こうとして向き合った時に、母親と付き合うことは昔より楽だった。
 自分が成長したのも大きいとは思うが、母親も一時の酷い精神状態からは脱却しているのを感じた。私たちの、憎しみあい傷つけあう“あの時期”はもう終わったのだ。

 前回「母に、会いにいく。」の記事で書いた「自分の成功が母親の子育てを肯定することになる」ということも、それはそれでいいんじゃないかと思えるようになった。
 みんなあの時期、生きていくのに必死だった。私も母にひどい接し方をしたり、嫌な部分をたくさん見せていたと思う。私が成長することで母の人生を肯定できるのなら、そうしてあげたいと思った。みんな、頑張ったのだ。そして今、あの時より少し、人間らしさを取り戻しているのだ。

 ラスボスはもはやラスボスではなく、“私を不安に陥れる、世界で一番恐ろしい“と思っていた存在を、私はもうとうに超えていた。恐れているものは、そこにはなかった。

 いや、もしかすると最初から、私が勝手にイメージして作り上げていただけだったのかもしれない。勇気を出してベールを剥いだ時にそこにいたのは、十分に成長できなかったなりに、必死で子どもたちを育てようとした1人の女性だった。
 悪魔は、最初から存在しなかった。

……………………………………….

 新宿に戻る帰りのバスに揺られながらそんなことをぼんやりと考えていたら、自分が今まで抱えてきた重しのような塊が溶けていき、「私は本当に自由なんだ」という感覚に包まれた。

 恐れるものはもうない。私を脅かすものは、どこにも存在しない。何も怖がらず、ただただ、もっともっと、思うまま世界を愛していい。自分を愛していい。やりたいことを、思い切りやっていい。

 私は、“母親“という呪縛から、ようやく解かれた。

 まだちょっとぼーっとしている。初めての感覚だから、慣れなくて。生まれたての赤ちゃんみたいな気がしている。赤ちゃんみたいに、大声で泣きたくなる。

 居酒屋で飲んで、母親と別れてから、「私を産んでくれてありがとう。直接言えなかった、でもありがとう」とメッセージを送った。私にできる、伝えたいと思った感謝の形だった。

……………………………………….

/追記/
 とは言うものの、疲れと過度の精神的緊張で、家に帰ってからどっと疲れてしまい、熱を出した。やっぱりまだ寝つきは悪くて、変な時間から寝たり目が覚めたりするもんだから、ずっとぼーっとしている。ぼーっとしたまま仕事に向かっていたら、母親から長文のメッセージが。
 省略すると、「介護の仕事を辞めて写真に打ち込みなさい、今のあなたは甘い」と。私のインスタのリール動画(しばらく前にライブ配信していたもの)を見て熱が入ったらしい。また大きな課題を与えられてしまい、知恵熱アゲインの状態になった。
 介護の仕事を辞めるべきか、いや辞めるべきなんだろう。写真だけやる人生にシフトしろとケツを叩かれてしまった。
 ずっと頭ではわかっていた。周りの人達も、優しいから口に出して言わないだけで実際そう思っていることも、わかっていた。ただ瞬時に脳内の処理が追いつかなくて、やや朦朧としている。

 多分、私は次のステップにようやく、進もうとしている。自分ひとりでは登れなかった壁を越えろと、運命に背中を押されているみたいだ。


いいなと思ったら応援しよう!